四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

おおみそかです

2023-12-31 09:47:34 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『大晦日の夜は、方々の寺で除夜の鐘が響き渡ります。今年一年間に積もった煩悩を取り除いて、心身ともに清らかに新年を迎えられるようにと百八つ打ち鳴らされるのですが、この煩悩の大もとは何かというと、自分中心のわがままな心なのです

自分の得になることしか考えようとしない。思いどおりにならないと、いちいち腹が立つ。人を思いやることができなくて、目先のことしか見えない……。そのために自分で自分を苦にしばりつけているのですが、自分の癖で見たり考えたりしているのですから、自分のどこがどう自己中心なのか分からないのです。

ですから、たとえば竹の曲がりを直すのに反対のほうに何度も何度も大きくたわめて癖を直すように、自分の損得など考えず、思いきって人さまに幸せになってもらう奉仕に踏みだしてみるのです。

 すると、知らぬまに自分中心の心が一皮一皮剥(はが)れ落ちて、「ああ、ここが自己中心だったんだ」と気づかされるのです。

「善き仲間」と一緒だと、この踏みきりが容易にできるのですね。

一年の終わりにもう一度、サンガに包まれている幸せをかみしめたいものです。』

   立正佼成会開祖 庭野日敬師のことば

 

 PS 疫病に殺し合いの戦争、政治の腐敗の年から来年こそは佳き一年に私達の力で前進いたしましょう。

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夫婦となる縁

2023-12-21 16:00:38 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『好き合って結婚してはみたけども、「やっぱり性格が合わないから別れよう」と、まことに簡単な考えで離婚してしまう人が増えているといいます。

しかし、夫婦になるというのは、そんな簡単な縁ではないのですね。

結婚は縁ものといいますが、人は自分にふさわしい人に引き寄せられ、ふさわしい人が自分に寄ってきて、夫婦となります。その出会いは、自分が人間として向上していくための“同行”としてお手配になった相手同士ともいえましょう。

 法華経の教えは道を行くことにあります。たまり水はじきに腐ってしまうように、人間も、いつまでも同じところにとどまっているとだめになってしまいます。一歩一歩前進し、一段一段、階段をのぼらなくてはならないのですが、その修行が、一緒に向上しようという相手がいないと難しいのです。

ところが、その相棒がしばしば大きな壁に見えるときがあるのですね。

しかし、その壁が大きく見えるときこそ自分が変われるチャンスなのです。

この見方ができるようになって初めて、夫婦が互いに長所も短所もひっくるめて拝み合えるようになるのです。』

 立正佼成会 開祖 庭野日敬師の言葉

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拝ませていただく

2023-10-01 05:09:19 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『私たちは「仏さまを拝む」とか「朝夕にご先祖の供養をする」と言いますが、よく考えてみると「拝む」のではなく「拝ませていただく」、「供養をする」ではなく「供養をさせていただく」というのが本当だと思うのです。

 自分が仏さまに生かされ、ご先祖さまのお陰でこうして生かされているという感謝の心を持てるかどうかで、その違いが生まれてきます。

 世間には、尊い教えを聞いても拝む気持ちになれない人がたくさんいます。

 また、落ち着いて拝もうにも忙しくて、その機会に恵まれない人もたくさんいます。そうしたなかで、縁あって仏法に導かれ、まわりのみなさんの親身な手どりで、生かされている自分を思い知り、感謝の気持ちを持てたことが、どれほどありがたいことか。 

 さらに、毎日ご供養のできる時間を与えてもらっていることが、どんなにありがたいことか。

 それを心から思い知ると、仏さまを拝ませていただき、ご供養をさせていただける身の幸せが腹の底から感じられてくるのです。私は朝夕の読経をさせていただくそのつど、そのありがたさをかみしめずにいられません。』

  庭野日敬師「開祖随感」

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彼岸の入(秋彼岸)

2023-09-20 18:39:06 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『大般涅槃経という経典に、「宗廟を崇めて儀典をやめず」という言葉が出てきます。宗廟とは祖先の御霊屋のことです。

自分がいまこの世に存在できているのは、ご先祖さまのお陰であるのは言うまでもありません。一本の樹木にたとえるならば、ご先祖は根であり、私ども子孫はその根によって育てられた枝葉です。両親は幹ということになりましょうか。

