四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

愛語の力

2018-08-31 06:46:08 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『親のお体裁で無理やり有名校へ進学させた娘さんが道を踏みはずしてしまい、それで苦しみぬかれたお母さんの説法を聞かせていただきました。お母さんは教会で部長のお役をいただいていたのですが、「部長さんの娘さんが、すごい格好をして歩いている」といった信者さんの声が道場中に広がって、お母さんはたまらなくなってしまったのです。

教会長さんに「こんな娘がいたのでは、お役をする資格がありません。引かせてください」と申し出た、そのときの教会長さんのひと言が、お母さんを救ったのです。

「あなたもつらいね。私の息子も親の言うことを聞いてくれないのだよ。お互いに切ないね。でも、それだからお役をいただいているんですよ」

そのひと言に、部長さんは涙が止まらなくなったのでした。

「愛語というは、衆生をみるにまず慈愛の心を発し、顧愛(こあい)の言語(ごんご)をほどこすなり」と道元禅師は言われます。いつくしみの心で相手とひとつになって、相手を安心させてあげる言葉が、愛語です。自分と相手との隔てを取り払った愛語は、人の運命をも変える力を持つと道元禅師はおっしゃるのです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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手をつなごう

2018-08-26 07:01:25 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『宗教にはそれぞれの信仰の対象、本尊がありますが、そのそれぞれの信仰対象やご本尊の優劣を論じて争うのは愚かなことです。もはや、そういう時代ではありません。

すべての宗教は人を救い、幸福にすることをめざし、この世界を平和に導くことを究極の願いとしています。その点では違いはありません。人類が核戦争の危機にさらされているときに、宗教者が互いの教義や本尊の優劣を競い、言い争ってなんになりましょう。

心を開いて、自己の改めるべきは改め、他に学ぶべきは学び、それによって互いに力を合わせて人類的危機に対さなくてはならないのです。いまこそ人類全体のために貢献する宗教の原点に立ち返らなくてはならない時です。

「私は、一つのことをしようとして失敗した。あなたも、何かをやろうとして失敗した。だが、手をつないでやれば成功するだろう」という言葉があります。

そうした謙虚さをもって立ち上がることです。世界宗教者平和会議開催の真の意義は、まさにそこにあります。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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嫌なことを受け容れる度量

2018-08-24 06:44:51 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『リーダーとは、さまざまな人の考え方、さまざまな力を生かして、一つの秩序と調和をつくりだしていく人といえましょう。それでこそ事が成るわけです。

その調和をつくりだすのに、いちばん大切なのが「忍辱(にんにく)」です。忍辱というと、じっと耐え忍ぶことのように考える人が多いのですが、それだけではありません。こちらは不動の信念を持っていて、それを貫くために、さまざまな考え方、さまざまな立場を受け入れる積極的な生き方が忍辱です。土佐藩主の山内容堂は、はじめ「忍堂」と号していました。それを、忍堂では人間がまだまだ小さいと言われて、容堂に改めたのだそうです。自分と反対の意見を主張する人に手こずると、「この人さえいなければ」と考えたくなりますが、「この人こそ、自分を磨いてくれるために、仏さまが遣わしてくださった人」と拝む。忍ぶのではなく、受け入れるのが本当の忍辱なのですね。

「気は長く、心は広く、腹立てず、自分は小さく、他人は大きく」という古歌があります。どれだけの人を受け入れられるかで、自分の器が決まります。「忍耐とは希望を持つ技術だ」と言われる人もいます。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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平和のために何をするか

2018-08-15 06:49:26 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『八月十五日の終戦記念日が今年もめぐってきました。あの日から早三十四年が経ったわけです。当時の日本男性の平均寿命は驚くほど低くなったという記録が残っているそうです。若く、尊い生命がどれだけ戦火に奪われてしまったことか……。

現在の私たちの繁栄は、そうした人たちの血と涙の犠牲の上に築かれていることを忘れてはならないのですが、三十四年の時の経過は、そうした記憶を次第に消し去っていくように思えます。いまの私たちは、平和にどっぷりと漬(つ)かりながら、その平和のありがたさを忘れがちなのではないでしょうか。

終戦後、日本はなんの犠牲も払わずに民主主義を与えられ、それがいまや、わがまま勝手の代名詞のようになっています。民主主義は決して完全なものではありません。しかし、かつて全体主義が日本をあの悲惨な戦争に導いたことを思うと、私たちの手で、この民主主義をよりよいものに育てていく大切さを痛感せずにはいられません。それには、国民自身の成長がなにより大事です。平和憲法さえあれば何もしなくても平和でいられるのではなく、一人ひとりが平和のために自分にできる献身を惜しんではならないのです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

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目の前の人を拝む修行

2018-08-14 08:16:58 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『お釈迦さまは法華経で、すべての人に成仏の保証を与えられています。その条件として、たとえば舎利弗(しゃりほつ)尊者に対しての授記では、「舎利弗よ、あなたは無数の仏につかえて菩薩行に励み、未来世に華光という名の仏になって人びとを救うことになります」と語られます。万億の仏の供養が成仏の条件としてあげられているわけで、私たちには、ほど遠いことのようにも思えます。

しかし、そのお手本が具体的にちゃんと示されているのです。それが常不軽菩薩(じょうふきょうぼさつ)の礼拝行です。常不軽菩薩は出会う人出会う人を拝みぬきます。自分をののしる人にも、暴力を振るう人にも、仏を見ていくのです。

私たちは、家庭で、職場で、社会で、数えきれない人に出会います。その一人ひとりに仏さまがいらっしゃるのです。その仏さまを拝んでいくのが万億の仏を供養することだともいえましょう。自分を守ることに汲々とするのでなく、出会う人のすべてに喜びを与えていける自分になる決意をしようではありませんか。まず、自分が光り輝く存在にならなくてはなりません。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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人間には限界がある

2018-08-04 05:52:59 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『自分の目で見て確かめられるものでなければ信じない、という人がいます。しかし、それでは大事なものを見落としてしまいはしないでしょうか。

私たちがふだん聞いている音は、自分の耳に合ったごく一部の音にすぎず、周波数がうんと高かったり低かったりすると、聞こえません。自分の耳に聞こえる音が、すべてではないわけです。それと同じで、この世界は私たちには感受できない広大な広がりをもっています。

仏さまのお姿は私たちの肉眼では見えませんが、教えどおりに行じると、仏さまの存在がはっきりと見えてきて、その大きな懐に抱かれている自分に気づかずにいられません。 信仰をしている私のいちばんの幸せは、仏さまがいつも一緒にいてくださるのを感じられることです。その幸せを、私は最近、さらにしみじみと思わずにいられないのです。

ですから、生きているうちは仏さまのみ心のままに生きてなすべきことをなし、ご用が済めば仏さまのもとへ帰らせていただくのだ、と私は心に決めています。これほど安心な生き方はないと思うのです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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