四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

上期の終わり

2023-07-04 14:55:33 | 俳句

 2023年も半分が過ぎました。戦争と疫病とを3年を越えて引きずり、混沌模糊とした暮らしでした。せめてわたしの俳句で憂さ晴らしをお願いします。   

春隣追ひ抜いてゆくピンヒール
ひと掴み増やしてくるる和布売
うすら陽に散り侘助の六つ五つ


金屏風わたしに動く雛の目
高階の妻へ手を振る花の中
花ぐもり卓に『夫の後始末』


吹かれてはさざ波となる落花かな
帰り道つつじの坂は発火点
手びねりの碗の和えもの春惜しむ


予備校も塾もぶきつちよ四月くる
われに動く生簀の鯒(こち)の目玉かな
結露にのこるへのへのもへじあたたかし

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芭蕉翁の俳文

2022-02-07 19:07:33 | 俳句

 翁の俳句(発句(ほっく))は約千句しかありません。一方、老境から俳句に励まれた与謝蕪村でも約3千句、小林一茶は2万句前後が残されました。

翁が主として活躍されたのは「連句の席」です。今の句会のような個人単独の創作ではありませんでした。

同座する複数の作者による共同創作の詩で、一巻全体の詩づくりを目的とする集団の文芸です。

そして何番目には桜を、何句目には恋を詠むといったルールがあります。翁はメンバーの連句が付き過ぎぬよう、全体の構成取りまとめを指導されました。したがって発句(連句の最初に詠う)の役ばかりではなかったのです。

 残された約千の俳句は時代を拓く群を抜く出来栄えですが、「俳文」がまた名文揃いです。貧乏を楽しむ品ある友人たちとの細やかな情が滲んでおります。侘び寂びを愛した仲間たちを知れば、翁の新しい芸術の創造に腸(はらわた)を絞られた志に敬服します。

 『ところどころ見めぐりて、洛に暫く旅寝せしほど、みのの国よりたびたび消息あつて、桑門己百(きはく)のぬしみちしるべせむとて、とぶらひ来はべりて、

しるべして見せばやみのの田植歌 己百

笠あらためむ不破のさみだれ   ばせを

  その草庵に日ごろありて

やどりせむあかざの杖になる日まで』

己百の家の心遣いを褒めてもっと長居したいと。あかざが夏の季語です。私は「あかざ俳句会」のメンバーです。           以 上

   

 

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私の夏、初秋15句

2021-11-03 19:09:12 | 俳句

   『うれしきこと』   

 睡蓮や父に無かりしこの余生

 籠枕(かごまくら)の探して

         をりぬ風の筋

 あちこち軋(きし)る昭和生まれや

         扇風機

 五七五にかまける余生蠅生まる

 沖縄忌ガマに散りしく

        海紅豆(かいこうず)

 

 昭和の背広昭和のレコード

           黴にほふ

 ふくらはぎに 萍(みづくさ)の

           つく少女かな

 はひふへほの呪文や口にかき氷

 おおんおおん鐘の哭(な)く声長崎忌

 

 ひさびさの酒場にひとり路地涼し

 深きかかはり避くる性分秋の蝶

★枝豆やうれしきことをのみ数ふ

コロナの世ですが身辺にある幸せ(青い鳥)に気づきましょう。

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芭蕉翁の女弟子 

2021-10-27 09:19:36 | 俳句

 笈(おい)日記に、園女(そのめ)を愛でる翁の二句がある。身分制度が頑丈完璧な江戸時代にいかなる女性であったのか関心をそそられる。

暖簾(のうれん)の奥ものゆかし北の梅 芭蕉

 「ものゆかし」は、なんとなく上品なたたずまい。「北」は、北堂で主婦の居間だそうです。園女宅に招かれた際の挨拶句で、弟子の優雅さを梅の花に託してある。

園女は伊勢山田の医師の妻で当時二四歳、師の芭蕉は四五歳。本名は斯波(しば)渡会(わたらい)と云い、父は神官、夫は医者。

白菊の目にたてゝ見る塵もなし 芭蕉

 翁逝去の二週間前、大坂北浜の園女亭歌仙の発句である。園女三十歳。伊勢から夫婦して大坂へ転居していた。彼女の人柄を清らかな白菊になぞらえている。

女流俳人はかおるような佳人、才女と想像が膨らむ。いかな髪型で、冬の召し物はどうだったのであろうか。

園女五句 おおた子に髪なぶらるゝ暑さ哉

     蝉の羽のかろきうつりや竹のなみ  

     涼しさや額をあてて青畳   

     ふじばかま此の夕ぐれのしめりかな

     行秋や三十日の水に星の照り

おおよそ三百年前の江戸時代の作品とは思えない。

 夫と死別の四十一歳の時に芭蕉門の榎本其角(きかく)をたより江戸へ出て、富岡八幡宮の門前にて眼科医を開業している。

寡婦の身で新興都市江戸へ乗り出していく力強さ、生活力に敬服します。富岡八幡宮に三十六本の桜木を奉納、園女桜、歌仙桜と呼ばれ、二世園女が建てた石碑がある。享年63歳、お墓は江東区白河の霊巌寺雄松院にあります。

