『「魔がさす」という言葉があります。人はついフラフラとして欲に目がくらんだり、誘惑に負けたりすることがよくあるのです。それで、ずるずると堕落していってしまうことも少なくありません。
まるで魔神が人間の貪欲(とんよく)につけこもうと、いつも狙っているようにも思えるのですが、その魔神も歯が立たない相手がいるといいます。それはどういう相手かというと、欲のない人間、貪欲を捨て切ってしまった人間だそうです。魔神といえども、そういう人は誘惑するきっかけがつかめない。
魔には、誘惑の魔と脅迫の魔があるといわれます。お釈迦さまが悟りを開こうと禅定に入っておられたとき、魔が美しい女人に身を変じて媚を売り、修行の妨げをしたと伝えられています。それでもお釈迦さまが動じられないと、こんどは恐ろしい顔をした男の形で刀や槍をもって脅かすのですが、お釈迦さまは少しも動じるところがなかったと伝えられています。
人にほめられても有頂天にならず、けなされてもしょげることがない。まわりの変化に影響されない心を持てたら鬼に金棒です。』
庭野日敬著『開祖随感』より