四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

下積みのできる器に

2020-01-22 12:18:49 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 ある教団では「利口(りこう)になれ」と教えるそうですが、私は、いつもみなさんに「ばかになれ」と申し上げています。どちらも行きつくところは同じなのです。

世間一般でいう利口、いわゆる物知りとか、うまく立ち回るといったことをもって利口というので問題ですが……。
 いわゆる、たくさん本を読んだり、いろいろな情報を仕入れた物知りならば、世間にはいくらでもいます。しかし、そういう人が増えると、どうしても理屈ばかりが多くなって、なにごとに対しても自分の主張ばかりして譲らず、かえって問題の解決が困難になってしまうのです。
 私は、菩薩行とは自分を捨てないとできないものだと思っています。どっちが得か損かと計算する心や、小才があっては菩薩行はできません。このせちがらい世に自分のことは忘れて他を思うといった行為は、利口な人にはできないのです。ですから、利口になろうとする人よりも、黙々と人さまのために働く人のほうが、はるかに尊い存在だと思うのです。
 自分の愚かさを知り、大愚(たいぐ)に徹することのできる人、それが真の智者です。


庭野日敬著『開祖随感』より

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小利口な生き方では・・・

2020-01-19 21:03:39 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 本を読んだりテレビの教養番組を見ているだけでも、たくさんの知識が得られます。
最近は昔のようにのんびりした時代と違って、社会がめまぐるしく変化し続けていますから、それに対応できる程度の知識は備えておかなくてはなりません。しかし、氾濫する情報や知識の中には、自分の人生にとって欠かすことのできない知識よりも、そのときかぎりで消えてしまうといったたぐいのものが多すぎるように思うのです。
 流行の言葉を使って伝統的な考え方を否定したり、言葉巧みに自己正当化の論理を展開したりすることが、かっこいい、新しい生き方であり、そうでないものは時代遅れの愚直な生き方と片づけてしまうような風潮は、いかがなものでしょう。
 そんな一見かっこいい生き方は、いわば社会の表面に浮いた水泡のようなもので、そうした小利口人間でこの社会は支えられるものではないのです。
利口になるよりも、本物のばかになることのほうが、はるかに難しいのです。社会は、じつはそういう人によって支えられているのです。


庭野日敬著『開祖随感』より

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冬のうた(令和元年)

2020-01-05 15:10:46 | 俳句

横浜の正月は伝統の大学箱根駅伝の応援からです。時間をみはからい横浜駅ちかくで待ち構え一瞬の走者へ「ガンバレ」の絶叫。ハイスピードなので一瞬間の声援です。

青山学院大のワンチームとなった凄さが後続チームとの差、時間と距離で推し量られて圧倒的な強さがわかります。監督の手腕、部員の血を吐く努力に脱帽するばかりでした。選手の父母・親戚はハラハラドキドキ見ておられないでしょうね。


 さて、去年のわたくしの「冬の句」をご披露します。精一杯の作品です。


〇バス停に先客のあり寒すずめ

〇巨人・たまご焼の兄の法要冬ぬくし

〇くれなゐにとろける冬の苺かな


〇はみだしてゐる初刷を引き抜きぬ

〇水餅のかめの暗がり母の忌日

〇片雪駄かまはず担ぐ春祭

〇空覚えの良寛のうた草青む

以 上

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自分を正すお正月

2020-01-02 07:43:18 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

〚みなさま、明けましておめでとうございます。

人は生きているかぎり、「もっとこうなりたい」「こうあってほしい」というように、いろいろと願いを持ちます。新しい年を迎えて、みなさんも、いろいろな願い、祈りをされたことと思います。

とりわけ信仰者にとって祈りは大切です。しかし、新年早々厳しいことを申し上げるようですが、その祈りが、自分のことだけをお願いするものになっていないかどうか、自分の心に問うてみてほしいのです。

大事なのは、まず祈りに値する自分であるかどうか顧みることです。そして、「かなえてもらいたい願いにふさわしい自分になれるように、精いっぱいの努力をいたしますから、どうかお見守りください」とお祈りするのが、本当の祈りなのではないでしょうか。

正月とは正す月と書きます。己の心の姿勢を正して、新しい一年を踏みだす大事な月、それが正月です。どうか、その決意をもってお屠蘇を祝っていただきたいものです。〛

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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