四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

自分は何者なのか

2023-01-28 08:05:35 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『私たちはいま、地球上の出来事はもちろんのこと、他の天体のことまで分かる時代に生きています。ところが、それほど物知りになった現代人が、自分自身のことについては何も分かっていない、というのが正直なところではないでしょうか。

仏教には「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」自分の足元を見つめよ、という教えがありますし、西洋の哲人もまた、「汝(なんじ)自身を知れ」と説いています。「現代人とは、自分のこと以外はなんでも知っている人間だ」と、皮肉たっぷりに言う人もいます。

 つまり、ほかのことはなんでも知りたがるのに、自分自身のことは少しも知ろうとしないのが現代人だ、ということになりましょう。人の欠点や失敗、スキャンダルは見逃さないのに、自分の欠点には気づこうともしないわけです。

 子どもたちにしても、最近の子どもは昔の五十代、六十代の人よりも物知りではないかと思える半面、人間の心得とか、他人への思いやりといったことについては、まったく何も知らない。いや、教えられていないのです。それで友だちとどう接したらいいのか分からずに苦しんでいる子どもも多いといいます。こんな不幸なことはありません。』                  

         庭野日敬著『開祖随感』

 

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幕末の薩摩の志士

2023-01-04 08:19:18 | 生かされて今日

 薩摩藩の菩提寺に多数の幕末の無名の志士を合祀した大円寺(東京杉並区)があります。幕末の大混乱の時期にはるか薩摩から上京した若者たちに合掌したいと思いました。

 大円寺は品川にあった薩摩藩屋敷に近く藩の菩提寺となり、明治時代に現地へ転居した禅寺です。開基は家康で寺門や本堂には葵のマーク、本堂には丸に十の字の島津藩の図が。寺裏は荘重な石塔がおびただしく大樹の下にひっそり連なっておりました。

 野球帽を脱いで一人こわごわ逍遥、風に卒塔婆が鳴るとビビりそうです。

佐幕派に焼打された品川薩摩藩邸70余の犠牲者の合祀石塔に手を合わせました。

言葉も水も人出も田舎薩摩とは異次元の江戸で散った若者を偲びました。はるかな国元では家族兄弟がどんな思いでいたことでしょう。寒風に舞う枯葉の音が泣き声に思えました。凍てつく異国での眠りです。南妙法蓮華経。

「幕末の志士の墓原初まうで」駿

 

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