 

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今年前半の私の俳句

2021-07-01 08:30:57 | 俳句

   「皿の一輪」      

春を待つデニムの穴の膝小僧
小言いふ異人の舎監(しゃかん)梅ましろ
立春や手に亡兄の双眼鏡


かやくうどんの賑やかな色春来る
春の宵糸巻きカードに妣(はは)の文字
卓上の皿の一輪落椿


八時二十分の眉のどかなる漢(おとこ)かな
寄宿舎のズボンの寝押し新社員
蕗味噌や身を野つ原にとき放つ


鯉のぼり揚ぐる漢のはにかみて
蔓ひけば木香薔薇(モッコウバラ)の山うごく
そよりともせぬ鯉幟の反抗期

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身に沁みました

2020-11-28 21:56:08 | 俳句

 愛されずばわれあらざらん鰯雲』  筑西市 加田 怜さん

11月の朝日新聞俳壇に掲載されました入選俳句です。一読し勿論ですが亡き両親の私への愛をまた、わが妻の注いでくれている愛情をありがたく感じました。

 更に仏教徒の私は釈尊(宇宙の大生命)の私へ降り注いでいでいる愛を直感しました。『妙法蓮華経』を拝読いたしますと生きとし生けるものを大安心の境地に引き上げんとされる釈尊の慈愛があふれています。人を差別せず、見放すことなくいかな凡夫、愚人、悪人をも救わんとされるみ心に感動させられます。

愛を受ける側から、愛を施す側へなりたいものです。コロナに苦しむ人類が一刻も早く逃れるよう共に祈りましょう。

 またわずか17音で人を感動させる俳句定型詩のパワーに快哉をあげました。加田さんありがとうございました。

 

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 芭蕉翁の短冊

2020-07-31 11:06:41 | 俳句

 『是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、

「短冊得させよ」と乞。やさしき事を望侍るものかなと 、 

野を横に馬牽むけよほとゝぎす』(おくのほそ道)』

 馬方のおもわざるみやびな願いに感心してこの句を懐紙にしたため渡しました。

 後日、蕉門十哲の森川許六(きょりく)(彦根藩士)はこの懐紙を馬方からおそらく買い取り、馬上の翁を描きそれに真蹟を貼りました。

遠方の馬方からどうやって手に入れたのでしょうか。

 みちのくの旅は進み金沢を過ぎ山中温泉で曾良と別れます。金沢の北枝を連れた翁は小松へわざわざ引き返します。

これは生駒万子(いこままんし)(金沢藩士)に呼ばれた為らしい。

なんとこの万子が許六が持っていたあの懐紙を保持していたそうです。

 今から330年の昔どういういきさつがあって万子の手に渡ったのでしょうか。

願わくば隠れた古文書が発見され、解明されることを期待しています。

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久し振りの句会

2020-07-05 09:25:25 | 俳句

 感染症のため「不要不急」な句会は3か月間開催できませんでした。

俳句どころじゃないと退会される方、大好きだが持病で感染が怖く街中の句会へは出られない方もおられます。

 俳句の趣味は大自然への関心、創造力を養うことからからコロナへの免疫力涵養に役立つと存じます。さて、コロナ禍のさなかの佳句をご紹介いたします。

〇タピオカの上るストロー梅雨晴間

〇仏法僧枕の位置の定まらず

〇先頭に八十路の健脚山笑ふ

〇合歓咲いてまり子を悼む心かな

〇汁椀に浅蜊のこぼす汐の砂

〇フェースシールドの微笑んでくる新学期

〇沖縄忌ブーゲンビレアの翻る

〇水無月や学校田の荒れしまま

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冬のうた(令和元年)

2020-01-05 15:10:46 | 俳句

横浜の正月は伝統の大学箱根駅伝の応援からです。時間をみはからい横浜駅ちかくで待ち構え一瞬の走者へ「ガンバレ」の絶叫。ハイスピードなので一瞬間の声援です。

青山学院大のワンチームとなった凄さが後続チームとの差、時間と距離で推し量られて圧倒的な強さがわかります。監督の手腕、部員の血を吐く努力に脱帽するばかりでした。選手の父母・親戚はハラハラドキドキ見ておられないでしょうね。


