私たち立正佼成会横浜教会の植原教会長さんの離任式がございました。教会長さんには日々の暮しの中での仏道実践に厳しく細やかなご指導を2年間施して頂きました。
脚の病の激痛をおして都内のご自宅から横浜駅西口の教会へ通われたのでした。過日名医の手術を受けられて退院、満場の拍手の中を杖を持たれてやわらかな笑顔で入場されました。幼子たちから少年部、青年部、婦人部や壮年部の仲間たちが釈尊像の御前で歌や踊りや演奏、スピーチで教会長さんへの感謝を申し上げました。顔にハンカチを当てる会員もこみ上げて漏らす声もあり、私もどんなにも厳しい修行をされておられたか推測して目に涙が盛り上がりました。仏教による私たち多数の魂の救いの為と布教伝道への自己犠牲は、自己本位で損得勘定の拝金主義の時代に極めて有難い尊き生き方なのだ。人のため世のためにを自分の都合に優先する人格がこの浮世に絶対必要です。
私は教会長御在任のこの2年間中、自己犠牲が出来ず、なんの菩薩行、布施行も出来なかったことを懺悔します。「No pain , no gain.」 努力、犠牲を払わずして、得るものはない、人格の陶冶は出来ない。
植原教会長さん、ありがとうございました。
脚の病の激痛をおして都内のご自宅から横浜駅西口の教会へ通われたのでした。過日名医の手術を受けられて退院、満場の拍手の中を杖を持たれてやわらかな笑顔で入場されました。幼子たちから少年部、青年部、婦人部や壮年部の仲間たちが釈尊像の御前で歌や踊りや演奏、スピーチで教会長さんへの感謝を申し上げました。顔にハンカチを当てる会員もこみ上げて漏らす声もあり、私もどんなにも厳しい修行をされておられたか推測して目に涙が盛り上がりました。仏教による私たち多数の魂の救いの為と布教伝道への自己犠牲は、自己本位で損得勘定の拝金主義の時代に極めて有難い尊き生き方なのだ。人のため世のためにを自分の都合に優先する人格がこの浮世に絶対必要です。
私は教会長御在任のこの2年間中、自己犠牲が出来ず、なんの菩薩行、布施行も出来なかったことを懺悔します。「No pain , no gain.」 努力、犠牲を払わずして、得るものはない、人格の陶冶は出来ない。
植原教会長さん、ありがとうございました。