『夫婦の愛をぎりぎりまで突き詰めていくと、それは相手を見捨てないこと、といえるのではないでしょうか。
見捨てないためには、許しが必要なのです。どんなに好き合った相手でも、毎日、朝から晩まで鼻を突き合わせていると、だんだんアラが見えてきます。それにいちいち目くじらを立てて、性格の不一致などと言い合っていたら、とても添い遂げられるものではありません。
それまで他人だった男女が一つになろうというのですから、初めからなにもかも分かり合えるはずがありません。どうしたら心を一つにして助け合い、支え合っていけるようになるか、互いに努力し合い、人間として成長していくのが結婚生活というものでしょう。
最近は、結婚したくてもできない男性が増えて、「女性のほうが売り手市場で、男性が女性に合わせていかなくてはならない時代になった」などと、しょげている人がいますが、どちらがどちらに合わせるなどと、時代によって変わるものではありません。
男と女のそれぞれの特性、考え方を認め合うところから、許し合う寛容さが生まれてくるのだと思うのです。』
庭野日敬著『開祖随感』より
PS わたし達へのお釈迦様の愛は永遠です。見捨てることは無いと確信します。 頭脳で三分の一を永遠に計算し続けるより、「三分の一の数値を信じる」のと同じです。精密な宇宙ロケットもジェツト旅客機も三分の一で出来ています。これも信心ではないでしょうか。信の力です。