四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

ワシントンDC紀行(その11)

2011-01-30 19:53:11 | 生かされて今日
 多数の恐竜の化石展示が有名なアメリカ歴史博物館の正面玄関です。エントランスに捕獲された最大のアフリカゾウの剥製がお出迎えです。この博物館も広すぎて、恐竜コーナーのほんの一部だけを見学しました。無料なのですが膨大でかつ広いので見学には体力と好奇心が必須です。化石の調査をする研究室がガラス越しに覗けるようになっていました。アメリカは恐竜の化石の宝庫らしいです。

 呪いの宝石と称される「ホープ ダイヤモンド」は42.5カラットのブルーダイヤです。インドのデカン高原で発見され、フランスのルイ14世など権力と富豪の多くの手を経ており、所有すると大きな不幸をもたらしてきたダイヤだそうです。名がホープなのに悪女みたいですね。
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ワシントンDC紀行(その11)

2011-01-28 16:40:49 | 生かされて今日

 地下鉄でケネディ大統領が眠るアーリントン国立墓地へ行きました。一部凍結したポトマック川を渡りペンタゴン駅の隣の丘陵にありました。国のために生命を投げ出した方々への哀悼の場所です。クリスマスが終わったばかりで赤いリボンの献花が一部に残されていました。膨大な数の墓碑が丘の起伏を埋めていました。第一次世界大戦からの戦場での犠牲の山で、戦争の愚かさ、悲しみを見せつけております。戦場の悲鳴、叫び声が霜の芝生に染みこんでいます。この米国兵の墓碑の少なくも数十倍の敵兵の犠牲者と遺族の嘆きが聞こえてきます。墓碑に MY SON と刻んであり親の嘆きが・・・。
 43才で大統領就任、ダラスで暗殺されたケネディ大統領のお墓は案内板ですぐわかりました。厳粛にせよとの注意書きがなされ、観光バスも停車しておりました。大富豪オナシスと再婚された奥様が隣の石板の下に眠って、追憶の火焔が小さくひるがえっていました。どうか非暴力のシンボルにこの火がなるようにと祈念、合掌いたしました。丘の上の国旗は半旗です。



 墓地の丘を下ってしばらくすると国立墓地に隣接してアメリカ海兵隊記念碑です。たまたま大きなカリヨンが正午を告げてきます。栗林中将指揮の2万余の日本兵が全滅した硫黄島摺鉢山に星条旗を立てんとする6名の有名な写真が銅像になっていました。
説明板によるとこの6名の海兵のうち半分の3人は、硫黄島でこのあと戦死しています。戦争だけは絶対に政治家どもにさせてはなりません。犠牲になるのは庶民なのですから。硫黄島の日本兵の遺骨はまだそのまましゃれこうべのままなのです。そんな非道な国ってあるでしょうか。
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ワシントンDC紀行(その10)

2011-01-27 13:30:06 | 生かされて今日
 過日、中国の胡錦濤主席がはじめて国賓待遇で招かれたオバマ大統領の執務するホワイトハウスに来ました。地下鉄から数分、ラファイエットの騎馬像(銅像が多いのはヨーロッパに比し歴史が浅いための劣等感でしょう)を背にすると目には馴染みの青芝に白亜の建物がそれでした。鉄柵に囲まれた何気ない建物です。さすがに警察の車が3台、イスラエルに抗議のテントがひとつのみで閑散としています。ここが世界政治の中心とは思えない穏やかな冬日和です。隣は財務省です。真向かいのビルの中に観光客むけの店がありオバマさんの顔のシャッやJFKやワシントン、リンカーンなど歴代大統領にちなむお土産を売っていました。
 ぐるり歩くとホワイトハウスの南側を遠望するところに出ます。大樹のクリスマスツリーが片付けられているところでした。なにせ米国は広々としていて、芝生がゆったりと土地の感覚が違うのです。蒼天の原には大きな雁が群れをなして遊んでいます。
初代大統領ワシントンを記念した大塔に出ました。ぐるり星条旗がはためいて、全容を撮ろうにも入りきれません。塔のてっぺんに上れば、街の全容が見れるようです。桜の花が小さくチラホラしていました。春爛漫の桜まつりの頃が観光にはベストなのでしょう。
 街の東西にまたがる大きなモールと呼ばれる公園に出ました。東の端は白亜の国会議事堂、西はリンカーン記念館そのあいだに国立自然史博物館、ナショナル・ギャラリー、国立航空宇宙博物館、国立アメリカ歴史博物館など多数のスミソニアン博物館群があります。しかし、我国の千年を越える法隆寺や薬師寺の五重塔を、当地の市民が見たらさぞビックリするでしょうネ。200年対1000年の差ですから。
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ワシントンDC紀行(その9)

