四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

やっと来た秋

2012-09-26 03:43:16 | 生かされて今日

 秋の彼岸も過ぎて、さすが残暑きびしく長かった日々もようやく収まり、秋めいた気候になりました。横浜の道の秋草に顔のでかいイナゴがとりついて、懐かしい田舎の気分となりました。稲作には手強い害虫です。田んぼには縁遠い町住まいなので、蛙の声も聞けず稲穂の揺れる稔の秋は海老名あたりへ遠出しなければと思います。わが高層住宅のわずかな緑にも鉦叩が秋の訪れを知らせてくれます。時には家の中で鳴いております。

  桔梗(きちこう)やおはぎの塩のよき加減  駿

東日本大震災から一年半経過しましたが、ご家族に帰らぬご遺体がまだ2800余人もおられるのは悲しいことです。放射能禍でふるさとを追われた福島の被災者の苦しみを思うと、東電と政府、原子力村の学者達のとんでもない責任を忘れずに追求しなければなりません。

 

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鎌倉の秋まつり

2012-09-19 13:58:29 | 生かされて今日

 鎌倉の御霊神社で18日、恒例の「面掛行列」が行われた。鬼やおかめなど10の面をつけた面掛衆と氏子ら100人が近くの通りを14時40分からゆっくりと練り歩き、除災招福と五穀豊穣を祈る秋祭です。直前私が江ノ電鎌倉駅についた途端、秋時雨が銀色に糸を引いて激しくなりました。これでは行列は中止かと懸念しましたが、けろりと雨はやみ長谷駅で降りました。秋の花の日蓮聖人ゆかりの収玄寺を拝み、御霊小路へ左折します。神事が黒山の人の中で行われ、山車を白衣の担ぎ手が取り巻いています。昔は代々、面掛け衆は決まった家しか出来なかったそうですが、今は人手不足でお神輿の担ぎ手も若者たちにお願いしているようです。氏子だけで古来の伝統を維持するのは困難の様子でした。子供みこしもあり沿道の見物から声がかかっていました。

私は極楽寺切通し近くの星の井の向かいで見物しました。それにしても妙なお面がそろそろ歩き日曜カメラマンにはうってつけのお祭りで、「イタリアにはどんな服装で行く」なんてリッチで優雅なことを話していました。ただ、カメラを構えると我勝ちにいい写真をと自分勝手でお行儀が良くないですね。

 

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福島県ただひとつの国宝です

2012-09-15 16:02:09 | 生かされて今日

 白水(しらみず)阿弥陀堂は850年前に尼さんが造られ、風雪に耐え現在は国宝指定の建造物です。去年の東日本大震災でお像に損傷を蒙り奈良で修復され、この7月に再開されたばかりでした。奇跡的に遺された平安時代のお堂です。屋根も吹き替えられた様子で、薄い板を重ねる板張りの屋根でとち葺きというそうです。一番薄いのはこけら葺きといいます。屋根のカーブが優雅ですし、尼さんの好みでしょうか阿弥陀三尊も小さく奥ゆかしいつくりです。この方は平泉で東北を支配し、世界遺産となった中尊寺を建立した藤原清衡の娘、お姫様だったそうです。

 白水という地名は、ふるさと平泉の泉の字を上下2つに分断して名付けたそうな。周りの楓は薄く紅葉し配置した池には蓮の花が咲き、浄土式庭園の遺構が復元されています。平泉の毛越寺や横浜金沢の称名寺と同じ庭園です。こんな山深い片いなかに、鮮やかな優美なお堂が出現したのですから当時は異次元の世界だったでしょうね。

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美空ひばりさんの碑

2012-09-14 14:43:36 | 生かされて今日

 福島県いわき市の塩屋埼灯台の下に美空ひばりさんの記念碑が、3.11の津波から逃れて健在でした。ヒット曲の「みだれ髪」が流れていました。彼女は横浜のご出身ですが、残念ながら記念館は京都の嵐山にあります。私の好きな歌はなんといっても「越後獅子」です。「山が見えます、ふるさとの」が切ないですね。どんなリズムでも七色の声のハーモニーに乗せる力は他を寄せ付けない歌手でした。川上哲治、力道山やエノケン、花菱アチャコに裕次郎、中村錦之助など昭和は遠くなりにけりです。GHQとかMPとか有針鉄線、鉄条網や米軍のジープやかまぼこ兵舎も有りました。

 潮騒の弓なりの海岸は美しくて、人を呑み込んだとは信じられません。この海岸の先には恨みの東電福島原子力発電があります。左側の崖にはユリの花が散在し、震災犠牲者のみ魂のようでした。

 残暑きびし瓦礫のなかの誰が鏡   駿

 ふくしまや家なき石段の灼けてゐる  駿

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福島いわきの海岸で読経

2012-09-11 11:26:43 | 生かされて今日

 東日本大震災、津波と放射能の災厄から1年半たちました。今日(9月11日)はまたニューヨークでの大テロ事件の起こった厄日でもあります。

 福島県いわき市の美しい新舞子ビーチに沿って美空ひばりの記念碑がある塩屋埼灯台があります。立正佼成会横浜教会の仲間50人がバスの日帰りで、瓦礫がすぐそこに残る海岸で慰霊の読経をいたしました。あくまでも澄んだ海原は9メートルを超える津浪が来襲したとは考えられない美しく潮騒の鳴る海岸でした。残暑の太陽にギラギラあぶられての読経でしたが、体からの大声で法華経の一部を上げさせていただくと後ろから涼風がそよいで参りました。読経の横にある瓦礫の山には姿見の鏡が横たわり、どのようなお顔を写したのだろうかと合掌しました。近くのおみやげ屋さんの亭主から生々しく当日以降の惨劇をご説明いただきました。この店舗は突き出した岩礁のお陰で奇跡的に津浪を逃れたそうです。土台のみしか無い津浪跡の住宅地には夏草が茂り、玄関への石段のみが残された姿には心が縮みました。放射線量も心配な地区です。美空ひばりの碑は健在でした。

 被災地の早期復興がなりますように、3.11を忘れないで微力を尽くさねばと誓いました。

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