 ですから、枝葉である自分を茂らせ、美しい花や実を結ばせるためには、まず根に栄養を与えなければなりません。

この順序をわきまえてこそ万物の恵みを十分に受けられるわけで、それが人間の道なのです。

ご先祖さまを粗末にするとたたりがあるのではないか、などと恐れて先祖の霊を拝むのは、まったくの考え違いです。

「行供養」という言葉があります。自分の現在をあらしめているご先祖のご恩に対して、心からの感謝の念をもって、その徳をあがめ、そして「ご先祖さまに安心していただける自分になります」とお誓いして精いっぱい努力するのが、供養の出発点です。』

   庭野日敬著『開祖随感』より
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心の救われ

2023-08-29 09:40:09 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『以前、子どもさんを亡くした家にご供養に行ったとき、「観世音菩薩普門品」の「童男・童女の身を現じて為に法を説き」という一節で涙を抑えられなくなったことがありました。子どもの死は親に菩提心を発させるためであるという言葉が、このときほど身にしみたことはありません。観世音菩薩の観の字は、ものごとを判然と見分けることであり、世音とは世の人びとの声、つまり大衆の悩みや願いのことです。私たちも観世音菩薩のように、その人その人の悲しみを聞き取り、相手に応じて三十三身を現じて法を説かなくてはならないのです』

  庭野日敬『開祖随感』より
 
PS 青梅錬成会で若いご婦人が説法の際、「童男・童女の身を現じて為に法を説き」という一節で床に倒れ伏して泣かれる姿に打たれました。
亡くされた幼児が自分に法を説かれていると理解された一瞬でした。
どんなにか悲しく、また自分が救われたことでしょうか。 
合掌
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自分は釈尊の愛子だ

2023-05-21 05:42:15 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『仏性開顕と簡単にいいますが、どうしたら仏性を開顕できるのかです。

まず、「私は仏の子だ」と自分に言い聞かせて、心からそう思い込んでしまうことです。すると、もう怠けてなんかいられません。腹が立ったなどと、ふくれているわけにもいきません。

心理学のある先生が、「善い結果を考えると善い結果が、悪い結果を考えると悪い結果がもたらされる。潜在意識が、心に思った結果につながるチャンスを捕らえるからだ」と言われています。

「外相整えば、内証おのずから熟す」という言葉があります。森田療法という、神経症の治療法の創始者である森田正馬さんが用いた言葉ですが、装いを整えて威儀を正すと、それだけで「みっともないことはできないぞ」という心になってくるものなのです。

「私は仏の子なのだ」という自覚を持つと、どんな無理なことを言う相手に対しても、笑顔で、「この人にも教えを分かってもらわなければ」という慈悲心で接することができるようになってくるのです。』

   庭野日敬著『開祖随感』より

 

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協力者を増やす方法

2023-04-20 07:42:19 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『商売でも、どうしたら売れるようになるかではなく、買ってくださる人の気持ちをいつも考えられるようになれば成功間違いなしだ、といわれます。

人と人の関係の極意も、そこにあるのですね。それが、初めはみんな逆なのです。自分の考えだけが正しいと相手に押しつけてしまう。自分の意のごとくならないと気が済まない。これを自分勝手というのです。それでいくら力んでも、まわりは自分の思いどおりにはなりません。

 ですから私は、まず相手の意見を受け入れてしまうことにしているのです。そして、それに自分の考えをどう合わせられるか、調和させていけるか、考えるようにしてきました。

そうすると、どんな人も安心して自分の力を出しきってくれるのです。

 いくら自分の意見を通してみたところで、一人の力でできることには限りがあります。自分と一つ心になって協力してくださる人材を、どれだけ得られるか。大事なのは、そこです。「みなさんが菩薩の行をなさる方だ」と拝む心になると、こっちの我など張る必要は、まったくなくなるのです。相手に合わせる気持ちになれば、相手も必ずあゆみ寄ってくれます。心と心は必ず通じ合うものなのです。』

   庭野日敬著『開祖随感』より
 
☆先ずはご夫婦の関係から実行を。
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素晴らしい日本の野球

2023-03-23 16:59:35 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『アメリカでの調査で、「日本製品は非常によい」と答えた人が73パーセントだったのに、「好きな国」となると、カナダの94パーセントに対して、日本は61パーセント、ヨーロッパ諸国に比べても極端に低いという結果が出たそうです。

日本製品への評価もさることながら、世界の人に好かれる日本人になる努力が、より大切なのではないでしょうか。

 軍備拡張競争が、自国の防衛どころか経済の破綻を招き、国を危うくしてしまうことが分かってきたいま、どうしても新しい真の安全保障をつくりださなくてはならなくなっています。

