四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

花冷え

2010-03-31 19:18:13 | 生かされて今日
 在職中は3月31日の日経平均株価がどうなるのか、即会社の決算が出来るのか、リストラが避けられないかもという不安な頃でした。リスクの高い資産運用が多くを占める企業はこの日は安らかではないのです。
 それにしても春寒のどんより天気が続いて桜もつぼみを固くしているようです。恐らく上野公園の花見客も冷たい風に身震いし、お酒が内から温める暖房に使われているのではないでしょうか。
昨日の夜の満月は素晴らしかったですね。正に与謝野晶子がうたった「桜月夜(さくらづきよ)」でした。「清水へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢ふ人みなうつくしき」
 私の好きな歌「その子二十(はたち)櫛にながるる黒髪のおごりの春のうつくしきかな」
「なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな」
「封筒を開けば君の歩み寄るけはひ覚ゆるいにしへの文」
「冬の夜の星君なりき一つをば云ふにはあらずことごとく皆」 素敵な歌人です。
コメント

干拓の町・泥亀町(でいきちょう)

2010-03-28 06:16:40 | 生かされて今日
 横浜の南端にあるわが金沢区には横浜で唯一の自然の浜辺(わずかですが)や八景島シーパラダイス、ヨットや大型クルーザーの集うマリーナ、中世の武家文庫「金沢文庫」に古刹称名寺・龍華寺にとても古い瀬戸神社があります。さらに横浜市立大とラグビーの関東学院大と2つの大学を持ちます。ペリーの黒船艦隊はシーパラ沖に停泊したので防衛の武者や見物の百姓で大騒ぎだったらしい。
 区の中心は「泥亀町(でいきちょう)」といいます。この町の中心地周辺は江戸湾の入海で、現在の京急金沢文庫駅は海の中でした。この入海を江戸初期に私財を投じて干拓された長島泥亀翁の名をとって町名としたのです。失敗のつど周りからあざけりを受けても翁は自らモッコを担がれたそうです。泥亀翁と一族のお墓は龍華寺にあります。干拓が完成したのは200年後の明治初期です。芽柳が美しい町です。
 ♪干拓者にちなむ町名柳の芽  駿
コメント

街頭募金に参加しました

2010-03-23 22:20:28 | 生かされて今日
 京浜急行の金沢文庫駅での福祉募金活動に参加しました。運動参加の男性は私ひとり、黒一点で春寒を外套を着て一時間半ほど声をお掛けしました。
3人の方が千円札でしてくれてこの不況の中恐縮しました。うち老婦人の方は周囲の方々に募金を呼びかけてくださいました。
 中学生や幼子が財布を開いてお小遣いから募金してくれるととても嬉しくて有りがたいものです。貧者の一灯こそが尊い価値を持つものです。身銭を切るお布施は幼少時代に習慣ができないと、大人になってからでは打算的、損得勘定に染まり易いので実行しにくくなります。実は私も人のためにお金を出すのは嫌いですが、自分で浪費するよりお金が生きて大切に使われますので「お金の殺生」にならないだと思えるようになりました。
 後戻りしてまで献金してくださるとその尊さに感動させられます。見ず知らずの皆さん有難うございました。
「ヨコハマ緋桜」が満開となりました。
コメント

失望させる小沢民主党

2010-03-19 21:20:41 | 生かされて今日
 執行部批判を繰り返したとして、民主党の生方幸夫副幹事長が解任されたそうだ。汚いお金にまみれた民主党トップは、金権自民党とどこが違うのか失望に耐えない。
鳩山と小沢の汚名、北海道教職員組合の非常識に今回の「言論統制」による副幹事長のクビがどう国民を失望させているかも分からない執行部の鈍感無能ぶりにあきれております。国民からみれば常識的な生方発言を問答無用とクビにする悪代官どもは要りません。
 選挙だけが関心事の政治屋にこの瀕死の国を任せられません。政権交代による新生日本を期待し半年のエラーに我慢してきたが、今回の生方幸夫副幹事長解任には失望よりも怒り、憎しみを感じています。
国政以上にオザワに遠慮する取り巻きどもは、いやしくも国民を代表している議員バッジを外してもらいたい。衆議院選挙の大勝に酔っ払って思い上がりもいい加減にしてもらいたいのだ。
コメント

ヨコハマ緋桜が咲きます

2010-03-18 19:21:14 | 生かされて今日
 今日は彼岸の入り、両親はじめわが身の遺伝子の中に詰まっておられる膨大な数のご先祖に感謝を捧げる時節となりました。正岡子規の俳句「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」のように寒暖の差がジェットコースターに乗るごとくでしたね。
薄皮をはがすようにようやく春の訪れが体感されます。ご近所にある一本の横浜緋桜の開花が始まりました。
植物の名前にヨコハマを冠するのは2つだけだそうです。万作や花きぶし、玉椿やもくれんも咲きだし春爛漫へ一斉に動き出しています。
 進学試験や卒園式・卒業式に入社試験、昇進左遷の人事異動に引越しと喜びも悲しみも離別も弥生三月の恒例行事。失敗や敗北の方々は現実を受け入れ、めげて心の闇を引きずることなく春を感じて気分一新してください。朝が来ない闇夜はないのですから。トンネルの暗みから抜け出して総身に春の光を浴びましょう。
コメント

