四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

善因は善果に

2018-02-14 08:50:32 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『善因は善果をもたらし、悪因(あくいん)は悪果(あっか)を招くという考え方をすべきです。しかし、現在の世の中を見ていると、必ずしもそのとおりになっていない場合があるように思う人も多いかもしれません。

 目の前のことだけを見ていると、「善因を積んでも少しも善いことがなく、悪いことをして平気で大手を振って歩いている人がいるじゃないか」と納得できないこともありましょう。

たとえば政治の世界でも、何億というお金を受け取っても収賄(しゅうわい)罪に問われることがなかったり、清潔な選挙をした候補が落選して不正行為をした候補が当選するといったことが、あまりにも多いのは事実です。

それで、善因善果、悪因悪果といっても、もうひとつ説得力がないようにも思えるのですが、五年、十年という長い年月をとおして見ると、その因果の道理のとおりになっているものです。

 ですから私たちは、まず道理がきちんと通用する健全な社会をつくる努力と同時に、時の経過によって必ず善因は善果に、悪因は悪果となって現われることをいつも忘れずに毎日を送ることがなによりも大事だと思うのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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無功徳

2018-02-09 10:39:35 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『中国の南北朝時代の梁(りょう)の始祖・武帝(ぶてい)は、仏教を篤(あつ)く信奉(しんぽう)し、多くの寺院を建てるなどの功績を残した皇帝です。その武帝が達磨大師に、「私はずいぶん弘法(ぐほう)興隆に貢献してきたが、功徳はどれほどであろうか」と問うと、達磨大師は言下に「無功徳」と答えています。

 世間一般では、すべてに対価を求めます。まったく無償の奉仕、布施といったことは考えられないのです。

そのため佼成会がさまざまなかたちで社会に奉仕をさせてもらっても、世間の人は、何かもくろみがあるのではないか、宗教界を牛耳(ぎゅうじ)ろうとか政治を自分たちの思うように動かそうといった魂胆(こんたん)があるのではないか、といった警戒心をもって見ることが多いのです。

 そうであればあるほど、私たちは、あくまでも無私に徹しきり、真心をもって事にあたらなければなりません。相手を利用しようとか、人にほめられたいといった気持ちが少しでもあってはならないのです。

 そもそも、宗教は自分の足りなさ未熟さを教えてもらうためのものです。「させていただく」ことはあっても、私欲や教団エゴの「ためにする」ことはありえないのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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核なき地球を放棄するのか、トランプ

2018-02-04 09:25:21 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『かつてアインシュタイン博士が、国連が正しく機能することを願って三つの提案をしたのを、哲学者の谷川徹三先生が紹介されています。

まず第一に、国連は安保常任理事国の拒否権を抑えるため、総会の決議を最優先させなければならないこと。

第二に、国連代表を政府任命ではなく国民の中から選出すること。これによって国家エゴの追求を改めさせることができる。

第三に、国連総会を常時開くこと。これによって世界中のどんな事態にもすぐ対応することができる、というものでした。

いまから三十年も前の提案ですが、いまもって傾聴(けいちょう)に値する卓見(たっけん)だと思います。

私も国連軍縮特別総会で世界宗教者平和会議を代表して、世界の指導者に「危険を冒(おか)してまで武装するよりも、むしろ平和のために危険を冒すべきである」と要望しました。

そしてワルトハイム国連事務総長との話し合いを通して、国連が真に世界平和に役立つようになるためには、世界の各国が勇気を持って国家エゴを放擲(ほうてき)し、国連の改革に取り組まなくてはならないと痛感させられたのです。それを私は叫び続ける所存です。

 

 庭野日敬著『開祖随感』より

 PS アメリカは「核なき世界」の目標を放棄し、小型化した核兵器開発へ転換したそうだ。とんでもない人類の文化への逆行である。唯一の被爆国の日本だからこそ率先して暴走を止めなけれならぬと存じます。

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