四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

金沢文庫80年展を是非

2010-07-30 09:01:23 | 生かされて今日
 横浜市金沢区は鎌倉に近く、鎌倉時代有数の武家文庫である「金沢文庫」や浄土式庭園の遺構を誇る称名寺、歴史とすばらしい宝物の龍華寺、日蓮聖人の足跡の上行寺、八景島シーパラダイスやヨットハーバーなど、海あり山ありの文化の町です。近辺は金沢八景と呼ばれ、江戸時代は美しい景色と食材をめでる旅の名所でした。
 称名寺に隣接する県立金沢文庫では創設80年展を開催中(8/29まで)で、歴史好きにはもってこいの展示会です。NPO横濱金沢シティガイド協会では昨日、西岡学芸課長から貴重なご説明を頂き、ますます文化財に惚れ直しました。
 再建に尽力した伊藤博文や財界人の大橋新太郎(「金色夜叉」のモデル)、古文書を丁寧に解読された関靖初代金沢文庫長などのお陰様で今があるのです。
称名寺本尊のミロク菩薩像に埋め込まれた法華経、日蓮聖人17才の真筆や法然上人高弟の流罪人、隆寛の書などなどお宝がワンサです。
 その上に入場料は250円、65才以上は100円という良心的な企画展です。是非関東の方は足を伸ばして頂くとお釣が来るすばらしいお宝展です
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七夕月の句会

2010-07-27 20:43:59 | 俳句
 猛烈な暑さの七月も過ぎようとしています。七夕、参議院選挙は過ぎてお盆、蝉時雨、ひまわり、夏休み、夏祭りの季節が巡っていきました。朝夕時折吹く風にはすこし秋の兆しが感じられます。
七月は葉月、七夕月とも云います。
 「おくのほそ道」の芭蕉翁は陽暦5月16日に深川を船でさかのぼり江戸を離れ、旅の49日目の7月3日山形尾花沢に10泊、最上川を船でくだり羽黒山・月山・湯殿山の出羽三山を巡礼、月末には鶴岡、酒田に歩を進めました。この暑さの中、ぞうりでの徒歩、貧しい旅籠の旅は大変な体力と気力と驚くばかりです。

 当月句会の感銘句は以下の通り。

♪祭笛今も昭和で考える  計枝
  ♪麦秋のまんなか我を見失う  ちしろ
♪反芻の種牛の目の夕焼けかな  正浩
  ♪水中花劇に死人の生き返る  邦彦
♪原爆忌息熱くなる朗読会  花子
  ♪あさがほのつゆくちびるに原爆忌  駿
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盲導犬を育てる

2010-07-25 07:37:06 | 生かされて今日
 日本には視力を失った社会的ハンデある方々が39万人おられ、失明の原因はかっては糖尿病でしたが、今は緑内障が多いそうです。明るい社会づくり運動金沢区協議会ではバス一台をチャーターし盲導犬訓練センターの見学会を催しました。
 この施設は富士山の下、昔オーム真理教の根城だった静岡県富士宮市にあります。はじめて訪問した施設は空気がおいしい広々とした所に、機能的な斬新な建物でした。炎天の日でしたが、案内の若い女性2人が盲導犬と共に私たちを出迎えてくれました。お一人は高校進学時から視力を失った方でしたが、ハキハキ明るい説明をしてくれました。盲導犬が自分の分身で、白杖よりもはるかに安心できると云われました。
もう一人は健常者のボランティアの方で盲導犬の広報をされています。
 現在日本で活躍している盲導犬は1070頭で、2才から10才程度までが働き、引退しても最後まで面倒を見る由です。盲導犬になれるのは限られた訓練を習得した犬のみで少なく、多くの失明者がパートナーの盲導犬を待ち焦がれているのです。すこし悲しかったのは、ラブラドール・レトリーバーが去勢されていることです。この犬は大きいですが耳が垂れてホントやさしいのです。イギリス原産です。
一番驚いたのは行政からの財政支援はほとんど無く、9割が善意の寄付に支えられている点です。WHY!
 私たちは毎月1回、京浜急行金沢文庫駅で街頭募金をしており、その浄財の一部を寄付させていただきました。募金が役に立ててうれしさが身にしみました
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京都を歩く(その10最終回)嵯峨大覚寺

