四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

爺婆も血湧き肉踊る運動会

2013-05-28 18:20:45 | 生かされて今日

 ♪敵方に兄ゐて愉し運動会  福島 胖  

 私の頃の運動会は秋、歳時記も運動会は秋の季語です。でも時代は変わるのですから春から秋に変更されるかもしれません。花火が上がり軽快な音楽に太鼓が響いてくると、家に生徒の居ないおとな、爺々婆々も運動会に惹かれて腰を浮かせるんです。私も自転車で小学校に吸い寄せられました。過日先生に聞いたら昨今の授業参観や運動会には若き両親に両家の爺々婆々が来るので大賑わいらしいです。生徒一人に応援団が6人以上だそうです。なんせこのごろの老年は姿形も若やいで元気ですものね。きっと応援場所取りも負けるなと確保したのは爺々婆々でしょう。

恒例の万国旗が運動場を袈裟懸けになびいております。はて、なんで万国旗なんでしょうね。校長先生のご挨拶が終わると準備体操です、生活習慣病風の肥満センセも、若々しい新任らしきスリムなおんな先生もいます。赤白それぞれの応援団長が絶叫してリーダー達が旗を打ち振り応援合戦。鎌倉時代の合戦前の矢合わせです。

3年生4年生の80メートル徒競走が先陣を切ります。われわれは男女別でしたが混在していました。エントリー全員の名前をアナウンスするのは父兄サービスのためでしょうか。

コーナリングで走者が宙を跳んで朝影がくっきり。◯◯ちゃーんガンバレと絶叫して応援しています。血沸き肉踊る運動会は日本らしい佳き風景ですよね。

朝の日差でも焼かれます。私のおんな友だちは、孫の応援で終わりまでいて手足がこんがり日焼けしていました。孫には敵わないね。

 山で行方不明となった滋賀県の小学生2人が一晩野宿して救出されたのは感動的で涙が滲みました。親御さんたちや先生たちの歓声が聞こえるようです。天の助けですね。ブラボー!

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横浜の花、バラ薫る

2013-05-24 08:14:37 | 生かされて今日

 港の見える丘公園のバラ園を多くの方々がそぞろ歩いて香りを楽しんでいます。西洋バラの多くは文明開化の窓口ヨコハマに上陸したといわれ市民の皆さんに親しまれています。平成元年に横浜のシンボルとして市の花と定められました。

JRと沿線私鉄との相互乗り入れが可能となり、埼玉川越あたりから横浜中華街やMM21地区、赤レンガ倉庫、大さん橋、外人墓地などへ観光客が増えたようです。

石川町の垢抜けた商店街にも旅鞄組が散策していました。ここは文明開化の頃隔離された異人街と接していたお店がルーツです。

海のない埼玉県、栃木県の方々には大さん橋やベイブリッジの景でぐうんと開放感が味わえると思います。

薔薇園を歩くとわが誕生日以来なんだか女運に恵まれているなぁと感謝の心持ちです。日曜画家があちらこちらに絵筆をふるい、時間を忘れる羨ましき時を愉しんでおられます。私は隣接する神奈川近代文学館の井上ひさし展へ参りました。

 

 

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おくのほそ道へ旅立ちました

2013-05-17 11:02:33 | 生かされて今日

 陽暦に換算して5月16日(元禄2年)、芭蕉翁が弟子の河合曽良を伴ないそれまで行ったことのない東北みちのくを目指して北上を開始されました。翁は46才、曽良は41才の二人連れの旅です。ほとんど知り合いがいないところの大旅行、命がけでの詩境研鑽の旅です。当時は皆健脚で一日十里、約40キロメートル、日本橋から戸塚までワラジで歩き通しました。足弱でも30キロメートルだそうです。信じられませんネ。

深川から舟に乗り千住へ上陸、最初の宿は草加と書いてあるが事実は曽良の几帳面な記録により春日部。「おくのほそ道」は全体がポエム・創作であり、紀行文のような正確な記録ではないのです。

