四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

歌会始(うたかいはじめ-2)

2013-01-30 16:51:35 | 歌の花束

 今年の兼題は「立」、一首の中に織り込んで競い合う知的なゲームです。短歌(和歌)も俳句も川柳も日本の伝統文芸で、将来の日本人に受け継ぐことが期待されております。少しでもご関心のある方は是非御入門をお勧めします。

とりあえず新聞の文芸欄には、歌壇、俳壇が必ずございますので、日頃から目を通して頂きたいと思います。


 ☆羽摶きて白鳥の群れとびてり呼び合う声を空へひろげて    佐藤マサ子


☆自画像はいまだに未完て掛けたイーゼル越しの窓が春めく   青木信一


 ☆何度目の雪下ろしかと訊ねられ息をととのへ降る雪につ    宮沢房良


☆いつせいに蚕は赤き頭て糸吐く刻をひたすらに待つ       鬼形輝雄


 ☆人々が同じ時間にち止まり空を見上げた金環日食       瀬利由貴乃


☆ネクタイをゆるめず走る君の背をち止まらずに追ひかけるから  川俣茉紀

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2013年歌会始(うたかいはじめ-1)

2013-01-29 10:52:02 | 歌の花束

 和歌は古事記にあるように上代から記録があり、貴族的で優美、天皇の命による勅撰集があるほどの格調があります。

一方俳句は平民の俗語を使いふざけた滑稽を旨としています。天皇家では和歌が尊重されており、残念ながら私が好む俳句は陛下達はされないのです。

16日に皇居では歌会始がございました。兼題は「立つ」。約18000首の応募が海外からもあり、優秀作品が天皇皇后両陛下の前に朗々と披講されました。入選者で一番若い作者はなんと12才、東京の中1少年、太田一毅くんでした。

私の感銘した作品を選ばせて頂きました。


☆実は僕家でカエルを飼ってゐる夕来るも鳴かないカエル  太田一毅(実はが面白いですね)

 

  ☆万座毛に昔をしのび巡り行けば 

           彼方(あがた)恩納岳さやにちたり    天皇陛下(沖縄ご訪問のお歌)

  ☆天地にきざし来たれるものありて

           君が春野にたす日近し           皇后陛下(天皇陛下の手術後のご安堵)


☆蕗のたう竹籠もちて摘みゆけばわが手の平に香りちきぬ     常陸宮妃華子さま

☆俄かにも雲ち渡る山なみををちに光れりつよき稲妻        三笠宮妃百合子さま

ちどまり募金箱へと背伸びする小さな君の大きな気持       高円宮承子さま

 

 

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寒の稽古

2013-01-24 21:38:08 | 生かされて今日

 寒さのきびしいこの時節に4時起床し、5時に自宅を出て寒風の暗闇を駅まで歩き、横浜普門館で早朝6時からの「法華三部経」の読誦に参加しています。大寒の20日から27日までの8日間で425ページある三部経を読破します。

最も短い日は36分、最大に長いと95分の読経です。仕事の有る方は途中退席して職場へ向かうのです。今朝はスタートして5日目で疲労と眠気が溜まって来ました。寒稽古ですから理屈はありませんが、非合理な世界を体感する恒例行事です。

法華経には釈尊の私たち凡夫への慈悲が繰り返し述べられています。こんなボンクラな私でも釈尊と同じ至高の尊さが本質なのです。本質は仏性なのですが、現実のわが姿は、愚かで罪深いのでそのギャップがなかなか卑屈根性を根絶やしに出来ません。

わたしたちは在家仏教教団ですから、聖壇上での導師、脇導師、鐘、木鉦など全て素人の在家信者です。

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テネシーワルツの昭和は遠い

2013-01-22 12:50:45 | 歌の花束

 アメリカの歌手、パテイ・ペイジさんが元日に亡くなられたそうです。何と言おうと名曲「テネシーワルツ」ですね。女友達に恋人を盗まれた悲しい失恋の歌で、英語オンチでもゆったりしたメロディなので歌いやすいです。コンサート会場の画面に涙を拭いている老婦人がおられ、青春の悲しみを思い出されたのでしょうか。上品な美しい歌手、パテイに恵まれて全世界でレコードが一千万枚も売れた名曲です。

「My friend stole my sweetheart from me」が切ないですね。

いまから63年前、太平洋大戦終結後間もない1950年、昭和25年世に出た曲です。その頃わが家はお爺さん、両親も健在で兄弟姉妹4人がいて七人家族でした。それに雑種犬、ジョンもいました。今生きているのは姉、妹と私三人だけです。

