四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

子どもの居場所

2018-04-19 09:41:20 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『子どもにとっていちばん大事なのは、外から帰ってホッとできるぬくもりのある家庭です。

その家庭のぬくもりは、お父さんとお母さんの夫婦仲のむつまじさがあってこそ生まれてくるのですね。

 一家の和合は、かりに奥さんがいたらなかったら、ご主人がかばってあげる。ご主人の足りないところは、奥さんが一生懸命につくろってあげる。

そうした支え合いがあって初めて、「互いに足りない者同士だから、二人三脚で人生を乗りきっていこう」という励まし合いが生まれてきます。そうして両親が心を一つにしている姿が、子どもになによりもの安心を与えるのです。

 逆に、夫婦同士で、どちらが正しくてどちらが悪いんだと言い合い、「お前だけが頼りなんだから」と、子どもの頭をなでてあげても、子どもはうれしいはずがありません。

 奥さんがご主人を立てる努力をしなければ、ご主人も奥さんをいたわることもせずに、いくら子どもに期待しても、子どもには重荷になるだけです。

夫婦仲が壊れてしまった家には、子どものいる場所がなくなってしまうのです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

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大願を持ちましょう

2018-04-18 09:03:03 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

  『物や自由ふんだんにあるけれども、社会も世界も先行きどうなるのか分からないという時代ほど、青年の生き方が難しい時代はないでしょう。

 先ごろ『青少年白書』が出されましたが、街頭でのインタビューを聞いてみると、高校生は、ただ大学へ行くことだけで何を勉強するのかは考えていない。大学生は、卒業して将来安心な企業に就職することだけで、どんな仕事で自分の役割を果たすのかは考えていない。そういう人が大半だったといいます。

 仏教では、総願と別願の大切さを教えています。総願とは、なんのために人は生きるのかという大目的です。別願とは、その人、その時の願いともいえましょう。

 松下幸之助さんは、傘下の企業を合わせると数十万人という社員を抱える会社を築かれた方ですが、「人間として生まれたら、人間としての成功が大事。自分はまだまだだ」と言っておられたそうです。

 自分の人生の目標をしっかりつかむと、人は行動が変わってきます。それによって性格も変わってきて、偉大なエネルギーが噴出してくるのです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

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人の話を聞く名人に

2018-04-17 05:10:41 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『どんな言葉でも、いいことだと思ったら、すぐに今日から実行というのが、私の主義です。

松下幸之助さんは、私と同じで小学校しか出ておられませんでしたが、だからこそでしょう、人の話を聞く名人だったと周囲の人が語っています。

「大器晩成の人とは、終生勉強だという考え方を持っている人。見るもの聞くこと一切の体験を心して見れば、万事ことごとくわが師となる」と、松下さんは言われています。

人の言うことには、ついケチをつけたくなったり、気に入らないことだとそっぽを向きたくなってしまうものなのですが、そこで感情に流されてしまうか、そこから何かを学び取ろうと努力するか、その違いで、その人の人生がまるで違ったものになってしまいます。

『法華経』では、香りをかぐことも「香を聞(か)ぐ」と書かれているように、そのことの意味を本当に知ることが聞くことです。それができると、「見聞触知(けんもんそくち)、皆菩提に近づく」糧となっていくわけです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

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懴悔とは実行すること

2018-04-14 19:01:45 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『「これだけはやりぬこう」と誓ったのに、またできなかったとガッカリしている人がおられるかもしれません。しかし、思い立っても実行がいかに難しいかを思い知っただけでも、一つの前進だと思うのです。

 「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」と親鸞上人はおっしゃられます。ちょっと逆のように聞こえます。どんな悪人も広大なお慈悲でお救いくださる仏さまなのだから、まして善人をお救いくださらないはずがない、というほうが分かる気がします。

 しかし、「私は、これっぽっちも間違ったことはしていない」と思い上がると、仏さまのお救いも、教えも求めなくなってしまうのです。自分の弱さ足りなさを本当に思い知った人は、真剣に教えを求めずにいられません。その自覚を持った人こそ、仏さまのいちばん近くにいる人なのです。

 自分が弱くて間違いやすい人間であることを思い知ったら、新たな決定(けつじょう)をし直せばいいのです。今年だめだったら、来年は必ずと決心すればいいのです。それができれば願いは必ずかないます。懺悔とは、新たな決意で一歩を踏みだすことです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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