2011-01-25 16:38:18 | 生かされて今日
 お世話になったスーパーマーケットに日本では珍しい美しい青りんごが売られていました。特売のチェリーは美味しく食べましたが、南米のチリからの輸入品でした。
 この店のレジには2コースあり、自分で機械に入力してカードで支払うエクスプレス型と店員に依頼する通常型がありました。息子は急行型で支払っていました。ただ、ワインを買う際に年齢の証明が必要らしく、若く見える息子にはついにお酒は売ってくれなかったそうです。白髪の私が通常型で難なく買いました。お酒の広告もゴクゴク飲む場面はダメと聞きました。
人命に関わるピストルの規制は大甘なのに、アルコール飲料の取締りには日本より厳しい様子です。不思議だぁ。パンを買うとスライスする厚みの幅を尋ねてきました。多くの厚みが選択できるようです。
 当地ではカードによる支払いが進んでいて、なんと地下鉄の切符までOKです。バスやタクシーではキャシュですが。ワシントンの地下鉄の駅は造りが質素で深いです。核攻撃を想定しているのかもしれません。一直線に下るエスカレーターは怖いぐらい深く、ホームは薄暗いです。危険な理由からトイレはありません。「ステップ バック、ステップ バック ドアー イズクロージング」との女性のアナウンスが耳に残りました。
当初いつも自動改札が抜けられないので何故だろうと注意書きを読むと、切符の値段が日の時間帯により上下するためと判りました。Be Careful.
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ワシントンDC紀行(その8)

2011-01-24 15:03:28 | 生かされて今日
 超音速の高高度偵察機で、沖縄に配備されたことがあるそうです。ソ連に撃墜されたスパイ機U-2の後継偵察機です。偵察衛星の進化により退役となりました。不気味な格好で、巨大な覆面機です。見学している人間と比較するとその大きさがご理解できるでしょう。
 奥に鎮座しているのは、スペースシャトルです。多種類、多数の国の名機が揃い踏みで、とても広いので見きれないのです。航空機フアンには時間があっと過ぎ去ります。それでもここは国立航空宇宙博物館の本館ではなく、ダレス空港の近くにある別館(Steven F.Udvar-Hazy Center)なのです。解説の英語を電子辞書に助けられての見学となりました。なお、日本語の館内案内が頂けます。
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ワシントンDC紀行(その7)

2011-01-22 05:26:19 | 生かされて今日
 食事はマクドナルド風ばっかりでうんざりしました。なんせ国立博物館にある食事処はマック、又ホテル近くにある大手スーパーマーケットにも子どもが喜びそうな彩色のゴテゴテ食材が多くて困りました。大きな商店街のモールがあるというので地下鉄のペンタゴン・シティ駅に行きましたが、潤いのある食事が出来ませんでした。この街は政治・行政の中心で、マック風以外に軽食やレストランが少なく、あまり食生活に関心が薄いような感じがしました。科学技術、経済には突出するお国ですが、食事を楽しむとか、今日は何をランチにしようなんて考えないようです。一般的に食に関してはオーザッパな国ですね。また、売られる量がデカく、少量多種を好む日本人は閉口させられます。パンにスープ、サラダに果物とオーストラリア・ワインで我慢でした。
 海の物山の物や発酵食品が多い日本食の素晴らしさに気付かされました。食文化の一点だけからですが、いずれ将来日本は米国に勝てそうな感じがしました。
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ワシントンDC紀行(その6)

2011-01-19 22:20:21 | 生かされて今日
 想像を越える巨大なB29、エノラゲイです。世界で初めて残酷なる原子爆弾を広島に投下しました。エノラゲイとは機長のお母さんの名前でした。全体がファインダーに収まらぬ巨大な「空の要塞」で12名が乗っていました。主翼のフラップも馬鹿でかいもので、こんな巨人機を作れる国とよく戦争をしたものだと思いました。一機でも凄いのに、数百が編隊を組んで木の家の日本を絨毯爆撃したのですからたまりませんね。
機首はシースルーで2階通路から覗き込めます。原爆投下の悪魔の機体なので破壊工作を懸念して厳重な管理のもとにあるようです。
日本人としては眼前にして憎しみ恨みを隠すことは出来ませんでした。クタバレと呪文をかけておりました。
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ワシントンDC紀行(その5)

2011-01-18 07:33:13 | 生かされて今日
この水上攻撃機は「晴嵐」と云い米国本土やパナマ運河爆撃を意図した折りたたみ式海軍機です。私は今まで知りませんでした。大型潜水艦伊400に折りたたまれて3機を収納し、攻撃目標近海に浮上した際に発進し爆弾を投下する計画だったそうです。潜水艦と攻撃機をミックスしたこの先進的技術に米国軍は舌を巻いたそうです。この機は飛び立てば収納はほぼ絶望ですから、一種の特攻機といえましょう。
ボランティアガイドが時間を割いて説明していました。英語ですから私は??でしたが。
ガイドはきっと米軍の誇り高いOBです。敗戦国の日本ではもつと英霊や元兵士が敬われるべきではないでしょうか。ほとんどの方が否応なく戦場に狩り立てられた犠牲者ですもの。反戦平和は当然だが、お国のために生命を投げ出した御霊に、兵士たちや民間人に敬意を払うのは後輩の義務だ。
後ろの尾翼にRが付いているのが、かのネノラ・ゲイ、悪魔のB29、空の要塞です。
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ワシントンDC紀行(その4)

