四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

人の喜こぶことをしよう

2020-03-29 06:43:01 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『一人の力には限りがあります。お金も身分もなかった秀吉は、「十人の力を借りれば十人力、百人の力を借りれば百人力。人の力を借りるには、人を喜ばせなくてはならん」と、ひたすら人を喜ばせることに心をくだいたそうです。それで、あれだけの大仕事を成し遂げたわけです。
では、どうしたら本当に人を喜ばせることができるかです。佼成会を始めた当初、私は牛乳屋のおやじさん、妙佼先生はイモ屋のおばさんでした。けれども、人さまをお救いしたい一心で、ただひたすら相手のことを考えて尽くしました。苦しんでいる人を見ると、車に乗せてあげる。後押ししてあげて、仏さまの教えに導く。しかも、なんの見返りも一切求めないのです。すると、人が必ず集まってきてくれるのですね。
相手の喜ぶことだけを考えていると、相手に何かしてもらいたいといった要求もなければ、不満も生まれません。こちらに感謝や尊敬を求める気持ちがあると、こんなに面倒をみてあげているのにといった不満が頭をもたげてくるわけです。これでは、どんなにしてあげても、人が慕い寄ってくるわけがありません。』                        庭野日敬著『開祖随感』より

 

PS  コロナウイルスと世界の人類との戦争です。分断から団結へ、差別から融和への英知が  一人一人に求められております。年をまたぐ永い戦争に皆さま覚悟を決めましょう。

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明るい心になろう

2020-03-23 08:16:41 | 生かされて今日

 日々コロナ漬けでウンザリですね。目に見えない恐怖・不安で心が閉ざされ、孤立して不機嫌な世の中になっているようです。氾濫するエセ情報に右往左往、自己中心のあさましい行動が見受けられます。

 私は幸い釈尊を信心し、俳句人でもありますので落ち込まず、努めて命の躍動する今年の春の景色を楽しんでおります。目覚めれば生きて動けると仏さま、親に感謝の合掌をささげ、ラジオ体操をして今日をスタートします。無職なので朝食は頂かずに2食で疑似ベジタリアンです。

朝の日課は10冊ほどの読書、今日の歴史や仏教書、俳句に百人一首などをひろげます。この頃は近所の朝桜巡りです。「朝桜向こうを長き貨物船」駿

コーヒーを味わいながら朝刊をパリパリめくるのも楽しい時間です。

 過日は夫婦で彼岸供養の読経をさせていただきました。手づくりの料理を前に過去帳にある百人ほどの御戒名を読み上げて、ご先祖たちに感謝を捧げました。普段は立正佼成会横浜教会での大規模な「お彼岸供養」に参加していますが、今年はコロナ禍で閉館されており、各家庭でとの連絡でした。名も知らぬ先輩たちの財施で頂いた横浜普門館のありがたみをひしと感じております。理論もいいが「信」の実行こそ人生には大事だと思います。

『私は、神さま仏さまが常に見守ってくださっていることを信じでいるので、いつもありがたくて仕方がないのです。』立正佼成会開祖 庭野日敬師のことば。

 

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兼好法師いわく

2020-03-14 14:11:20 | 生かされて今日

 徒然草(つれづれぐさ)は今から約680年前に卜部兼好が書き、江戸時代からのベストセラーで日本三大随筆(枕草子・方丈記)の一つです。兼好法師は当時の大歌人で京からテクテク歩いて現在の横浜市金沢区の称名寺・金沢文庫近くにしばらく住んでいた事が第三十四段に書かれています。

 人生観・死生観や趣味芸術論や面白い逸話などを二百四十三話に収めました。第百五十段をおおよそ和訳すると以下のとおりです。


芸事を身につけようとする人は、「下手なうちは、人に知られないようにしよう。恥をかかぬよう内々でよく練習して上手くなってから人前に出たら、奥ゆかしいだろう」と常に言うようだが、このように言う人は一芸も身に付くことは無い。

まだ未熟なうちから上手の中にまじりて、そしり笑はるるにも臆せず、意に介せずはげむ人は天分がなけれども、上手の努力しない者より終に上手の位にいたり、徳たけ、人に許されて双なき名を得る事なり。


 つまり芸事は初めからベテランの多い中で揉まれたほうが早く上達するよということでしょうか。
踏んだり蹴られたり冷やかされても精進し続けることが肝要だと教えています。少し上達してから入門しようというのでは遅く、明日は無常ですから善は急げですね。

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兄への懴悔

2020-03-08 17:56:30 | 生かされて今日

 

 六つ上の兄は進学せず銀行に勤めました。残業帰りに交通事故で重傷を負い、父と同じように五十で早世しました。
『ジャンクリストフ』を読み、油絵を描き、軟式テニス部員、親友に薩摩藩学者の末裔で豪傑もいて豊かな青春の兄でした。
同居していた祖父は東京で腕を磨き故郷、鹿児島で証券会社を経営していました。父は地元企業の経営者で、祖父の会社に名義だけを貸していたようです。
その証券会社が社員の使い込みで倒産、父はその借財で家を売り払いました。
 恐らく兄は父母らの窮状を忖度し進学を断念、地元銀行に就職したようでした。
兄の二人の友は大学へ進学、大学と高校の教師となりました。
窮屈で堅い仕事の銀行は兄にはきっと居心地がいいところではなかったでしょう。
計数に明るい父は別の会社の役員となりバリバリ働いていましたが、癌で急逝、私は高校二年でした。会社差し回しの車で学校から病院へ。何ら事情が分からないまま、長い病院の廊下で祖母が私を見て泣き崩れたので事情を察することができました。
 私はさも当然のごとくに上京、進学しました。父の縁で県ゆかりの岩崎学生寮(世田谷区烏山)に入寮、まさに親の遺産で進学できたのでした。
 受験期を迎えると親の恩は勿論だが、身を投げ出してくれた兄の恩義、しかも生前一言も感謝を伝えなかったことが悔やまれてなりません。
 『小罪なれども懴悔せざれば悪道を免れず。大逆なれども懴悔すれば罪きえぬ。』と日蓮聖人のお言葉があります。
老境になりようやく兄への忘恩に気づく有様を恥ずかしいと思っております。

 受験期や兄への詫びの経を読む  

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仏さまはあなたの慈父です

2020-03-02 11:47:53 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『よく人さまから「開祖はどんな人に会ってもよいところを見られ、どんなことに遭っても、いいほうに

解釈されますが、何か秘訣があるのですか」と尋ねられることがあります。
秘訣といえるかどうか知れませんが、私はいつも、仏さまなら、こういう人にどう対されるか、こういうことに対してどう考えられるかと思い起こして、その真似をさせてもらおうとつとめてきました。
子どもは親の真似をして大人になりますね。弟子はお師匠さんをそっくり見習って一人前になっていくわけです。みなさんも、「あの人のようになりたい」と思うお手本があったら、そっくりその人の真似をしていれば、いつのまにかそうなってしまうのです。
毎日出会う人、出合う出来事の一つ一つを、経典に照らしてそこに示されたとおりに実行していくのが、本当に法華経を読誦すること、つまり身読です。約二千五百年前に入滅された仏さまは、私たちの肉眼では見ることはできませんが、経典に示されたとおりに実行すると、目の前にその仏さまがああ

りと見えてくるのです。』


                     庭野日敬著『開祖随感』より

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