『親のお体裁で無理やり有名校へ進学させた娘さんが道を踏みはずしてしまい、それで苦しみぬかれたお母さんの説法を聞かせていただきました。お母さんは教会で部長のお役をいただいていたのですが、「部長さんの娘さんが、すごい格好をして歩いている」といった信者さんの声が道場中に広がって、お母さんはたまらなくなってしまったのです。
教会長さんに「こんな娘がいたのでは、お役をする資格がありません。引かせてください」と申し出た、そのときの教会長さんのひと言が、お母さんを救ったのです。
「あなたもつらいね。私の息子も親の言うことを聞いてくれないのだよ。お互いに切ないね。でも、それだからお役をいただいているんですよ」
そのひと言に、部長さんは涙が止まらなくなったのでした。
「愛語というは、衆生をみるにまず慈愛の心を発し、顧愛(こあい)の言語(ごんご)をほどこすなり」と道元禅師は言われます。いつくしみの心で相手とひとつになって、相手を安心させてあげる言葉が、愛語です。自分と相手との隔てを取り払った愛語は、人の運命をも変える力を持つと道元禅師はおっしゃるのです。』
庭野日敬著『開祖随感』より