『キリスト教では「神の下僕(しもべ)」という言葉を使い、仏教では「仏の子」とか「仏弟子」といいますが、信仰者にとっていちばん大切なのは、絶対なる真理と、その具現(ぐげん)者である神仏に帰依(きえ)する心でしょう。
奉仕とは、読んで字のごとく「仕(つか)え奉(たてまつ)る」ことです。仏さまのみ心をわが心とし、仏さまの教えを日々の生活に実行いたします、という誓いが、仏さまに仕え奉る出発点です。
ところが、神仏に仕え奉る下僕、仏さまのお弟子であることを忘れて、法の威(い)を借りて自らを高しとし、自分をまわりの人に押しつけるような態度をとる人が、ときどきいるのです。それでは、自分の欲望やわがままを通す道具として法を利用していることになってしまいます。うっかりすると、すぐその過ちに陥ってしまうのです。
信仰者とは、あくまでも神仏に仕える者として、自らを律する心を忘れない人のことです。それを忘れると、法を立てているつもりが、法を盾にとって自分を立てることになってしまいかねません。くれぐれも戒めなくてはなりません。』
庭野日敬著『開祖随感』より