四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

まず自分を知る

2019-01-29 09:29:03 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『私たちはいま、地球上の出来事はもちろんのこと、他の天体のことまで分かる時代に生きています。ところが、それほど物知りになった現代人が、自分自身のことについては何も分かっていない、というのが正直なところではないでしょうか。

仏教には「脚下照顧(きゃっかしょうこ)」-自分の足元を見つめよ、という教えがありますし、西洋の哲人もまた、「汝(なんじ)自身を知れ」と説いています。「現代人とは、自分のこと以外はなんでも知っている人間だ」と、皮肉たっぷりに言う人もいます。

つまり、ほかのことはなんでも知りたがるのに、自分自身のことは少しも知ろうとしないのが現代人だ、ということになりましょう。

人の欠点や失敗、スキャンダルは見逃さないのに、自分の欠点には気づこうともしないわけです。

子どもたちにしても、最近の子どもは昔の五十代、六十代の人よりも物知りではないかと思える半面、人間の心得とか、他人への思いやりといったことについては、まったく何も知らない。いや、教えられていないのです。それで友だちとどう接したらいいのか分からずに苦しんでいる子どもも多いといいます。こんな不幸なことはありません。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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食品ロスは日本の恥

2019-01-23 10:07:37 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『最近はグルメブームというのでしょうか、おいしい店の紹介や、料理に関する本がたくさん出版されているようです。また外国に出かける人も増えて、各国の料理の作り方や、外国の有名なレストランまで、いろいろ紹介されています。

それで、最近は食事についてうんちくを傾ける人は多いのですが、逆に、心から感謝して食事をいただく人は少なくなっているのではないでしょうか。

世界でいちばんおいしい料理の名前は「空腹」という料理だと言われます。本当にお腹がすいているときには、何を食べてもおいしいものです。

捕虜生活を送った人が、「パンの耳がこれほどうまいものだったのかと初めて知った」と書いている文章を読んだことがありました。

いまの日本は、世界中からおびただしい食材を輸入しているのですが、その多くが食べ残され、捨てられているのだそうです。

臨済宗の松原泰道(まつばらたいどう)師は、「『食べ方』を知っている人はいくらもいるが、『いただき方』を知らぬ人が増えている」と言われています。まさにそのとおりで、まことに残念なことです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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宗教協力は当たり前です

2019-01-17 07:02:14 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『戦後、佼成会の教勢がどんどん伸びていた二十年代から三十年代にかけて、「庭野の信仰は、おじやのような信仰だ」と悪口を言われることがありました。私は、佼成会の教義は日蓮(にちれん)聖人、信仰のあり方は親鸞(しんらん)上人、修行の態度は道元(どうげん)禅師をお手本にすべきだと、しばしば申してきました。

道元禅師には道元禅師の、親鸞上人には親鸞上人のすばらしさがあります。お題目を唱える私たちであっても学ぶべきところは大いに学んでいきたい、それは少しも恥ずかしいことではない、というのが私の考えでした。

ところが、それが不純な信仰と見られる時代があったのです。それがいまや「キリスト教をはじめとして宗教が分裂しているときではなく、互いに手をたずさえて一つの平和に向かって進むときです」とローマ教皇パウロ六世がおっしゃられる時代になったのです。

時代の流れもありましょうが、一仏乗(いちぶつじょう)の精神に貫かれる法華経を所依(しょえ)の経典とする私たちには、宇宙の真理はただ一つであり、それぞれの宗教はその真理の多様な表現にほかならないというのが一貫して変わらぬ信念です。だからこそ万教は同根であり、宗教協力はむしろ必然であると信じているのです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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新人諸君!

2019-01-09 07:04:52 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『大学の卒業式で、これから社会人として第一歩を踏みだす若者へのはなむけに、こんな言葉を贈る先生がおられました。

「諸君が会社に入って道を切り開いていくうえで、いちばん大事なことを教えよう。それは『おはようございます』『ありがとう』『すみません』が素直に言える人間になることだ」と。

これは毎日の生活でふつうに交わされる言葉で、人間関係を保つ基本的な言葉です。その言葉すら、いまの若者たちの多くが素直に口にできなくなっているわけです。

その先生は、大学の卒業式でそうしたアドバイスをしなければならない現状を、まことに情けない、と嘆いておられるのです。

ただ知識を詰め込んで卒業証書をもらっただけでは、大学を出ても、社会で本当に役立つ仕事はできません。この社会を構成する人間としての心得こそが社会の潤滑油であり、それがそなわって初めて知識が役立つのです。

そうした大切な言葉が、いつもスッと口にできるようになるのには、小さいうちから家庭でも学校でもしっかり教え込まなくてはならないのです。そのしつけの欠如は、本人にとっても、日本の社会にとっても、まことに不幸なことです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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欲望に歯止めを

2019-01-05 08:30:26 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『子どもが五千円のお年玉をもらったら、大喜びします。ところが、次の年も同じ五千円では、それほど喜びません。こんどは一万円でなければ驚かない。その次の年になると、一万円では「なあんだ」という顔で、二万円もらって、やっとにっこりする。

中学生くらいの子どもでもそうなのですが、大人となると、なおさらです。一つの欲が満たされると、また次の欲が出て、それが満たされないと不満になってしまうわけです。

これではどこまでも不満は尽きず、一生、不平不満のうちに終わってしまうことになりかねません。こんな寂しいことはありません。

十分の収入がある地位にいながら、それでも満足できずに収賄(しゅうわい)で捕まってしまう人がいます。

立派な家に住んでいても、家族が不満だらけでいがみ合っている家もあります。それに比べて、アパート暮らしのつましい家計の中で一家が仲むつまじくいたわり合い、いつも笑顔で暮らしている家庭を、私はたくさん実際に見ています。

どちらが幸せでしょうか。老子(ろうし)の言葉に「足ることを知る者は富む」とあります。よくよくかみしめたいものです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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自分を正すお正月

2019-01-02 07:19:30 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『みなさま、明けましておめでとうございます。

人は生きているかぎり、「もっとこうなりたい」「こうあってほしい」というように、いろいろと願いを持ちます。新しい年を迎えて、みなさんも、いろいろな願い、祈りをされたことと思います。

とりわけ信仰者にとって祈りは大切です。しかし、新年早々厳しいことを申し上げるようですが、その祈りが、自分のことだけをお願いするものになっていないかどうか、自分の心に問うてみてほしいのです。

大事なのは、まず祈りに値する自分であるかどうか顧みることです。そして、「かなえてもらいたい願いにふさわしい自分になれるように、精いっぱいの努力をいたしますから、どうかお見守りください」とお祈りするのが、本当の祈りなのではないでしょうか。

正月とは正す月と書きます。己の心の姿勢を正して、新しい一年を踏みだす大事な月、それが正月です。どうか、その決意をもってお屠蘇を祝っていただきたいものです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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