「テネシーワルツ」を聴きますとその頃の家庭の思い出がセピア色に浮かんで参ります。あの頃の昭和は遠くなりました。

 テネシーワルツ聴く寒紅をさしながら  駿

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横浜の初雪

2013-01-15 17:43:08 | 生かされて今日

 横浜は十数年ぶりに13センチの初雪となりました。成人の日の前夜は与謝蕪村の描いた国宝、夜色楼台図(やしょくろうだいず)の如く屋根屋根が雪に埋もれて暮れました。バス停に行くまでに滑っている方、通学の子もいました。自宅が坂上なので朝横浜へ出ようと普段は使わぬバスに乗りましたら、すぐ満員となり2箇所ほどのバス停は通過となりました。都会はコンクリートで固めて排水や雪にはとんと無防備なのです。在職中に一度大雪となり渋谷までの出勤を断念したことがありました。今朝はきっと遅刻が多かったことでしょう。

横浜は東京湾に接している上に、箱根や大山など山塊にガードされ温暖で天災の少ない恵まれた土地柄です。


 はつゆきや幸(さいわい)庵にまかりある   松尾芭蕉

 初雪や水仙のはのたはむまで         松尾芭蕉

 初雪や鶏の朝声浅草寺     小林一茶

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今上天皇の恋歌

2013-01-05 22:04:05 | 生かされて今日

  婚約内定して

 『語らいを重ねゆきつつ気がつきぬ

             われのこころに開きたる窓』  明仁皇太子

 

 今から半世紀以上前に今上天皇がまだ皇太子のころ、はじめて民間人のお妃、正田美智子さまを得られた喜びのお歌であります。超保守的な皇室、華族その頑迷な周囲には平民の家庭の血が一族に入ることに堅い抵抗があったのです。

今では考えられませんが。美智子さまのご両親をはじめ、ご本人の不安はいかばかりであったかと想像します。あの若々しく気高い美智子さまを、よく皇太子さまが説得されたものと大いに感心しています。

 「われのこころに開きたる窓」がノーブルで素敵ですね。生まれた時から皇太子という身分にがっちりコンクリートされていたお心に、匂い立つ美智子さまが明かり窓の様に入り込まれたのですね。「気がつきぬ」も清潔で初々しく感動させられます。

 

 『たまきはるいのちの旅に吾を待たす

              君にまみえむ明日の喜び』  美智子妃

 

まさしくご結婚は「いのちの旅」、昭和34年4月10日ご成婚されました。爾来日本人の夫婦の理想として、また日本国の象徴としての激務をこなされつつ54年の旅路を今日も重ねておられます。天皇皇后両陛下は日本の誇りであります。

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初詣に長蛇の列が

2013-01-02 07:41:51 | 生かされて今日

 新年明けましておめでとうございます。皆さまにはいがか元旦をお過ごしでしょうか。早朝6時に立正佼成会横浜教会で法華経を読誦しました。今年は関東大震災や太平洋戦争突入の年回りだそうで、「初心に立ち返る」ようにと椎名教会長が説かれました。

 着ぶくれには汗のにじむ横浜の元旦びよりに、昼からカメラ片手に歩いて古墳時代からの霊地を誇る瀬戸神社に向かいました。今では江戸時代から埋め立てられて京急金沢文庫駅や横浜市大、市立金沢高校、ダイエーなどある入海があったのです。東京湾と入海とをつなぐ狭い急流の際には海神をまつる霊地があり、源頼朝が伊豆三島明神を勧請したそうです。国道26号線をまたぐ神社の前には妻の北条政子が琵琶湖の竹生島弁財天から勧請した琵琶島神社があり、頼朝がミソギのために裸になった際服を掛けたという石が「福石」と呼ばれてすえられております。

国道26号線に沿ってながながと参拝する善男善女の列ができています。日本人は信仰に無関心な民族と世界からやゆされていますがそうでもないのではないでしょうか。あらゆるものに神が宿るというオリジナルな神道(しんとう)に、奈良時代に伝播して来た仏教が結びつきました。神仏混淆が日本人の血肉なのです。IPS細胞の山中伸弥教授を生み出した誇り高きやまとの国です。

私はドライなので列には並ばず、社殿の見えるところで合掌して通りすぎました。本来なら三拍ですよね。Never MINd!

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