四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

人生は別れの連続

2011-11-28 09:42:49 | 生かされて今日
 私たち立正佼成会横浜教会の植原教会長さんの離任式がございました。教会長さんには日々の暮しの中での仏道実践に厳しく細やかなご指導を2年間施して頂きました。
脚の病の激痛をおして都内のご自宅から横浜駅西口の教会へ通われたのでした。過日名医の手術を受けられて退院、満場の拍手の中を杖を持たれてやわらかな笑顔で入場されました。幼子たちから少年部、青年部、婦人部や壮年部の仲間たちが釈尊像の御前で歌や踊りや演奏、スピーチで教会長さんへの感謝を申し上げました。顔にハンカチを当てる会員もこみ上げて漏らす声もあり、私もどんなにも厳しい修行をされておられたか推測して目に涙が盛り上がりました。仏教による私たち多数の魂の救いの為と布教伝道への自己犠牲は、自己本位で損得勘定の拝金主義の時代に極めて有難い尊き生き方なのだ。人のため世のためにを自分の都合に優先する人格がこの浮世に絶対必要です。
 私は教会長御在任のこの2年間中、自己犠牲が出来ず、なんの菩薩行、布施行も出来なかったことを懺悔します。「No pain , no gain.」 努力、犠牲を払わずして、得るものはない、人格の陶冶は出来ない。
 植原教会長さん、ありがとうございました。
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私の青春、岩崎学生寮(その3)

2011-11-25 20:04:58 | 生かされて今日
 寮舎のまわりにはバラ園や温室、池も築いた岩崎理事長の別邸に園丁や寮母さんの家が在りましたが、現在は一面草や潅木が繁つて、芭蕉翁の平泉での名句が思い出され、時の流れにしんみりいたしました。
『夏草や兵どもが夢の跡』 兄の頼朝の軍勢から逃れた義経、弁慶らの屈強のつわもの、東北の藤原三代の栄華もついに鎌倉殿の武力にあえなく滅んだ現場の句です。
後日私の妻となる娘と母とが住んでいた家も跡形もなくただ秋草の揺れるばかりでした。美人だった義母の割烹着姿が浮かんできてしばし佇みました。時の流れはつれなくて、思い出を草の穂の中に覆い隠しておりました。
 バラの園遊会や寮の運動会、女子体育大生とのフォークダンス、ソフトボールなど思い出が尽きません。逢引中にまだ健在だった肥溜めに足を取られた寮生もいました。私は井の頭線富士見が丘まで歩いて週二回家庭教師をしました。夜食付きで愉しかったなぁ。仲間と深夜腹が減って久我山の中華店へ繰り出し、暗黒の畑の道を高吟して帰ったりしました。50年近い昔の夢物語です。
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私の青春、岩崎学生寮(その2)

2011-11-23 17:57:02 | 生かされて今日
 先ず庭の岩崎與八郎創業者の胸像に合掌し感謝を申し上げました。円形ホールで東京桜島会の総会が始まりました。現会長は松元先輩でユーモアで鹿児島での桜島会の盛会を報告。モチロンがごっま弁調ですが永い東京住まいで変調の薩摩訛りです。年間収支報告を承認、次期会長にはソニーの重役をされた国際派の桐原さんが満場一致で新会長になりました。頂いた機関誌『武蔵野』には第1期生(80歳代)から第53期生までの卒寮生が随感を寄せて、私も俳句混じりの感謝文を掲載してくれました。
 あとは待ってました芋焼酎とすき焼き宴会です。NHKOBの高澤氏と初々しい在寮生と鍋を囲みました。私が1年生の時、社交ダンス講習に無理やり引き出してくれた大平先輩、中古のオースチンを手に入れ乗り回した横山先輩など多才バンカラの薩摩隼人たちが集いました。オツムの方は大分禿げておられました。終戦まもない先輩たちは、貧乏で弁当代がなく大学では空腹を水で我慢、アルバイトで学費を稼いだそうです。
大先輩たちは意気軒昂、社会奉仕にゴルフにお酒に友情を続けておられるご様子でした。
 最後には「岩崎学生寮寮歌」(渕脇護作詞、石本美由起補作、上原げんと作曲)を斉唱して解散となりました。作詞の渕脇さんは寮の先輩で、現在鹿児島俳壇の重鎮です。一度鹿児島でお目にかかり、文学館を案内して頂きました。
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私の青春、岩崎学生寮(その1)

