四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

四国歩き遍路のご夫妻

2008-09-30 06:46:14 | 生かされて今日
 私の古里・鹿児島のいとこ夫婦が歩き遍路、それも連続して巡礼する難行に挑戦中です。鹿児島大学水産学部を出てすぐにウナギを育てる養鰻業をおこし、廃業したばかりです。鰻の供養も目的だそうです。
遍路は風流だなぁとは大変な誤解、知れば知るほどの難行苦行、車に頼らない歩き遍路は大変ハードな修行なのですね。足はマメだらけで、体力気力の限界に挑む行なんです。四国を一遍に巡礼し、夫婦でギブアップするまで行くという覚悟だそうです。
 昨日のメールによると、徳島県を突破、室戸岬を抜け早、高知県の桂浜に達した模様です。夫婦で一歩一歩積み重ねてゆく有様をイメージし、かつて四国に赴任した私は日日興奮しています。高知県が最もきびしい道場と聞きます。我慢ができない私ならとっくに退転して温泉の旅になるでしょうに。親や先祖の後押しで今日もお二人で前進して下さい。合掌
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しょがない大臣

2008-09-28 07:00:48 | 生かされて今日
 国土交通大臣になったばかりの中山センセは、ふるさとが選出した国会議員ですが、福田前総理や太田農水大臣のまねをして責任を投出すようです。
東大から大蔵省の絵に描いたような経歴ですから、エリート意識が抜けずに庶民感覚に欠けているのでしょう。国民に奉仕するという立場がわからない人が大臣ではどうしようもない。根っこから「自民党は賞味期間切れ」であることを照明しました。こんな人物をありがたく選ぶ選挙民も問題ですよね。なんとかできませんか政治家や官僚達よ。
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退きぎわの美(王監督と小泉元総理)

2008-09-25 20:43:29 | 生かされて今日
 世界の王監督が引退されました。なんだか義経のような悲劇の大打者、禅僧の如き求道の人ととても悲しいですね。奥様を亡くされましたし、せめて最後は優勝で花道を飾らしてあげたかったですね。
「感謝しています」とか、今後も野球界に「助力させて頂きます」とかの発言は偉大な人格者の証でしょう。お顔も病気でお痩せになり往時の最強打者を知る者にとり涙が出てしまうのです。監督、ゆっくり心身を癒してください。
 自民党の小泉純一郎元総理大臣もあっさり政界を引退と報じられてビックリしています。さすがイレズミ大臣の祖父に似てけれんみの無い退き際だ。再婚をされ大いに青春を取り戻して頂きたい。ご奮闘お疲れ様でした。
総理大臣は政界の「横綱」であり、投出したり辞めたら引退が当然なのです。まさか福田さんは選挙に出るとは云わないでしょうね。晩節を飾るのは極めて難しいのですね。
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運動会

2008-09-23 06:26:45 | 俳句
 朝打ち揚げ花火がしてなんだろうと思っていたら、少しハイな女のアナウンスが薄々聞こえてきました。近くの中学校の運動会のようです。
腰の軽い私は浮き足立ってカメラを提げ自転車で行きました。父兄でもないので校庭に入る際サインを求められました。
正面のテント席は満席で、来賓や敬老の席がもうけられていました。どんな人物が来賓となるんでしょうか。運動会はいくつになってもワクワクするものですね。
 アナウンスは男子も女子も全部「サン付け」です。この表現は悪平等の見本で、部外者には誰れを指すのかさっぱり分かりません。男生徒はクン付けして下さいよ。
なんでもかんでも同じは男女同権の履き違えです。差別になるからとゴールへ一緒にテープを切らせるバカな学校もあるそうです。
 私の頃の徒競走はハダシが多かったなぁ。裸足に輪ゴムを8の字に掛けるとスピードが増すという迷信がありました。今日は全員靴着用でした。
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最後はやはり桜島

2008-09-22 05:38:19 | 生かされて今日
 桜島へのフエリーは僅か150円で錦江湾の景観を楽しめる絶対はずせないお勧めの乗り物です。今回の帰省中、桜島山頂は雲で素顔を見せてくれませんでした。
櫻島は日に七色に変化し、昔はどの道からも頂が見えたものです。空港バスの出発時刻もあり、桜島でお土産を買いとんぼ返りしました。海から眺める鹿児島市は山の上まで住宅が押し寄せて緑の山がまだらの凸凹になってしまいました。
 昨夜は焼酎を父子で楽しんだ後、2日連続で天文館の薩摩ラーメン和田屋へ行きました。私はここの安いラーメンと大根の皮のつけもんが好きです。店主の名物お婆ちゃんは喜んでくれて、帰りにはお土産を呉れました。割り方がうまいのか焼酎はやっぱり故郷でやるのが一番ですね。
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鹿児島への旅 9.