2010-07-22 21:51:57 | 生かされて今日
 鎌倉後期、南北朝時代は天皇家が分裂、権威のシンボルである天子さまが二人並び立ち、野蛮な武力を振るう武家大名どうしでは血で血を洗う下克上の時でした。農民にとっては極めて迷惑悲惨な暗闇の時代だったようです。
大覚寺は南朝方の天皇さんが陣取った嵯峨御所で、その血縁を大覚寺統の天皇といいます。
 嵯峨は美しい嵐山や世界文化遺産の天龍寺、芭蕉さんが滞在された落柿舎や悲しい祇王寺、化野念仏寺などに近く、古い歴史が眠る土地柄ですね。
 はじめてお参りした大覚寺では、袈裟に夏足袋の正装31名の僧が祈りを捧げる法会に行き会いました。恐らく全山の儀式で、布薩(ふさつ)の法会だと聞きました。この半年に犯した罪、とが、煩悩を釈尊に懺悔申し上げ、再び犯さぬことを誓い合う式典のようです。
なかでも青年僧の青あたまに褐色の法衣、夏足袋の白さが厳粛な気分にさせます。真言宗ですから弘法大師空海を開祖さまとするお寺です。
帰る途中近くの清涼寺のお釈迦さま(国宝)にもご挨拶しました。寺務所の方にわざわざ勧められ、すぐおそばで合掌させて頂きました。前回参拝しました時、恐れ多くも自分に似ているとピーンと直感したものですから。

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京都を歩く(その9洛中)同志社

2010-07-20 16:30:06 | 生かされて今日
 京都は大学の街、京都大学と私立大の雄・同志社が双璧でしょうか。同志社大は明治8年に新島譲が創建したそうですから、135年を誇る古い学舎です。大阪ではそのOBを指して「どうやん」と云うてましたなぁ。
外から眺める同志社は赤レンガ色の立派な建物で、学園祭のような華やいだ音がしていました。深草にある龍谷大学も大変立派な建物で、学費を納める父兄の懐を心配するほどです。今年の私大受験者数ナンバーワンは、早大を抜いて御茶ノ水の明治大学ですが、ここはビックリの高層ビルです。九州の中心・福岡も学生が多い街で、九州大学と私立西南学院大が有名です。
 余談ですが僕の初恋のひとは京都女子大へ進まれ、今は滋賀県のお寺さんの大黒さんだそうです。最後に会ったのは府立植物園だつたなぁ。まだ路面電車が健在で乗車の彼女に手を振ったのが昨日のことのようです。今となってはお互い様会わぬが華ですよね
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釈尊の前でのコンサート

2010-07-18 18:55:55 | 生かされて今日


 膨大な数のご先祖さまへ感謝を捧げるお盆の時節を迎えました。自分のこの生命は両親をはじめとする無数のいのちが存在したからこそ今生かされています。空に立つ大樹の根は肉眼では見えないように、無数の先祖が生きてくれたお陰様で今私は生きています。大いなる宇宙意思という松明(たいまつ)のリレーが私の命なのです。
 来月の8月6日は広島、9日は長崎の原爆の日、さらに15日は敗戦日という日本人としては忘れてはならない悲しみの時節が続きます。
 立正佼成会横浜教会普門館ではご本尊であるお釈迦さまのおん前で、東京佼成ウインドオーケストラの奉納演奏を、目に見えないご先祖さま方と共に楽しみました。会場には霊魂が充満して美しい音楽を堪能されたことでしょう。
美しい小倉真澄さんの司会で、有名なサクソホーン奏者の須川展也さんも出演されました。氏は東京佼成ウインドオーケストラのコンサートマスターで東京芸大講師、ヤマハ吹奏楽団の常任指揮をされています。ブラボー!
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京都を歩く(その8洛中)

2010-07-17 16:17:33 | 生かされて今日
 幕末の志士たちが芸妓と過ごした花街、先斗町(ぽんとちょう)のせまい路地に夕立が来ました。いろんな業種が密集し、今はまだ3時ごろの開店支度中、これから夜にかけて赤い灯青い灯がにじみにぎやかになるのでしょう。21世紀の企業戦士や商家の旦那たち、一見のツーリストたちが和服に決めた美女たちと楽しい一時を過ごします。
梅雨に煙る花街のやっと抜けられる径に黒壁やすだれに石畳も情緒がありますね。
 ここは勤皇の志士・本間清一郎が闇討ちされた現場だそうです。高瀬川や木屋町近辺には佐久間象山や大村益次郎、坂本龍馬、中岡慎太郎など倒幕の大物が命を狙われた物騒な歴史が地下に眠っているのです。街灯のない漆黒、携帯電話もない暗闇の幕末です。わが島津藩の「人斬り半次郎」、中村半次郎も仮住まいしていたそうです。外国語みたいなカゴッマ弁がよく通じたもんですね。
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京都を歩く(その7洛南)