2011-01-17 15:12:51 | 生かされて今日
宇宙飛行士のはめた手袋です。関節の曲りまで精巧に造られています。狭い機内に窮屈な宇宙服に身を固めても、月探査に命をかけるフロンテァ精神には敬服するばかり。閉じ込められる閉所恐怖に私は身がすくみます。女性飛行士用の宇宙服も展示されていて、向井千秋を思い出しました。なんと勇気ある科学者達なのでしょうか。
 なお、バスに乗る際は運転手さんに「ハーイ」と笑顔でお金を入れてと教えられました。視線のシグナルで相通じますね。おんなじ人間ですもの。
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ワシントンDC紀行(その3)

2011-01-16 09:24:43 | 生かされて今日
ダラス空港からウドバー・ハジー・ミュージアウまでのバスは片道50セント15分です。ダラス空港10時30分が始発で、ほぼ1時間に1本出ます。空港案内所でパンフを頂きました。バス料金はお釣りが出ないので小銭の準備が必要です。
 正面奥に宇宙への乗物・スペースシャトルが鎮座しています。写真でおなじみですがその大きさにびっくりです。前脚を収納する部分や三角翼の耐火タイルの厚みに飛行の難しさが滲みます。後ろからは大きくてファインダーに収まりません。周囲には宇宙服や持参する器具、歯磨きや宇宙食、空へ打ち上げるロケットの枠、部品等が展示されていました。
 自然へのあくなき挑戦、神を恐れず屈服させようとする科学的探究心は凄いですね。アメリカの国威発揚のシンボルです。それにしても見上げる大きさです。
 なお、ウドバー・ハジーとは財を寄付された百万長者のお名前のようです。
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ワシントンDC紀行(その2)

2011-01-14 14:57:45 | 生かされて今日
二日目を息子がご執心のSteven F. Udvar-Hazy Center見学に当てることにしました。この航空博物館にはスペースシャトル、恨みのB29エノラゲイ、紫電改やジェット特攻の桜花、コンコルドやグラマンワイルドキャット、ドイツのユンカース爆撃機などなど本物が身近に見られるのですから興奮します。荷物検査はありますがワシントンの博物美術館群は全て無料なのです。
 ホテルからサーキュレーターという循環バス(全て1ドル)でランファンへ行き、ダレス空港へのバスに乗りました。ポトマック川を渡ると車窓からベンタゴンの威容も見えます。
 ダレス空港案内カウンターのおばさまが何故2人1ドルで済むウドバー行バスを使わないで高価なタクシーを使うんだと注意してくれました。でも見学時間が欲しいと分かるとタクシー乗場へわざわざ連れて行き窓口に繋いでくれました。異国での親切は身にしみます。
 ウドバーでは先ずコルセア戦闘機が吊るされています。偵察機U2の後継機ブラックバードは不気味でデカイです。写真は桜花です。ジェットの人間爆弾機です。最強の紫電改と夜間戦闘機月光も。戦死の英霊に頭が下がりました。合掌
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米国ワシントンDC紀行(その1)

2011-01-12 17:28:48 | 生かされて今日
 正月3日早朝リュックを背に成田空港へ向かいました。途中の車内にメールが来て、同行する息子と一緒になりました。世界を動かすアメリカの首府ワシントンに初めて飛ぼうという次男坊同士の海外旅行です。パスポートだけは肌身離さず2時間前に出国手続きし、ANA(NH002便、全日空の国際的略号は旧社名ニッポン ヘリコプタのNHです)での出発を待ちます。免税店には中国人の好きな炊飯器が光っています。ジェット2発の旅客機は難なく太平洋とアメリカ大陸とをまたぎ東海岸まで直行出来るのですから凄いなぁ。お隣りの男性はベジタリアンで特別食、合掌されて頂かれていました。朝11時過ぎにテイクオフ、約12時間で朝のダレス空港に着陸しました。予定では空港近くにある航空宇宙博物館別館のウドバー・ハジー・ミユージアムへ行く予定でしたがじっくり見る時間がないので今日は断念、DC中心部へ直行バスにのりました。6ドル50分でランフアン駅着。中心部のモールへ出ると国会議事堂が堂々と輝いて近くまで歩きました。議事堂の上に立つ像は誰なのかわかりません。日本とは違う寒さが骨に来る感じです。
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