2008-09-21 05:18:54 | 生かされて今日
 ここが噴火口の「お鉢」です。火口のふちをまわる狭い道を辿ります。
偉そうにしても大自然の前には人間の小さなことよ。
 ゴルフでスタンスを決める際、池やOBラインのハザードに吸い寄せられる感覚に似ています。人生なんでも失敗のイメージを描くといけませんね。弱気になると決ってOBや池ポチャですもの。
オリンピックのような晴舞台で入賞せずとも自己新記録を出す選手はホントに偉いと思います。成功する自分を描くイメージ・トレーニング、プラス思考が必要ですね。
 鹿児島に住む私のいとこ夫婦が四国巡礼を始めました。徳島県鴨島の難所、「遍路ころがし」を雨に打たれて12時間歩き乗り越えたとメ-ルが来ました。
きっとご先祖や弘法大師が後ろから押してくれたのでしょう。夫婦の凄い挑戦に私も興奮します。
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鹿児島への旅 8.

2008-09-20 17:30:28 | 生かされて今日
 鳥居の上に見えるのが天孫降臨の霊山です。高千穂の峰(標高1574M)は右、左はお鉢と称する火口で馬の背という狭い道を伝って回ります。風もありなんせ滑り止めの柵がありません、右は火口へ左は山裾へころげ落ちるリスクのある難所です。めまいがしそうです。高千穂の頂上に「天の逆鉾」が刺してあり、坂本竜馬は引き抜いたそうです。
 ここは高千穂河原という登山口で、火口近くから後退した二番目の霧島神宮の址、古宮址です。鳥の声のみの神々しい静寂が支配しておりました。
カエデが少し紅葉して涼しい天地です。
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鹿児島への旅 7.

2008-09-19 06:30:13 | 生かされて今日
 レンタカーを駈って霧島神宮参拝です。鬱蒼たる樹海の中に朱色の神殿が出現しました。天皇家のご先祖が空から降り立った天孫降臨の山、高千穂の峰の近くに古代から在りましたが、噴火で炎上し三度にわたりこの山下へ引越してきたそうです。
 ご神木の杉は35メートル、樹齢800年とか。色々な宿り木をまとい露にかすみます。
賑やかに中国人観光客がやって来ました。京の寺田屋で幕府方に襲われた坂本竜馬はお龍とアベックで西郷隆盛たちの薩摩霧島温泉にかくまわれ、今では最初の新婚旅行と囃されています。彼らも参拝し高千穂へ登りました。なお、お龍は晩年酒に溺れて漂泊しお墓は横須賀の大津にあります。

  ♪露けしや樹海にひらく朱の社(やしろ)   駿
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鹿児島への旅 6.

2008-09-18 10:42:07 | 生かされて今日
 母校天保山中学の近くに欄干も立派な天保山橋があります。甲突川にかかる石橋で当時は最も河口側にありました。常夜灯を模しています。橋巾はもっと狭く、現在は広広とした幹線道路となっていました。
 メジロ取りやゴカイを掘った幼なじみの家は、道も家並みも面影もなく場所さえ想像も出来ません。 六月灯(ろっがっどう)と云う夏祭りでは提灯が揺れ、屋台のカーバイトのにおいにむせた浴衣姿の行き交う下荒田の川も暗渠になり車道になっているようです。
 中学1年生の授業中、轟音がして桜島南岳の噴火が始まり今だ50年以上噴煙を吹き上げ続けています。一階窓側席の悪ガキ君は驚いて窓から飛び降りてしまいました。彼は近くにあったNHKの75メートルの鉄搭によじ登りアブラを絞られた勲章を持つ。どうしているかなぁ。英語の高野先生には指揮棒の如き竹のムチでよく叩かれました。ハンサムな先生も鬼籍に入られたそうです。
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鹿児島への旅 5.

2008-09-17 07:06:15 | 生かされて今日
 わが一族の長老95歳の伯母さんの家にご挨拶に参りました。鎌倉の鳩サブレーをおみやげに唐突な表敬訪問です。チャキチャキの元気な伯母で口紅を差して迎えてくれました。息子と私の顔を眺めて、「誰に似たんじゃろかい」と不思議そうでした。
義姉や妹の自宅、いとこの会社をめぐり、武之橋からなつかしい甲突川にそって天保山町(てんぽざんちょう)へ歩きます。江戸時代の天保年間に埋め立て錦江湾に突き出た町で昔は別荘風の瀟洒な感じでした。小学校と中学まで七人家族で暮らした思い出が詰まっている「父ははの町」です。
 わが母校・天保山中の庭には、今人気の天璋院篤姫の義父で西郷や大久保を抜擢した島津斉彬公が軍を鍛えるために視察した丘があります。日暮れまで遊び毎日ボタンがちぎれていた中学生でした。シャリアピンのLPレコードを回してくれた美人の音楽の浦上先生は亡くなられたと聞きました。高校受験の前日、がんばってねと窓越しに握手して頂きました。
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鹿児島への旅 4.

