四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

今日は地蔵盆です

2013-08-24 17:18:55 | 生かされて今日

 子供たちを守護してくれるお地蔵さま(六地蔵)にお参りして子の健やかな成長を祈る夏祭です。大阪で住んだ団地の自治会でお祭の役員をしました。関西地方ではポピュラーなお祭です。

お地蔵さまはお釈迦さまのご入滅後、次に法を説かれる弥勒菩薩がこの世に出現するまでの無仏、濁悪の時代に魂の救済を託された菩薩様です。古代インドから地蔵信仰はあり、奈良時代に日本へ伝えられたそうです。

あの恐ろしい形相の地獄の閻魔さんは、このおやさしいお顔の地蔵菩薩の一面なんだそうですよ。この夏休みに短い命を散らされた尊い御霊に合掌し、先立たれた両親や兄弟、親族の痛みを思うと言葉が出ません。

★海かなし川の悲しみ地蔵盆   駿

コメント

原爆孤児の悲惨な体験を話されました

2013-08-17 11:52:31 | 生かされて今日

 残暑厳しい8月15日の終戦日、立正佼成会横浜教会では「戦争犠牲者慰霊と平和祈願」を込め式典を開催しました。子どもたちの献花の後、法華経を読誦して命を絶たれた300万人を超える同胞のみ魂を慰め、「二度と過ちはくり返しません」との誓をさせていただきました。

一方では参議院選挙で大勝した安倍総理・自民党は勢いに乗り、集団的自衛権を認めさらに憲法9条を改悪しようとしております。そもそもトラブルを武力、暴力によって決着を付けようとすることは、今時大戦の大悲惨、世界で唯一原子爆弾の地獄を体験した国としてマトモな政治家ではないと思います。コリもしないでヒロシマ、長崎そして沖縄の残酷をまたまた庶民に押し付けようとしています。暴力・ナイフと大砲とミサイルなど軍隊で身を守るのは原始時代に戻り危険千万な危うさを感じます。原始時代は過ぎてもう21世紀なのです。

 広島で被曝されひとりぼっち、6才の原爆孤児となられた波田スエ子さんが無惨なる体験を伝えて頂きました。地獄の情景を時々目をハンカチで覆いながら辛いお話をされ一同静まり返りました。家族の中でひとりだけ生き残った罪悪感、原爆症への不安やみなし子への冷たい視線など戦争の残酷な爪あとをお伝えされ皆で合掌するばかりでした。生き残られたことはこの惨禍を後世代へ伝える自分の使命と覚られ、かつては世間の目を恐れて沈黙していたことも話されました。

 私たち仏教徒は「目には目を」でナイフや斧やミサイルで威嚇し報復する愚かなる道をとりません。暴力で他人を脅す、傷つける、命を奪うことに反対します。ひ孫や将来の日本人のために憲法の改悪には身を挺して反対します。

コメント

合掌 長崎原爆の俳句 

2013-08-09 11:32:48 | 生かされて今日

 松尾あつゆきさんは長崎高商(長崎大学の前身)時代から、自由律俳句の荻原井泉水に師事し、『層雲』の主要同人として活動、高校教諭から食糧営団に移り、その勤務中に原爆被爆、七ヶ月の嬰児を含む妻子四人を殺されました。

その句は占領軍により発表することができませんでした。この原爆詠が一般的に読まれたのは、昭和三十年に刊行された『句集 長崎』が初めてだそうです。私たちは花鳥諷詠ばかりの政治無関心な徒であってはならないと思います。 

昭和二十年八月九日 我家に帰り着きたるは深更なり。

    月の下ひっそり倒れかさなっている下か


十日 路傍に妻とニ児を発見す。重傷の妻より子の最後をきく(四歳と一歳)。

    わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ
                 すべなし地に置けば子にむらがる蝿

    臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい

 

長男ついに壕中に死す(中学一年)。

    炎天、子のいまわの水をさがしにゆく

    母のそばまではうでてわろうてこときれて

    この世の一夜を母のそばに月がさしてる顔

外には二つ、壕の中にも月さしてくるなきがら

 

十一日 みずから木を組みて子を焼く。
   とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい
   ほのお、兄をなかによりそうて火になる
   早暁骨を拾う。
   あさぎり、兄弟よりそうた形の骨で 

   あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨かな

 

十三日 妻死す(三十六歳)。

      ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへこときれる

十五日 妻を焼く、終戦の詔下る。
      なにかもかもなくした手に四枚の爆死証明
      夏草身をおこしては妻をやく火を継ぐ
      降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ

コメント

八月は6,9,15だ!

2013-08-01 21:38:17 | 生かされて今日

 暦の上では7日は立秋、秋立ちぬです。陽暦5月16日に深川を立たれ「おくのほそ道」に踏み出された芭蕉翁と曽良さんは、今日は秋田県の象潟にお泊りです。『松島は笑うがごとく、象潟はうらむがごとし』と。

♪象潟や雨に西施がねぶの花  芭蕉

♪象潟や料理何くふ神祭  曽良  

たまたま象潟は村祭だったのですね。それにしてもこの炎暑、ワラジでてくてく約40KMを歩かれるとは奇跡的難行です。「ただ一日の願ひ二つのみ。今宵よき宿からん、ぞうりの我が足によろしきを求めん」と苦しみを漏らされております。

 さて、8月6日は広島原爆の忌日、9日は長崎の原爆忌です。想像しましょう、この炎天になんとむごい火焔地獄だったでしょうか。赤ん坊から年寄りまで無差別に焼き殺され一生放射能に苦しんで逝かれました。自分の身に引き寄せて想像いたしましょう。

8月15日は終戦日、敗戦日、この愚かなる大戦により300万人を超える日本人、2000万人のアジア人が命を奪われました。過日シベリアの森で旧日本兵のご遺骨が発見されました。未だに犠牲者の遺骨は硫黄島や朝鮮やニューギニア、太平洋の水底に放置されています。鹿児島の知覧には特攻に命を奪われた20才前後の英霊の無念さが感じられます。ミサイルや原爆や戦闘機や大砲の暴力によって国を守るより、智慧と慈悲とで日本を守りたいものです。自民党の憲法改悪、集団的自衛権の発動はまたまた国民をこの惨劇に陥れるキケンが高いです。A級の戦争犯罪人を祖父に持つ総理大臣はこの犠牲者の霊にどう答えるのでしょうか。戦争は絶対に阻止しなければなりません。それが戦没者への慰霊であり生きている日本人の義務です。

コメント