四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

ほめあう夫婦に

2018-05-30 06:00:58 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 豊臣秀吉は主君・信長の長所を見て、「うちの殿は偉い人だ」と心から思い、いつもそれを口にする。それに対して明智光秀は、信長の欠点を黙って見ていられず「天下人になられたら徳を具えていただきたい」と進言し、主人の欠点を直そうとして不興を買い道を誤ってしまった、という説を聞いたことがあります。これはさまざまな人間関係にあてはまるように思います。

 たとえば夫婦円満の秘訣も、そのへんにあるのではないでしょうか。いったん結婚した夫婦は、そう簡単に別れるわけにはいきません。とはいっても、夫婦として三百六十五日、朝から晩まで鼻を突き合わせている者同士、互いにアラを数えだしたら、きりがなくなってしまいます。そこを直してほしい、ここを変えてもらいたいといっても、夫婦の間柄では、なかなか素直に聞けないのですね。

 夫婦の相性とは、ただ気心が合うというだけでなく、互いにパートナーとして、より力を発揮できるようになることが大切です。そのへんの機微が、このあたりにある気がするのです。欠点を直そうとするよりも、互いによいところをほめ合う習慣をつけたほうが得策だと思うのです。

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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人間関係の基礎は

2018-05-29 08:25:44 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 自分を産み育ててくれた親の恩に比べられるものは、ほかにありません。それを、ごくあたりまえのことのように考えたり、うっかりすると、親を恨んだりしている人がいるのです。しかし、心の奥の奥では、だれしも親の恩を感じない人などいないはずです。何かが、その気持ちを素直に表に出すことを妨げているのです。

この、親の恩をかみしめることが信仰の出発点であり、幸せへの出発点だといってもいいでしょう。

親に心から感謝できるようになると、夫婦同士でも、互いに感謝できるようになってきます。子どもやご近所の人と対するときも、また会社の上司や仲間を見る目も違ってきます。人間としての軌道に乗ってくるわけです。親への感謝ができなくては、ほかのだれともうまくいくはずがありません。親への感謝が人間への信頼感を生み、それが社会の絆にふくらんでいくのです。

最近、アメリカでも家族が見直されているそうです。家庭がくずれると社会の秩序までバラバラになってしまう、という苦い体験からの知恵だと思うのです。

庭野日敬開祖随感より 

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亡き父母への感謝を

2018-05-28 09:22:33 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『私が、まだ牛乳屋の商売をしながら布教に歩いていたころのことです。

亡くなった母の命日が六月二十二日で、その日は、わが家の命日にも当たっていましたので、毎月、「この日は特別にしっかりとご供養させてもらおう」と思っているのですが、その日にかぎって、あの信者さん、この信者さんから声がかかって、真夜中まで飛び回らなくてはならなくなるのです。

恩師の新井先生にそのことをお話しすると、

「庭野さん。お経をあげるだけが供養じゃないんだよ。苦しんでいる人をお救いするために飛び歩く供養のほうが尊いんです。お母さんやご先祖さまが、どれだけ安心し、喜んでくださっていることか」

とおっしゃってくださいました。それが法華経を身で読む供養なのだと、そのとき新井先生に教えていただいたのです。

そう聞かせていただいてから、毎日、休む間もなく人さまのために駆け回らせてもらっていると、母のうれしそうな顔が目の前に見えてくるような気がしたものでした。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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集めたものより与えたもの

2018-05-25 08:22:05 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『内科学の権威である日野原重明先生によると、六十歳で亡くなられた人の脳を開いてみると、ふつうの人なら四分の一、よほど使った人でも、まだ半分しか使っていないということです。半分以上は白紙のままなわけです。

それをそのまま残したのでは、まことにもったいない。六十を過ぎると「あとは余生」と考える人が多いけれども、とんでもない。まったく新しいことに挑戦する出発の時だという心構えが大事だ、と日野原先生は言われるのです。

私が、世界宗教者平和会議の実現に取り組み、明るい社会づくり運動を提唱したのは、六十歳を過ぎてからでした。

ジェラール・シャンドリーという人が、「人の一生の終わりに残るものは、われわれが集めたものではなく、与えたものである」という言葉を遺されているそうです。その人の人生の究極の価値は、がむしゃらになって手に入れた地位でもなければ財産でもなく、どれだけ人さまに奉仕し、人さまに与え、遺すことができたかで決まるのだ、と言われているのではないでしょうか。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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リーダーの迫力

2018-05-21 07:15:09 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『『法華経』の「化城諭品」には、宝の山に向かう隊商のリーダーが、疲れきったメンバーの行く手に幻の城を浮かび上がらせて、みんなの気力を奮い立たせる物語が出てきます。これは、みんなに希望を抱かせる手段だともいえましょう。

「前途は厳しいんだぞ。こんなことでどうする」と叱咤ばかりしていたのでは、だれもついてこなくなってしまいます。リーダーといえども、これからのすべてのことについて百パーセントの確信を持っているわけではありません。