2008-09-16 21:25:05 | 生かされて今日
 新幹線のターミナル駅となり永らく親しんだ「西駅」の名は消され、鹿児島中央駅となりました。彩りの商業ビルに観覧車まで出来て先ずどこが駅入口なのか分かりにくい上に、全国どこにもある駅の姿で独自な鹿児島の風土の色合いが出ていません。没個性でガッカリです。独自の歴史、強い訛り、独自の誇りが「マネーと云う世界基準」に呑み込まれた感じです。小泉改革の象徴のように感じました。
 写真の右は幕末にロンドンに密航した薩摩藩士達の像です。松木弘庵(寺島宗則)はわが神奈川県初代の知事となりました。13才で密航した永沢 鼎(かなえ)は信仰を得て米国に渡りブドウ王となりました。生涯帰国せず、島津家の縁者が渡米した折には平伏して迎えたそうです。興味がある人物です。
大阪商工会議所初代会頭になったのは五代友厚です。帰国後の薩英戦争の際、寺島と英軍艦に乗り込んで行きました。薩摩では勇気ある者をボッケモンと云います。
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鹿児島への旅 3.

2008-09-15 17:46:42 | 生かされて今日
 市内を走るチンチン電車の敷石に芝生が植えられ、街の清潔感が増しました。温暖化防止のこともあるのでしょう。一日乗車券を買うと600円で市バスも自由に乗り降りできます。ゆっくりと市内観光が出来てお勧めです。運転手さんのやさしいカゴッマ弁に聞き耳を立てました。私は鹿大付属幼稚園でこの電車で通園しました。
 全国でいまだ健在のチンチン電車は確か長崎市、広島市、松山市、岡山市、松江市、富山市、金沢市、岐阜市、函館市などでしょうか。吊り輪やレール音、警笛にも情緒があります。鹿児島はバスが発達しひっきりなしに来ますが、市営バスか否かを判断するのに苦労でした。以前は色ですぐ分かったのですが。
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大相撲の番付

2008-09-14 06:07:03 | 生かされて今日
 今日は東京両国国技館でトラブル続発の大相撲の初日です。息子が序二段の鹿児島の同級生がいつも番付表を送ってくれます。
薬物汚染で解雇されたロシア3力士の表示は分かれました。指先の白くブランクなのは若ノ鵬、露鵬兄弟は抹消できずに印刷されてしまいました。
後日ナンデダローと思われるオソマツナしろものとなりました。
 国技を汚した責任を自覚できない北の湖もようやく理事長職をシブシブ降りましたが理事には残留だそうです。引き際を誤るのは福田総理大臣だけではありませんね。
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鹿児島への旅 2.

2008-09-13 07:49:06 | 生かされて今日
 空港からバスで鹿児島市へ到着、秋の朝とは云えども朝日が射してくると痛い程です。
早速、城山の裏にあるお墓へ詣でます。わが祖父が柄杓の水が掛からない程高い立派な墓を建てています。並びには親戚の墓もあります。鹿児島はお墓を大切にする所でいずこもお花が絶えません。
 明治十年国内最後の反乱、西南戦争の導火線はここにあった陸軍火薬庫を西郷隆盛を敬愛する士族が襲撃する暴走から始まりました。西郷さんは遠く大隅半島の山で狩をしていたそうです。不本意ながら反乱の顔、シンボルにされてしまったようです。
反乱軍は熊本城を落せず、田原坂で政府軍に進撃を阻止され、ここ城山で壊滅しました。国賊となった西郷さんは流れ弾にあたり、別府晋介の介錯で自決されました。
 西郷さんは国民的英雄ですが、写真嫌いで一枚もないので上野の銅像は親戚の大山巌と西郷従道との合作で出来た由。奥さんが似ていないとつぶやいたそうです。鹿児島では明治の三傑(西郷・大久保・木戸)の切れ者、大久保利通は不人気です。私は尊敬しています。
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鹿児島への旅 1.

2008-09-12 05:40:15 | 生かされて今日
 次男坊とふるさと鹿児島へ2泊3日の旅に出ました。一番電車に乗り待ち合わせの羽田空港へ。ありがたいことに旅費は息子もちです。
 写真は12000M上空からの高知県室戸岬で、若き日の弘法大師が荒行に打ち込まれた洞窟があります。「空海」の御名はその洞窟からの眺望だったと聞きました。
 昭和44年新婚の私は四国高松営業所の初代として転勤、3年間香川・徳島・高知の3県を走り回りました。みどりなす黒髪の青年でした。機上にその時代の懐かしい思い出が湧き上がりました。実に無常迅速です。
 椿の花の足摺岬上空を過ぎると片道燃料の特攻「戦艦大和」が出撃した日向灘です。水兵さん達は日本本土の景色をいかなる思いで観たのでしょうか。既にもう米軍潜水艦に探知されていたそうです。南無妙法蓮華経
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