芭蕉さんと曾良の「おくのほそ道」は、陽暦5月16日に渡し舟で隅田川を遡りスタートしました。別れを惜しむ弟子衆は千住まではと同船していました。
翁一行には一度も足を踏み入れたことのない未知の国への旅たちです。
翁は46歳の老境で胃痛や痔の持病持ち、東海道のように治安が良く一里塚や旅籠など整備されていないみちのくの旅です。同行する河合曾良は41歳、共に武士あがりの僧形の隠者です。
150連泊を超す蓑と草鞋、旅手形の旅は不安だったでしょう。行倒れを覚悟のまさに冒険の修行の旅ですから水盃の別れだったでしょう。
千住で縁者と最後の別れをして日光街道へ歩み出しました。
日光から那須黒羽にある大関藩の弟子を尋ねんと近道しました。宿の主人の自称・仏五左衛門に勧められたのです。
土砂降りや広大な野に迷い農夫に道案内を乞うと、止まったところまでと野飼いの馬を貸してくれました。馬の翁に兄妹ふたりの童がついてきました。
小娘に名を聞くと「かさね」と。翁はこんなひなびた暮らしに優雅な名前だと感心しました。
「かさねとは八重なでしこの名なるべし」 曾良
翁の代作です。馬が止まった人里で謝礼を鞍に結び別れました。
長旅を終え縁ある人から赤ちゃんの命名を頼まれ、「かさね」と名付けたことが翁の俳文(「重ねを賀す」)にあります。おおまかな意訳は下記の通り。
『奥州の旅の時、どこの里だっただろうか。小娘の六つばかりがとても可愛かったので名を問うと「かさね」と答えた。
こんな田舎にどうしてこんな優しい名前が残っているのだろうか。
もし私に子があったらこの名をつけようと同行の曾良に冗談を言った。
後日縁あって膳所の人に頼まれ名付け親となり重ねと名をつけました。』
この俳文には珍しく翁の和歌が添えてあります。