2010-07-15 19:08:30 | 生かされて今日
 世界文化遺産の醍醐寺の総門へ戻る道は、すばらしい小雨の青楓のトンネルでした。まさに緑したたるカエデの道を仰ぎつつ、自分が自然の一部分で仏さまのふところに抱かれて安らぐ時を楽しめました。贅沢なひと時です。
門を出て行くと荘厳な三法院は工事されており、国宝唐門の大きな金色の菊のご紋が一瞥できました。
 ゆるやかに下る道を地下鉄醍醐駅へ出ました。駅の周辺は最近発展したベッドタウンらしく、庶民的な新興住宅とショッピングモール街になつていました。
 一日・二日乗車券に付いてくる観光ガイドマップにアクセス早見表があり、とても便利です。現在地から行きたい目的の観光名所へのアクセス方法(バスと地下鉄)がコンパクトにしるされていて、おのぼりさんには安心便利な表です。京に慣れないツーリストは是非ご活用をお勧めします。出来たら文字を大ききして頂きたいです。
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京都を歩く(その6洛南)

2010-07-13 12:34:33 | 生かされて今日

 さて次に向かうのは醍醐寺、豊臣秀吉のド派手な花見で有名な名刹です。お寺への道は観光地図のおおざっぱ記憶なので、霧のような梅雨の中を迷い歩く人生そのものです。
角を曲がって来たおじさんにお寺への道を尋ねると、こっちだよと一緒にテクテク歩いてくれました。横浜からのひとり旅だと答えると、しげしげと感心している体でした。途中左官屋さんにも道を聞いてようやく山すその醍醐寺です。青葉のトンネルを抜けるとくすんだ丹色の金堂(国宝)が迎えてくれました。お堂の前でお線香を灯してから仏前にひとり端座しました。
薄暗い金堂の端に屋根瓦補修への寄進が出来るとあるので、控える若い僧に千円お出しお札をだきました。もっと明るい所に寄進の案内を出して功徳を積めることを勧めればいいのにと思います。願(がん)はわがご先祖への供養といたしました。
 棒になった脚を投げ出して金堂から青葉の眺めを独占していますと不思議と脚も軽くなった感じです。洛南は人里はなれて人出がすくなくジックリ派には穴場ですよ。
近くの五重塔も国宝で、どっかと骨太い勇壮なものです。バリアに覆われて濁世の梅雨を受け付けない気品があります。近づいたりはなれたり塔の周辺を歩き回りました。上醍醐の方へのぼる元気はもう出ませんでした。

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京都を歩く(その5洛南)

2010-07-11 07:12:13 | 生かされて今日

 法界寺から平清盛の子ども平重衛(たいらのしげひら)のお墓があるというので、迷い歩いて選挙ポスターが貼られ立て込んだ住宅の道をゆく。ようよう公園にあるお墓に到着すると、ハラハラと梅雨が降り出して傘をさして合掌する。くちなしの花が空白のある如く咲いている。
 重衛(しげひら)は武勇の公達(きんだち)でしたが、一の谷の合戦で捕虜となり鎌倉へ連行されました。平家を倒した頼朝は、生け捕りされても落ちついた姿に心が動き、優遇したそうです。
しかし、奈良の東大寺、興福寺を焼いた大将として身柄を南都へ引き戻され、あわれにもこの近辺で切られました。妻との最後の別れが伝えられ、この雨はふたりの泪だったのでしょうか。南無妙法蓮華経

 P.S.
   今日は参議院選挙投票日です。棄権は危険です!
必ず投票に行きましょう。

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京都を歩く(その4洛南)

2010-07-09 21:01:23 | 生かされて今日

 今日は宇治に近い洛南を目指し、国宝の阿弥陀堂がある法界寺へ地下鉄東西線に乗り山科から終点に近い石田駅で降りました。こちらは私にははじめての地です。
日野の里と云い親鸞上人(信者日本一の浄土真宗開祖・法然上人の弟子)や応仁の乱の一因で悪名高い日野富子を生んだ藤原一族の日野氏の根拠地だそうです。
 駅から青田もあるだらだら坂を25分上り、まだかまだかと昨日の疲れが抜けない足を引きずり尋ね歩いて山すその山門にたどり着きました。さすが国宝のお堂は気品のある堂々たるたたずまいで鎌倉期のつくりとか。日野薬師とも云われる薬師堂は右手にあります。朝方でお寺には誰一人いなくて私の独り占めです。境内の蓮池もキキョウの花も心を和ませる風情でした。
昔はきっと都から遠くはなれた大田舎で、夜はきつねや狸に怨霊の出歩く闇の深い場所だろうなと思いました。

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京都を歩く(その3洛北)