 さて、去年のわたくしの「冬の句」をご披露します。精一杯の作品です。


〇バス停に先客のあり寒すずめ

〇巨人・たまご焼の兄の法要冬ぬくし

〇くれなゐにとろける冬の苺かな


〇はみだしてゐる初刷を引き抜きぬ

〇水餅のかめの暗がり母の忌日

〇片雪駄かまはず担ぐ春祭

〇空覚えの良寛のうた草青む

以 上

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あかざ俳句会の大会

2019-06-23 15:52:25 | 俳句

 6月1日さつき晴の横浜にて「あかざ俳句会」の大会を開催しました。令和元年早々の大会です。池田恵美子主宰のご挨拶から、「あかざ賞」と「新人賞」の贈呈に進みました。

あかざ賞は秦野市の飯塚京子さんが、新人賞は横浜市の樋口眞由美さんが受賞されました。

「泣きやみし嬰の目まるく蝶を追ふ」 京子

「鈴虫の声の出迎へ鄙の宿」 眞由美

 続いて通信句会の表彰に移りました。互選による高点句は次のとおり。

星一つ小枝にかかる余寒かな   美津子

痛む手を先に通して更衣      ハル子

ねんねこの手足よろこぶシャボン玉 治子

薫風のめくる未来図令和かな   英子

新涼や少年風を残し行く      栄之

望郷の無住寺まもる新樹かな  道子

夏蝶の影一つ置く童子仏     翠

ぶらんこや前頭葉が弾みだす  駿

ともに老ゆ町一閃の初燕     教子

避難解除机五つの新入生    洋子

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芭蕉さんのお気に入り女弟子

2019-03-02 14:01:23 | 俳句

  園女(そのめ)を愛でる翁の二句がある。身分制度が頑丈な江戸時代にいかなる女性であったのか関心をそそられる。

暖簾(のうれん)の奥ものゆかし北の梅  芭蕉

    「ものゆかし」は、なんとなく上品なたたずまい。「北」は、北堂で主婦の居間だそうです。園女宅に招かれた際の挨拶句で、弟子の優雅さを梅の花に託してある。園女は伊勢山田の医師の妻で当時二四歳、師の芭蕉は四五歳。本名は斯波(しば)渡会(わたらい)と云い、父は神官、夫は医者。

白菊の目にたてゝ見る塵もなし  芭蕉

    翁逝去の二週間前、大坂北浜の園女亭歌仙の発句である。園女三十歳。伊勢から夫婦して大坂へ転居していた。彼女の人柄を清らかな白菊になぞらえている。女流俳人は、かおるような才女と想像が膨らむ。いかな髪型で、冬の召し物はどうだったのであろうか。

園女五句  おおた子に髪なぶらるゝ暑さ哉

        蝉の羽のかろきうつりや竹のなみ  

        涼しさや額をあてて青畳   

        ふじばかま此の夕ぐれのしめりかな

        行秋や三十日の水に星の照り

 夫と死別し41歳の時に同門の榎本(えのもと)其角(きかく)をたより江戸へ出て、富岡八幡宮の門前にて眼科医を開業している。寡婦の身で新興都市江戸へ乗り出していく力強さ、生活力に敬服します。富岡八幡宮に三十六本の桜木を奉納、園女桜、歌仙桜と呼ばれ、二世園女が建てた石碑がある。享年六三歳、お墓は江東区白河の霊巌寺雄松院にあり、お参りしました。

50年後、与謝蕪村の「俳仙群会図」の十四人の一人として師芭蕉とともに描かれています。

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冬の吟行(あかざ俳句会)

2018-12-13 10:08:05 | 俳句

 阿夫利嶺(あふりね)とか雨降山(あめふらしやま)と呼ばれる神奈川県の名山、大山へ吟行しました。

師走で、また長い階段がきついと辞退された方もおりましたが、池田恵美子主宰をはじめ元気な句友が17人参加しました。

 大山は江戸庶民の観光地、信仰の山で奈良東大寺の良弁(ろうべん)上人が開かれた修験道の聖山、神仏混淆のお山です。東大寺正面左側に良弁(ろうべん)上人の坐像がありました。

