東大准教授木下華子先生から兼好法師の出自について金沢文庫にて学びました。つい近くまで室町時代の歌僧・正徹が『正徹物語』で述べた兼好の氏素性が約570年も学会や世間の常識とされていました。
兼好は名門京都吉田家の出で、久我家か徳大寺家につかえる五位の侍で宮中に仕え、和歌の名手であったとあります。この説は慶応大学の小川剛生先生のちみつな研究でひっくり返されました。
吉田家が兼好法師の名声を取り込もうとして出自を詐称したそうです。それが『正徹物語』によって学会の常識とされて来たのです。北村季吟(芭蕉の師)も騙されました。
吉田兼好、卜部兼好は偽名で、兼好法師が正解の名前だそうです。570年も続いた嘘の出自を暴かれた小川先生はすごい。痛快ですね。なお、『兼好法師集76番』で横浜市金沢区の丘に庵を結んでいたこと、『徒然草34段』にも武蔵国金沢(かねさわ)とあり、また称名寺高僧の文書を京都の北条執権貞顕へ届けたと金沢文庫古書にあります。今まで信じられた高い身分ではなく、別人の人物が本当だったのですね。