しかし、「こっちへ進もう。必ず未来は拓けるのだ」と言いきるその迫力が大事なのです。

行く手に苦しいことが待っていることもあります。将来のために、あえて不利なことを甘受しなくてはならないこともあります。ときには、回り道をしなければならないこともあります。しかし、希望を持って自分の意志で歩き始めると、勇気を持ってそれに耐え、それを受け入れ、乗り越えていくことができるのです。

「希望があれば疲れない。希望を持って生きる人は老いることがない」という言葉があります。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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言葉だけでは通じない

2018-05-18 07:25:49 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『いくら言葉を尽くしてみても、言葉だけでこちらの思いを相手に本当に分かってもらうのは至難なことです。いわんや、こっちの思いどおりに相手を動かすことなど、できるものではありません。

私たちは、まったくの白紙の心で人の言うことを聞くことができないのです。自分の育った環境や経験によって、私たちの感じ方や考え方が決まってしまっているからです。ですから、まず心と心を通い合わせることを先にしなければならないのです。

「あの人は、本当に私の心を分かってくれる人だ」という信頼感が生まれると、あとは、多少言葉が足りなくても、少々強く言い放っても、素直に聞けるのです。佼成会の草創期の幹部さんと信者さんの関係は、まさにそれでした。

信頼感といっても、どこから見ても難癖のつけようがないといった完全さが必要なわけではありません。たとえば、いつも威厳をとりつくろっていた父親が思わず流した涙で、子どものかたくなな心が溶けてしまうこともあるのですね。どこか一か所が通じ合うと、人と人の心は一つに溶け合ってしまうのです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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苦こそが成長する好機だ

2018-05-14 07:28:30 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『私が東京に出てきたばかりのころ、縁日で占い師に「あんたは刺激がないとだめな人だ」と言われたことがありました。それから私は、困難な問題にぶつかると「いよいよおもしろくなってきたぞ」と、自分に言い聞かせるようになったのです。

ふだん、なんとか事が運んでいるときは、これまで続けてきたことを大きく変えるのは、できそうでいて、なかなかできないものなのです。ところが、崖っぷちまで追い詰められてしまうと、嫌でも変えずにいられなくなるわけです。

会社でも組織がガッチリと整ってしまうと、みんなが、このままではいけないと気づいていても、いろいろと差し障りがあって、これまでのやり方を変えることがなかなかできません。むしろ不況の時こそ、体質改善の絶好のチャンスなのです。「この難関を乗り越えなくては」と、みんなが心を一つにして取り組むことができます。これが「提婆達多(だいばだった)が善知識」と拝む法華経の考え方です。

ピンチをチャンスにしてしまえるようになったら、もう怖いものなしです。よいことがきても悪いことがきても、「いよいよおもしろくなってきたぞ」と、どっしり構えていられます。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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拝金では

2018-05-11 06:06:57 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『銀行に預けたお金の利子で暮らせるようになったら、もう将来なんの心配もない、と考えがちです。そんな身分になれたら、どんなに幸せだろう、と考えるのですが、働かなくてもお金の心配がまったくないということほど、怖いことはないと思うのです。

それが、いちばん人間を変えてしまうのです。それも、悪いほうに変えてしまう場合がほとんどです。バブル経済でも、お金があり余って、それを元にして、もっともっと増やそうと考えて足をすくわれてしまった人が多いのではないでしょうか。

「負う」という字は、人が財を持って、それを頼みにしている意味を表わしているのだそうです。お金だけを頼みにするようになってしまったら、その人生は「負け」になってしまうわけです。伝教大師が「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」と教えられたのも、そこのところなのです。

自分の本業に全力を尽くして、それで人さまのお役に立たせてもらう。その働きの中にこそ、最高の安心と幸せがあるといえましょう。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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こどもは親の姿

2018-05-09 08:15:51 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 「習う」という字は、ヒナ鳥が飛び立とうと、親を真似て二つの羽を繰り返し繰り返しばたつかせている形であることは、前にお話ししました。子どもが巣立って社会で生きていくには、知識だけでなく、生活の知恵をしっかりと身につけなくてはなりません。

 動物はみな、親を真似てそれを身につけていきます。ですから、親から引き離されて育った動物は、年ごろになっても恋人を見つけられなかったり、子どもを産んでも育てられなくなったりするというのです。

 人間の子どもも同じです。いい学校、いい会社へ入るためだけの勉強で追い立てられて、いつまでも子ども扱いで一から十までお母さんが面倒をみるといった過保護で育ったら、自分一人では何もできない青年ばかりが増えてしまいます。子どもがどんなに心配でも、親はいつまでもそばについていてあげるわけにはいきません。一人立ちさせる教育こそ大切なのです。

 親がどんな問題にも毅然と対して、信念を持って生きる姿をわが子に示し、その親の姿を通して、子どもに自分で生きていく力をつけさせるのが家庭教育ではないでしょうか。

庭野日敬著『開祖随感』より

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