ボランティアガイドの一日

2010-03-14 21:24:36 | 生かされて今日
 横浜の金沢区にある称名寺は鎌倉時代の支配者、北条一族で金沢北条氏の菩提寺です。元横綱朝青龍の先祖の元軍が福岡に大来襲した頃の執権北条時宗を補佐した北条実時(さねとき)が造った別荘の持仏堂がその元です。
北条実時は学問好きな殿様で当時最高の図書館であった「金沢文庫」をも遺してくれました。ペリーが黒船で来て以来の新興都市横浜で国宝があるのはここだけで、わが町の自慢です。
 境内に昭和18年海軍機が墜落し二人が殉職した卒塔婆に先ずお線香を捧げ合掌しました。生きておられたら80才台の人です。
 久しぶりに春めいた土曜日、お寺の浄土式庭園を3組14人をガイドしました。広島の呉や東京からの訪問者もいて楽しい時間を共有しました。
春の彼岸法要の人ゝやヨモギ摘みの母子、ウォーキングの一団、フラリとお寄りのご近所など午前中は大忙しでした。ポカポカ陽気や浄土式庭園、桜もチラホラでみんな家族の様に警戒心をゆるめてくつろいだ平和境でした。
コメント

八幡さまの大イチョウが倒れた

2010-03-12 20:59:37 | 生かされて今日
 鎌倉鶴岡八幡宮の大イチョウが余寒の北風にポッキリ倒れたそうです。樹齢公称800年、源氏の3代目将軍実朝が暗殺された現場を見ていた樹です。犯人は2代将軍で兄の頼家の子供、公暁(くぎょう)。実朝の甥で、当八幡宮の長官だった由でこの樹に隠れていて、雪の石段を降りてきた実朝を斬殺、首を抱えて有力武将・三浦義村を頼ったのですが、三浦の裏切りで討たれたと云います。
実朝の首級は親源氏の武士により神奈川県秦野に逃れ、そこが首塚(みしるしづか)として遺されてるという。
 実朝暗殺については三浦のライバル北条義時陰謀説もあります。実朝警護役の北条義時は暗殺の前にお告げにより中座し殺傷を免れ、その報恩から覚園寺の前身大蔵薬師堂を創設しました。あわれ実朝は鎌倉幕府の実権を争っていた北条と三浦との闘争の犠牲のようです。
 貴族化した平家一族を壇ノ浦に壊滅させ鎌倉武家政治を開始した源氏本流はわずか3代で断絶。以降名前ばかりの将軍を頂いて北条一族が絶対権力者となりました。
 舞殿の上にのぞく大イチョウが見えない八幡さまは少し淋しいかもね。
コメント

東京大空襲の日です

2010-03-10 07:55:16 | 生かされて今日
 今から65年前の今朝、昭和20年3月10日深夜0時8分東京でアメリカ軍のB29爆撃機344機による無差別焼夷弾爆撃があり 死者約10万人という今次大戦で最大級の惨劇が起こりました。冬の季節風にあおられた火焔が東京を焼きのめした正に地獄だったそうです。
この早春の真夜中に逃げまどった老若男女を想像してみましょう。
戦闘要員でない民間人の殺傷を目的にした残酷な無差別攻撃は、チャールス・ルメイ少将が計画指揮しました。その彼は自衛隊育成に貢献したとして「勲一等旭日章」を授与されました。全く馬鹿なことをした敗戦国の政治の情けなさを感じませんか。
 東京墨田区横綱にある都慰霊堂で犠牲者追悼式典が予定され、戦争の異様な記憶を後世に残す努力がされているそうです。
戦争を放棄した「日本国憲法」の堅持は今平和に生きている者の、犠牲者への又子孫への義務である。 南無妙法蓮華経
コメント

京の旅(おしまい)清少納言

2010-03-07 07:27:17 | 生かされて今日
 京都駅から一駅JR奈良線の東福寺駅からのぼり坂を東山のふもとに泉涌寺(せんにゅうじ)をはじめて尋ねました。普段未公開の歴代天皇のご位牌や御座所、玉座等が公開されると聞いていました。ご近所では「みてら」と尊称されているそうです。大昔に弘法大師が庵を結ばれた霊地らしいです。檀家の方かボランチィアか親切に底冷えの中を説明してくれました。
 庭に苔むした清少納言の歌碑がありました。当時男しか読めなかった漢文も自在にする才女は、女官を辞めてからこの寺の近くに庵を設けておられた由。
百人一首にある歌が刻まれているそうです。
 「夜をこめて鳥のそら音ははかるとも
               よに逢坂の関はゆるさじ」
コメント

