四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

つらいね、でも大丈夫だよ

2017-06-27 06:05:28 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『病気の苦しみによるうめきも、その半分は「私の苦しさを分かってほしい」という訴えだといいます。ですから、そばについていて手をにぎってあげるだけで、痛みが半減するのです。

経験の豊富なお医者さんは、その患者さんのつらさや心配を自分が受け止めてあげて、「そうだね。ここが痛いんだね。つらいんだね」と患者さんの訴えを、もう一度繰り返して口にして痛みを共にするのだといいます。

 大聖堂のご本仏さまは「与願施無畏(よがんせむ)」の印を結ばれています。右の手のひらを開いて「なにも心配することはないのだよ」と前にかざされ、左手を「この手にすがりなさい」と私たちに差し伸べてくださっています。病気にかぎらず心配事を抱えているときに、心から信頼している人に「心配しなくていいんだよ」と言ってもらえると、力がわいてきます。

 観世音菩薩は、助けを求める人の声を聞くと、その人その人にふさわしい姿で身を現わされて、隣に寄り添い、「つらいね。でも大丈夫なんだよ」とおっしゃってくださいます。相手の心に寄り添うことさえできれば、なにも言わなくても、こちらの思いは伝わるのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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習慣のパワー

2017-06-19 05:45:53 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『信仰者らしい人になる第一歩は、まず、朝起きたらご宝前のお給仕をして、お経をあげてお勤めをすることから始まります。

 それが、ごくあたりまえのことになって、毎朝、ちゃんとお勤めをしてから会社に出かける、家の仕事を始めるというように、信仰者としての生活の形をつくってしまうことが大切です。

その形が整ってくると、自然にいつも気持ちが穏やかで、がんこを通して人に逆らったりするようなことがなくなり、だれとでも和やかに話ができるようになってくるのですね。形に心がついてくるわけです。

 よい習慣にせよ悪い習慣にせよ、いったんそれが身についてしまうと、無意識のうちに、それが自分の考え方や行動を決めてしまうようになってきます。自分の意思だけでは簡単に変えられない力になるのです。

その習慣が、繰り返しによって形づくられていくわけです。

 信仰者の毎日の行は、そのよい習慣づけのためです。そこが分かると、教えどおりに具体的な行動を毎日積み重ねていくことがいかに大切か、分かってくるのですね。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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支えられています

2017-06-14 06:24:54 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『仏教の教えの基本が、すべての存在は他との関係(縁)なしにはありえない、という縁起観であることは、みなさんもよくご存じのとおりです。その教えをどう実践に移していくかです。

まず、自分が今日一日を無事に過ごせるのはだれのお陰であるのか、どれだけの人の助けをいただいているか、その縁起を知ることが報恩行の出発点です。

 私たちは仕事が順調に進んでいるときには、すべて自分の力、自分の努力の結果だと思い込んで得意になっているのですが、それが、どれだけ多くの人の後押しによってなっているか、毎日、振り返ってみる習慣をつけてしまうことが大切です。朝夕の経典読誦のご供養は、その行の一つなのですね。

 いつも、まわりの人たちへの感謝を忘れずに、その感謝の気持ちを素直に表わしていく生き方と、自分を過信して得意になったり、努力が報われないと恨んだりする生き方とでは、天地の開きが出てしまいます。

先祖供養も、親孝行も、菩薩行も、すべて今日の自分をあらしめているものへの恩返しの行なのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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