前々回の 走れ竜宮小僧
次郎は小野政次のためと、瀬名のためと、二度走りました。
井伊、松平、今川と、どんどん雲行きが怪しくなってきました。
駄文「直虎が竜宮小僧になる時」
ご無沙汰しております。
なんやかやで、すっかり飛んでしまいました。
第11回、今録画でようやく見ました。
どうも、只ならぬ状況が次から次へと起っていますね。
あの、ぼんやりとした松平元康も、いよいよ本領発揮というところでしょうか。
井伊家はどうなるのやら…
次郎も直親も、どうもよからぬ方へよからぬ方へと転んでしまう。
政次さえ自分の意に反し、あの父と同じ道を辿るかのように…
ストーリーが見えなくなってきた私は霞の中から抜け出したい…
そんな中、この光景がぽっぽっと思い浮かびます。
それは、
あの、検地の時の川名での次郎法師の読経の響き
少し高めの声で抑揚の少ない次郎のお経は黄金色の稲の上を広がって行きました
心の奥底にまで伝わる、ゾクッとくる読経でした
あれは、亡くなった人を悼むお経だとか
稲穂波尼僧の読経ひろがりて
(スミマセン、蛇足デシタ)
それから…
龍潭寺の昊天さん
政次の正当防衛からの殺傷事件がなんとか沈まった後、
次郎が自分の力不足を嘆いていると、昊天は
「日日是好日、良い日も悪い日もかけがいのない一日です」
と声をかけた。
「日日是好日」
よく、額や掛け軸に仕立てたこの五文字を見かけますが、
「毎日がいい日である」という意味の禅語だそうで、
「にちにちこれこうにち」 や 「にちにちこれこうじつ」 と読む
ですが、
これは禅での公案であり、解釈は様々ということ
「公案」 は禅問答の時、問題として出るもので、
その言葉について、師にあたる高僧と学生である僧が
「作麼生・そもさん」 「説破・せっぱ」
あの一休さんがよくやってたあれみたいなものですね♪
*毎日がいい日となるよう努めるべきだ
*そもそも日々の良し悪しで一喜一憂すること自体が浅はかで、
あるがままの環境を良しと受け入れて毎日を精一杯に生きることが大切だ
などなど
南渓和尚が前に言ってました
「答はひとつではないぞ」
第11回「さらば愛しき人よ」
帰ってきたら、一緒になろうと直親は言うけど、もう帰って来れないと覚悟しての言葉でしょ!
次郎も分かっていて、受け入れた…
儚い
それから、政次
この方も、可哀そうでなりません。
結局嫌っていた父のやりかたをなぞって行ってしまって…
ああするしかなかったんだと思う
やるせなさが、政次の表情に現れていました
次回では自暴自棄になった政次さんが出て来るのでしょうか
願わくば、竜宮小僧さん、助けてあげて
ではまた、井伊谷にて
あ、ひとつ気になることが!
ドラマなどで危機が迫ると
「ピイ~ピイ~ピイ~…」
と甲高い鳥の声がします。
危機迫る感が増しますが、あの鳴き声の主は?
もず?ひよどり?
とんと分かりません