京の旅(その8)知恩院三門

2010-03-05 05:13:27 | 生かされて今日
 貴族だけの仏教を法然上人がはじめて下層庶民に平易に説かれたので、虐げられているあらゆる層が黒谷の庵に法話を求めて詰掛けて大ブームを起したそうです。
時の権力者・天皇貴族に奉仕するばかりの比叡山や奈良仏教の旧守勢力は、大人気の法然上人をねたみ、天皇にざんそして弾圧を加えました。愚かな当時の仏教勢力のために80才近い法然上人は四国へ、弟子親鸞さんは新潟へ流罪となりました。
 政治権力ににじり寄る宗教教団は国民にとりとても危険であることは現代も同じです。尊い真理よりも特定人間の現世利益を目的とする勘違いが害毒を流します。
 この知恩院三門は国宝で、徳川2代将軍秀忠が寄進した由。この楼上が特別公開されていてオッカナビックリ滑りやすい階段を這い上がりました。高所恐怖症の私がヘッピリ腰で上るのがおかしいと連れ合いが笑い、あなたの葬式でばらして大笑いするわと冷やかされました。普段非公開の三門内部には薄闇に釈迦如来像や建築した棟梁夫婦の像、狩野探幽の天井画の龍などが沢山。下りるも怖くて、3~4歳の男の児が「生きて帰れないかもしれなーい」とぼやきつつ付いて来ました。こわー。
 ♪探幽の龍のしかかる春の闇  駿
コメント

雛祭り・桃の節供

2010-03-04 07:43:46 | 生かされて今日
 3月3日は雛祭、明治大正時代の豪商の屋敷に古ひいなが飾られていると聞いて初めて見に行きました。JR根岸駅から山よりの旧柳下邸で、当時は近くに海を見下ろす丘にありました。梅の花が咲く洋館付きの邸宅で、玄関の顔や薄暗い廊下、畳の感触、少しゆがむ窓ガラスなど故郷の祖父母、親を思い出して切なくなります。
廊下を歩くとミシッミシッと懐かしい音がして、先祖の家に来たみたいです。
 私には娘はおりませんが、お節供で腰軽さの性分からムズムズしてきて古民家へ出かけました。親の情愛に浸りたいのでしょうか。昔盛岡へ旅して古民家のお雛さんに感動したことがありました。あの部屋も寒かったけど。

 ♪旧邸の廊下のきしみ雛まつり  駿
コメント

京の旅(その6)

2010-03-02 05:43:47 | 生かされて今日
 清水の舞台から石段を下ると三つの筋に流れる音羽の滝。ご利益を頂こうと小さな行列が出来ていました。皆華やいで長い柄杓で糸を引く聖水を受け止め飲み干しています。この長柄杓は使用のつど後ろのボックスで殺菌処理されている様子で、滝水を持ち帰るためのお椀も売られていました。昔はお坊さんが滝に打たれる行場だったのでしょう。
 京都の町中は駅舎も、神社仏閣も石段・階段が多く関東に比べるとエレベータやエスカレータが少ないので健脚向けの町と云えましょう。一日の行き先は少な目にして、荷物は持たず、時間に制約されず、バスの活用法を知ってが京歩きの基本だろう。
昔課税が道に面した間口を基準としたそうで、入り口が小さいウナギの寝床風が目立つ。また学生が多い街ですね。それに関西は禁煙・分煙のマナー意識が首都圏より浸透していないので歩きタバコにも寛容な感じでした。わが神奈川県は禁煙・分煙条例をはじめて去年制定しました。喫煙の生活習慣を変えるのは苦痛だろうが、遠くからでもくさい煙を吸わされる身にもなって下さい。
コメント

京の旅(その5)きよみづ

2010-03-01 06:27:16 | 生かされて今日
 ちゃわん坂をのぼり107才で亡くなられた大西良慶貫主や年末恒例の今年の漢字1字を大書される森 清範師の清水寺(世界遺産)には、韓国の旅行団が来ていてにぎやかでした。徳川家光が1633年に再建したという清水の舞台ではスナップ写真のハングル語が飛び交います。「ようこそ円高の日本へ」。韓国青年がひとり観音の石塔に向かい何度も礼拝をして信仰心の篤さをすがすがしく示していました。
 芽がけむる桜の木々、谷からは命の喜びの囀りが湧きあがります。春の胎動です。24歳の与謝野晶子の名吟は、
「清水(きよみづ)へ祇園をよぎる桜月夜こよひ逢う人みなうつくしき」、晶子の匂い立つ京の春ですね。祇園といえば吉井 勇
「かにかくに祇園はこひし寝(ぬ)るときも枕の下を水のながるる」、歌碑が白川沿いにあります。彼のオヤジさんは明治維新の薩摩藩士、蛮勇が歌人の息子を得ておもしろい。
コメント