芭蕉翁が岐阜県大垣での旅終了後5年間も推敲を重ねた名文の一部を音読して下さい。

『弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月はありあけにて光おさまれるものから、不二の峰かすかにみえて、上野谷中の花の梢、又いつとはと心ぼそし。むつまじきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗りて送る。千じゆと云ふ所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、まぼろしのちまたに離別の泪をそゝぐ。

   行春や鳥啼魚(とりなきうお)の目は泪

これを矢立の初めとして、行道なをすゝまず。人々は途中に立ちならびて、うしろかげのみゆる迄はと見送るなるべし』

 

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薫風のお寺で

2013-05-13 17:29:19 | 生かされて今日

 まさに風薫る五月、所用を済ませ久しぶりに金澤山称名寺(きんたくさんしょうみょうじ)に自転車を停めました。昭和18年に横須賀航空隊の艦爆が墜落し2名の兵士が殉職、その慰霊の卒塔婆に合掌してから仁王さんに挨拶です。鎌倉時代の古いお像で朱色が薄く分厚い胸板あたりに残っています。仁王門は江戸時代の再建で2体の仁王さんには低く狭く、窮屈そうです。人間に棲む地獄、餓鬼、畜生の邪悪な顛倒や煩悩を追い払うお役です。怖い顔ですが仏道で心を救くい安らぎの境地へ導きたいという慈悲の現れなのです。あのおっかない閻魔さんも、地獄で人を救う地蔵菩薩の別のお顔なのですよ。 

 浄土式庭園の心字池を黄色の菖蒲がふちどり、ゆっくりとした時間が流れていました。青楓やイチョウに楷の木、カレンボクの若葉が誠に美しく、裏山はモコモコとして春の姿です。

静かに水彩画にいそしむ方々、お参りや散歩のチームなど来ますが幸いに混みあう事がなく横浜観光の穴場です。緑の風に吹かれて心地よき浄土でした。

称名寺のご本尊は2メートル近い美しい弥勒菩薩立像です。金沢文庫で瀬戸神社展をと思いましたが今日は休館日でした。

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あかざ俳句会の21周年大会

2013-05-06 08:32:53 | 生かされて今日

 あかざ俳句会が21周年を迎え、かながわ県民センターに70人の出席を得て開催することができました。北海道旭川や静岡伊東の遠方からもご参加が有りました。お二方ともに大会終了後子供さんの家にお顔を出される予定とかお聞きしました。

新入会のご紹介では、お姑さんの会員がお嫁さんを俳句へ導きされたそうで有難く感動しました。私は常々、俳句仲間を増やすことは社会福祉に貢献することだと叫んでおります。何故ならば、国の奥深き伝統的文芸へ目を開かせ、大自然の偉大さ美しさに気付かせ、詩を創造することで心が癒されることが出来るからです。いつどこでも四季の変化に敏感になりますから痴呆への予防にもなります。

今年のあかざ賞は、ピアニストの本間満美さん。特別賞は旭川へ避難中の吉渕土太郎、はな子夫妻でした。ご夫妻は横浜から福島県川内村に移住し田舎暮らしを楽しんでおられましたのに3.11の地震と原子力発電所の放射能汚染の災厄を受けられていました。私たちの想像を超えた苦しみの中でも俳句を投捨てずに精進されて敬服いたします。

90人が参加した通信句会の高得点句は次の通りでした。

 ◯赤べこのこくり頷き春うごく       満美

 ◯つくしんぼほつたらかしが嬉しいの  夢梨

 ◯春障子母が開ければ母の音      明

 ◯鶴になる無傷の紙や春の雪      好子

 ◯抱き上げる四温の嬰に陽のにおい  治子

    ◯初蛍あれからのこと話そうか   七重

    ◯磯笛の波に砕けて春を呼ぶ   君代

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