その安全保障のいちばんの基礎は、やはり人と人との信頼関係です。国と国の間で互いに好感情を持ってくれる友人をどれだけつくれるか、そのための努力こそ大切です。

 その友だちづくりには、お互いが共通の目的を持って、共に行動することが欠かせないと思うのです。世界の国々の経済の建て直し、地球の環境破壊防止など、いわば地球規模の人類の大問題も、世界の人びとが心を一つにして取り組むことができるようになれば、そうした難題が互いの心をつなぎ合わせるための好機に変えられていくのです。』

       庭野日敬著『開祖随感』より
 
 世界野球のチャンピオンとなった日本チームの団結力、品格、敵チームへの思いやり尊敬、ダッグアウトはゴミを残さずに去ったという。監督をはじめ下積みの方々の心労に敬意を表します。
殺傷する武装より普段の行動、外交こそ平和への貢献と世界を唸らせました

 

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我がエゴに気づく

2023-03-03 07:20:21 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『「妻の前で、間違っても他の女性のことをほめないことにしているんです」と言う人がおられました。ご主人のお母さん、つまり奥さんにとってはお姑さんの料理をほめても、奥さんが自分へのあてつけのようにとって、ひがむというのです。

 女性のひがみとはちょっと違うかもしれませんが、人の喜びをわが喜びとし、人の苦しみ悲しみをわが苦しみ悲しみとすることは難しいことなのですね。

 人の苦しみに同情することはできても、人がほめられたり、抜擢されて昇進したりするのを心から喜んであげるのは至難なことなのです。口では「おめでとう」と言いながら、心の中は「あの人がほめられるくらいなら、私だって」という思いがわいてくるのです。

 人は自分では気づかずに人のアラを探す虫眼鏡を持ち歩いているといいます。

自分よりかなりすぐれた人を見ても、「まあ、私と同じくらいかな」としか見えない。自分と同じ程度の人は、はるかに下のように見えてしまうわけです。

 人の喜びをどれだけ喜べるかが、自己中心をどれだけ克服できているかのバロメーターになるのではないでしょうか。』

         庭野日敬著『開祖随感』より

 

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うしろ姿で教える

2023-02-13 06:28:48 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『私の家には孫が四人、一緒に暮らしております。まだ小学校や幼稚園に通っている子たちですが、私がご宝前(仏壇)でご供養をするときには、孫たちも一緒にすわって読経するのです。

 なにしろ大家族ですから、それは賑やかで、家族全員がそろったかどうか点呼をとる、といった愉快で和やかな情景が生まれるのです。

朝早くからの毎日の読経供養は、まだ小さな子どもたちにはかわいそうかなとも思いましたが、そうして家族がそろって仏事を行じ、読経の席に連なる敬虔な雰囲気の中に身を置くことが全人教育の一つになると私は考えているのです。また、その毎日の行が、子どもたちの忍耐力をつけさせることにも役立つと思うのです。

 といっても、私の家でそうしているからといって、みなさんのうちでもそうしなくてはならないと、嫌がる子どもを叱りつけて無理やりすわらせるといったやり方では、逆に反発をつのらせるだけで、本当の教化にはなりません。

やはり、親が毎日行じるそのうしろ姿を見せて、次第に感化していくことが大切だと思うのです。』

       庭野日敬著『開祖随感』

 

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自分は何者なのか

2023-01-28 08:05:35 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『私たちはいま、地球上の出来事はもちろんのこと、他の天体のことまで分かる時代に生きています。ところが、それほど物知りになった現代人が、自分自身のことについては何も分かっていない、というのが正直なところではないでしょうか。

仏教には「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」自分の足元を見つめよ、という教えがありますし、西洋の哲人もまた、「汝(なんじ)自身を知れ」と説いています。「現代人とは、自分のこと以外はなんでも知っている人間だ」と、皮肉たっぷりに言う人もいます。

 つまり、ほかのことはなんでも知りたがるのに、自分自身のことは少しも知ろうとしないのが現代人だ、ということになりましょう。人の欠点や失敗、スキャンダルは見逃さないのに、自分の欠点には気づこうともしないわけです。

 子どもたちにしても、最近の子どもは昔の五十代、六十代の人よりも物知りではないかと思える半面、人間の心得とか、他人への思いやりといったことについては、まったく何も知らない。いや、教えられていないのです。それで友だちとどう接したらいいのか分からずに苦しんでいる子どもも多いといいます。こんな不幸なことはありません。』                  

         庭野日敬著『開祖随感』

 