 伊勢原駅から満員バスに乗り、湯豆腐やお土産の店の並ぶ石段を登ります。さらにケーブルカーです。臨時便が出てくれました。体力派はそのまま林道を自力で登ります。

冬の阿夫利嶺は鮮やかな冬紅葉が迎えてくれました。湾曲する相模湾を足下にする景色が素晴らしい。三浦半島、更に房総の山並まで眺望する絶景です。

江ノ島が芋虫のように小さく見えます。神社下社にて食事してから句会です。元気なことは最高ですね。

◯六根清浄でのぼる大山冬もみぢ  駿

◯冬菊をうかべる店の手水鉢     駿

◯土器や冬日にひかり厄落とす   政子

 

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7月句会での作品

2016-08-03 11:05:55 | 俳句

 参議院選挙もありあっという間に酷暑の八月となりました。私が参加している句会で点の集まった作品をどうぞご覧ください。

 

*地下足袋のこはぜの湿り梅雨に入る

*病床に祭太鼓の調子とる

 

*桐下駄の脛の白さや夏は来ぬ

*白もまた華やぎの彩半夏生

 

*街炎暑指紋の残る終電車

*花氷はりつく子らの指の穴


*蚊遣り立て母に濃い目の死に化粧

 

*差しこみの緩んでをりぬ今日は夏至

*まくわ瓜過去をばっさり捨てましょか

 

*ぼろぼろの広辞苑と母夕焼ける

*草いきれうつし身の仮面壊れそう

 

*葛桜食(と)うべどこから霞もうか

*田植機やずんずん太陽赤くなる

 

*降り立てば里の訛や青田風

*白玉をつつく幼なの指の先

 

*ふるさとの庭の匂ひや半夏生

*一本の狭庭の今朝の胡瓜かな

 

*百年を耐へ青蔦のレンガ塔

*雲の間をあてなき飛行あめんぼう

 

*木漏れ日をスポットライトに毛虫ゆく

*眼鏡邪魔ああ顔がじやま汗しとど

 

*白南風や廃線の錆深みたる

*橋涼みこだはりひとつ流しけり

 

*荷に添へて一筆涼を足し給ふ

*二列目の子の音読の涼しさよ

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六月の感銘句

2016-06-30 22:36:23 | 俳句

 早くも2016年の半ば、六月・水無月も去ろうとしています。今日6月30日は半年のけがれを流して頂く「夏越しの祓い」、茅の輪をくぐる日です。

今月私が参加した各句会での佳句をご紹介します。作者名は伏せておきました。

 

◎点滴をこばむ母の目五月雨るる

〇梅雨晴間ベンチのピエロ顔を脱ぐ

〇蔵書てふ過去すてにゆく昭和の日

 

〇牛蛙の呪文畦道湾曲す

〇鯔(ぼら)飛んで確かにこっち見たような

〇伴奏は耳鳴り辣韭の皮をむく

 

〇あぢさゐを分けて江ノ電現るる

〇里の宵母の形見の藍浴衣

〇相傘にへだてのありぬ今日は夏至

 

〇五月闇ここは遠流の船着き場

〇へそ曲がりの放談の会豆ご飯

〇梅雨鯰ゆかい愉快と浮きにけり

 

〇あめんんぼに雨の一滴命中す

◎教室の白いさざ波更衣

〇かなぶんのぶつかる闇や反抗期

〇涙とも汗とも第ニ反抗期

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横浜俳話会が60年を迎えました

2016-04-16 15:53:00 | 俳句

 横浜市に本拠地を置く俳句愛好家の親睦団体「横浜俳話会」は昭和31年4月11日に秋元不死男氏を幹事長に据え、古沢太穂、小林康治、飯島草炎、栗栖浩誉や小林三日月、河野南畦、野沢節子、八幡城太郎、飯田九一など錚々たる俳句作家が集まり産声を上げました。

文芸上の主義主張を超えて集まった先人のご努力により、今月4月11日に60周年祝賀会を開催しました。90歳に近き先輩も足を運び楽しく有意義な会となりました。

記念講演をお引き受け頂いたのは当会の顧問、日本伝統俳句協会副会長の大輪靖宏上智大学名誉教授。

「俳句の強さを支えるもの」と題して一時間教えていただきました。

和歌や連歌に比べて俳句の起源は無官の猥雑な三流の生まれ、それだからこそ庶民に支えられて強く生き延びてきたと。

演劇における歌舞伎、能狂言、絵画における浮世絵と同じように今や世界中から関心を集めていると。

出自が卑しいからこそ根強き伝統文芸なのだとのお話に感銘を受けました。

にぎやかに会食しこれまでの60年の歴史をスライドで鑑賞、横浜俳話会100年に向けて威勢よく、若手の俳句人の参加を得て頑張ろうでお開きとなりました。

横浜とうたつておりますが、全国の俳句愛好家が参加でき、会費は年2000円です。現在の会長は麻生 明さんです。

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