2011-11-22 05:32:50 | 生かされて今日
 一代で創業経営者として名前を馳せた故岩崎與八郎翁は、故郷鹿児島の貧乏学生を助くべく昭和26年、東京世田谷区烏山に広大なバラ園に囲まれた岩崎学生寮を建設されました。武蔵野の面影を残し、明治の元勲、樺山侯爵邸の跡地と聞いています。私は18~21才までの4年間、安い寮費でお世話になりました。創設60周年ということで、各界で活躍しているOBは千人を越えています。地元鹿児島では既にお祝いの講演会やゴルフコンペなどが開催されたそうです。
 懐かしい京王電鉄千歳烏山駅にワクワク気分で降り立ちました。プラットホームは当時の倍以上に長くなって、商店街の道も拡張され面影はありません。安酒を汲んだ飲み屋、贔屓にしていたラーメン店、本屋や八百屋など夢の彼方です。
 寮へのバスもありますが、昔の思い出を辿るべく歩きました。関東平野の畑ばかりの道でしたのに高層マンションや高速道路も横切り浦島太郎の感覚でした。
東京女子体育大学の向かいの寮入り口には、「お帰りなさい」の看板が立てられていました。
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長びく天皇陛下のご入院

2011-11-16 07:45:12 | 生かされて今日
 気管支炎で入院中の天皇陛下は39度近い発熱が続いてご退院がのびました。11月中の公務は見合わせの方向と報道されております。三月の大震災から日々の激務も加わりお疲れが出たものと心配です。美智子皇后陛下には病床に毎日朝と夕方お付き添いのご様子です。
天皇陛下は日本国の象徴・シンボルとしてのご公務が終生義務付けられておられるのです。公務を減らすよう宮内庁が動いてもらいた。皇太子さまや秋篠宮さま皇族の方々でお仕事を分担できるよう、ご高齢の天皇陛下のご負担を軽減していただきたいと思います。
 私はもう一段踏み込んで、天皇陛下がご退位できる道を検討して法律改正をすべきだと考えます。たしか、イギリス皇室では退位出来ると聞いております。
これから政治経済文化の国際化が更に進んで、日本国の象徴としての国事行為がますます加算されるものと思います。
ご高齢となり心身のご健康の観点からも、ご退位出来る道だけは開けていただきたいと思います。
 十月さくらがすこし寂しそうに咲いていました。
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法然、親鸞の師弟展

2011-11-11 05:10:25 | 生かされて今日
 午前中、金沢文庫駅で福祉募金に声をあげ、午後から東京上野の国立博物館へ参りました。知恩院の法然上人(浄土宗)とその弟子、西本願寺の親鸞上人(浄土真宗)との師弟展です。
「たとひ法然上人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからく候」と、40才下の親鸞上人が云われた麗しき師弟関係です。法然さんは岡山の武士の出、親鸞さんは京都日野の藤原釜足の子孫で貴族の出です。平清盛や源頼朝、義経の時代です。JR熊谷駅前にある馬上の豪傑・熊谷直実は法然上人の弟子になり出家しました。ポスターは「歎異抄」の有名な文章、「善人なおもて往生をとぐ、いはんや悪人をや」です。国宝「法然上人行状絵図」には当時の世相が描かれて楽しく拝見しました。
 天皇貴族の為だった仏教を法然さんは庶民に法を説かれ、その評判をねたんだ比叡山延暦寺が天皇を動かして弾圧、法然は四国に、親鸞は新潟へ流罪となりました。既成権力、保守派は今でも新しい動きには牙をむくのです。当時の比叡山の堕落には、最澄さまも天国で失望されたでしょう。
わが町の称名寺から阿弥陀三尊像が出展されていましたし、浄光明寺から4メートルもある阿弥陀三尊大像がかぶさるようでした。
 熱心な門徒が来ておられました。12月4日まで開催されます。ふたりの巨人にお目にかかれますよ。
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吟行は秋日和の幸せ