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もらい過ぎていないか

2022-12-05 06:08:58 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『一休(いっきゅう)禅師は「私は耕さずして、ご飯を頂いている。

織らずして、着物を着ている。いったい、私はもらいすぎている。

これをどうつぐなえばいいのか。それを思うと、一時(いっとき)もじっとしてはいられない」と語っておられます。

この「いったい、私はもらいすぎている」という考え方が大事だと思うのです。

 私たちは逆に「私はまだまだ十分に与えてもらっていない。不足だ」と考えがちですが、その心をちょっと切り換えるだけで、そこに感謝が生まれてくるのです。

その感謝が、まわりの人への思いやりになって、お互いに「ありがとう。ご苦労さま」と言い合えるようになっていくわけです。

己のごとくに他を思う心、それが仏教でいう慈悲心です。真の友情です。

人が「働く」のは、「はたを楽にする」ためだという人がいます。そういう心意気で働いていると、なによりも自分が楽しくなります。互いに持ちつ持たれつで生かされているのだという自覚から、慈悲心は生まれてくるのです。これこそ真の人間尊重でありましょう。

        庭野日敬著『開祖随感』より

 

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本当の自信とは

2022-11-21 07:35:15 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『なにごとによらず自信を持つことは大事なのですが、それが、うっかりすると慢心、驕慢(きょうまん)になりかねません。

自信とはその字が示すように、自らを信じることです。しかし、ただ自分の力や才能を信じて人に誇示したり、自分の誇りを傷つけられたくないばかりに、いつも肩をいからせている姿は、人から見るといかにも滑稽に映ります。

それどころか、いつも他人を意識して「ばかにされまい」としている姿は、お気の毒というしかありません。人は、いつまでもつま先立ちを続けているわけにはいきませんから、どこかで破綻をきたしてしまいます。

本当の自信とは、どんなに小さな自分であろうとも、いつも仏さまの教えのとおりに行じようと懸命につとめ、仏さまのお慈悲のみ手に包まれ、見守っていただいている自分を信じることです。自分の身の丈のままでいいのです。

常にご法という鏡に自分を映して自分を省みることを忘れなければ、人は卑屈になることもなく、また肩ひじ張った無理な自信過剰に陥ることもありません。』

       庭野日敬著『開祖随感』より

 

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ほめ上手になろう

2022-10-10 07:22:22 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『人を育てる教育でなにより大事なのは、楽しさだといいます。

学ぶ楽しさがなくては、人は育たないのです。私どもの教会でも、その楽しさがいちばん大事ではないでしょうか。いかに修行の場とはいえ、苦しみに耐えるだけの場になってしまったのでは、長続きするものではありません。

 ある音楽の先生が、生徒のレッスンを長続きさせるコツについて、「授業は厳しくても、なにか一つほめてあげて、気持ちよく帰ってもらうことが大事」と言われていました。

 なにごとであれ、一つのことを本当に身につけるのには、まず、やり続けることが大切です。人は、ほめられると向上心に火がついて、学ぶことが楽しくなり、希望がわいてきます。それが懈怠(けたい)の心に打ちかつ力になるのです。

人の欠点は嫌でもすぐ目につきますが、人のよいところは努力しないと見えてきません。

 ほめ上手の人は、その努力を欠かさないのです。どこか一つでもいいところを見つけて、ほめてあげる。

お辞儀の仕方一つでもいい、返事の大きさだけでもいいのです。そうして教会を楽しい修行の場にしていく努力が、自分を大きくする修行にもなっているのですね。』

        庭野日敬著『開祖随感』より

 

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明るく受け止めよ

2022-09-26 08:43:18 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『同じ一つのことでも、よくも悪くも受け取れるものなのですが、悪いほう悪いほうにばかり取る人がいます。

 人はわが身の安全が第一で、それで、つい心配や不安のほうが先立ってしまいがちです。そういう考え方を、マイナス思考というのです。しかし、いつもそういう考え方をしていると、体内の分泌物が毒素の働きになっていくそうです。

 人間の煩悩のもとは、貪・瞋・癡(とん・じん・ち)の我執です。

「我」という字は手に戈(ほこ)を持って身を守る形につくられていますが、身を守るつもりの戈が、自分を傷つけてしまうことになってしまうわけです。

 人の考え方の癖は、性格よりも習慣のほうが大きいといいます。なにごとも、よいほうに、よいほうにと考える習慣をつけると、だんだんそれが本物になっていきます。

 プラス思考に切り換えるぞ、と決心を新たにしようではありませんか。』

      庭野日敬著『開祖随感』より

 

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