『中世がローマン・カトリックによる絶対支配の時代だとすれば、近代は科学的な合理主義が絶対とされた時代といえましょう。近代の社会は、科学こそ人間に幸福と豊かさをもたらしてくれるものと疑うことのなかった社会ともいえます。
ところが最近になって、「果たして科学万能主義で人間が幸福になれるだろうか」という疑問が、顕著に表に現われてくるようになりました。そうした疑問を抱かせる原因はさまざまありますが、地球上の資源が有限なのに人口は増加する一方という難問を抱えて、地球を管理する必要性が痛感され、世界共同体の建設といった意識が芽生えはじめたのも一因でしょう。
現実にそうした社会体制が出来上がるのには百年から二百年はかかりましょうが、そこに至るためには、人間のエゴイズム、国家のエゴイズムをどのようにして超克(ちょうこく)するか、その関門を突破しなければなりません。
その意味で、まず宗教界が宗派エゴを捨てて互いに協力し合い、その姿をもって、人びとにそれを示さなくてはならないと思うのです。そうした大きな観点に立つことができなくては、人類全体の幸せを考える宗教者とは、とても言えません。』
庭野日敬著『開祖随感』より
PS エゴイズムが牙をむく大統領が出現しました。世界を分断するリーダーに未来があるとは思えません。かの悪夢のごときヒトラーの時代の再現ではと危惧されます。
しかしながら釈尊は人間の叡智で克服でき、世界の平和境建設が出来ると明るいのです。そう信じます。