2011-11-06 08:47:37 | 生かされて今日
 あかざ俳句会の吟行は幸せに包まれる秋日和に恵まれました。雨降らし山、阿夫利嶺とも云われる大山が遠くに霞む厚木の七沢、ひつじ田の広がる川沿いを三々五々散策しました。
暑からず寒からずの温室の中のような、年にそうもなさそうな時節です。手足が動いて仲間と野山に遊べる幸せを神仏、両親に感謝しました。
吟行の成果は次の通りでした。

・阿夫利嶺の墨絵となりて水澄める  幸子
・川音の追いかけてくる冬隣     恵美子
・藤の実やしの字しの字と垂るるなり 昌子

・草紅葉万歩へ瀬音高からず     寿美子
・流木の竜骨めきて秋の川      治子
・刈田道は大地のお灸もみの山    弘安

・山神に取り残しをくあけびの実   久夫
・吟行の酒を秘かに天高し      白童
・触るるもの待ちて草の実弾けけり  幸子

・草の絮風より先に飛びたてり    美代子
・せせらぎに秋聴く里の吟行会    駿
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星野富弘さんの歌(その3)

2011-11-05 05:57:44 | 生かされて今日
 首から下の自由を失われた星野さんが、口に筆を持って描かれた緻密な絵とくじけずに前を向く素敵なポエムの絵葉書を見て二首ご紹介します。今日も皆んなともに今日を生ききりましょう。親から授けられただいじな自分の生命を活かしましょう。

 ☆白い息よ おまえに逢える冬の朝は ひと息ごとに
      蒸気機関車のような 力が湧いてくる

  さあ古い悩みなんか吐き出し 新しい困難を思い切り燃やし
      今日という原野を走ろう



 ☆憎らしいあの人も 見飽きた風景も もしも今日で終わりだとしたら
      たまらなく愛しい

  だけど今日で終わりなんて 想うだけでも淋しい
      憎らしい人がいていい 退屈な毎日でもいい 明日が来てほしい
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星野富弘美術館の感動(その2)

2011-11-01 14:49:34 | 生かされて今日
 星野さんが自作の詩を、口に支える筆でおおらかな字体で書き、植物の精緻な絵に添えて出展されています。私は詩を手帖に手早く書き残しましたのでご紹介します。
 再起不能の病棟で「なんで俺を産んだんだ」と、自暴自棄でお母さんを苦しめていた絶望の底から、字を口筆で書こうとしたきっかけは、同じ病床にいた少年を励ましたいという一念だったのです。
他人に役立ちたいという尊い心が、口筆で字を書くことが可能となり、精緻な絵を描くまでに回復させたそうです。並の努力ではなかったでしょう。私のような自分の為だけに生きる凡人には到底真似が出来ません。他人に尽くすこと、利他を目標にすれば、かえって自分の学問や技能文芸を深めることが出来るのですね。


「よろこびが集まったよりも 悲しみが集まったほうが 
       しあわせに近いような気がする

 強いものが集まったよりも 弱いものが集まったほうが
       真実に近いような気がする

 しあわせが集まったよりも ふしあわせが集まったほうが
       愛に近いような気がする」



「神様がたった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら
       母の肩をたたかせてもらおう

 風に揺れるぺんぺん草の 実をみていたら
       そんな日が本当に来るような気がした」
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