2010-07-08 08:41:05 | 生かされて今日

 松尾芭蕉(1644-94年)以降永らく衰退していた俳句を中興したのは与謝蕪村(1716-83年)とされています。一流画家でもあり、雪降り積もる京の夜景の「夜色楼台図」が国宝に指定されたばかりです。
 私は芭蕉翁に取り付かれて、まだろくに蕪村先生を勉強していないのですが、詩仙堂に近い金福寺(こんぷくじ)のお墓に初めて詣でました。
まだ夏日の射す中を尋ね歩き山際の静かなお寺です。老住職さんの半はだかに迎えられ、裏山の坂を上りますとヤマモモの実が散り敷いています。ポトッと音がして苔の上に落ちます。
さらに上ると大きなお墓で小さな蜘蛛が揺れ、彫られた「蕪」の辺りに木洩れ日が射していました。もちろん凡才の俳句修行にお力添えをお祈りしました。さいわい誰もいないので、お墓の蕪村先生と二人きりでした。西日射す京の街が夏木立ちに一望される丘の上です。わが横浜に句碑がある青木月斗のお墓もありました。
 蕪村の名句をどうぞ。とても江戸時代とは思えない現代的詩です。

○春の海終日(ひねもす)のたりのたりかな
 ○愁ひつゝ岡にのぼれば花いばら
○菜の花や月は東に日は西に
 ○花いばら故郷の路に似たるかな
○牡丹散りて打ちかさなりぬ二三片
 ○鮒ずしや彦根が城に雲かかる
○夏河を越すうれしさよ手に草履
 ○月天心貧しき町を通りけり


 

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京都を歩く(その2洛北)

2010-07-06 05:54:56 | 生かされて今日
 初めて下鴨神社をお参りし広くうっそうとした糺ノ森を抜け、バスで出町柳へ。足はすでに棒になりレストランでまずビールを流し込んで食事。店のおやじによると昔のこの辺りはもっと柳の木が多くさびしい場所だったそうだ。
 叡山電鉄で3つ目一乗寺で下車、詩仙堂へだらだら坂を上ると宮本武蔵が吉岡一門と決闘したという石碑がありました。吉川英治の世界で、近くの看板には「われ神仏を敬い、神仏をたのまず」と二刃流武蔵の絵がかかっています。
 詩仙堂は江戸初期の武人石川丈山隠棲の山荘が寺になったものらしい。庭へうちひらき境目のない広間に足を投げ出すと、アマガエルの声が足元に浮び一匹が葉を揺らして現れました。糸トンボや蝶ゝ、大きな鯉もつつじの花もわが仲間に感じられる癒しの場でした。
 ♪詩仙堂打ち解け顔のあまがへる  駿
そこへヤボ天のおっさんがズカと踏み込んできて携帯電話での声です。お陰さまでいっぺんに濁世に引き戻されました。自己中心で周囲に思いやりのない鈍感はまさに暴力です。景勝地や神社仏閣ではマナーモードにする指導をお願いしますよ。鈍感には逃げるにしかずと引き上げました。
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京都を歩く(その1洛北)

2010-07-05 06:07:45 | 生かされて今日

 リュックを背負って梅雨の京都駅に降り立ちました。これから3日間、きままに京を歩く一人旅です。駅ビルにある観光案内所で地下鉄バスフリー券(二日間2千円)を買いました。この乗車券は手当たり次第に乗れる安心感がいいですね。流石に古都の案内所は立派で親切に教えてくれます。
 いの一番に目指すのは世界遺産の上賀茂神社、小学生の一団に混じり茅の輪をくぐり半年のちりあくたを祓いました。国宝の神殿には近寄れませんが、やしろを流れる清流に木洩れ日が射し、瀬音のすがすがしさを耳に古人の祈りを感じます。流れの石に腰掛けていると夢とうつつの境がなくなり立ち去りがたい気がしました。神のまします聖地なのでしょう。森の自然と一体の簡素な印象で、お寺と違って入場料はありません。ありがたいです。
 京都の川は「鴨川」と信じていましたが、この辺りは「加茂川」と云うことを知りました。この旅で京はホントに水に浮ぶ都だと実感しました。御所の地下には豊かな伏流水が流れているそうです。川沿いの遊歩道は散歩やランニングの方々が暮しを楽しんでいる風情でした。やはり京都は心のふるさと、歴史が違いますね。

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新幹線は全面禁煙にせよ

2010-07-01 06:36:37 | 生かされて今日
 京都からの帰りに乗った夕刻の新幹線車両が禁煙車でなくて困りました。予約を確認しなかった為に、車内でクジラの潮吹きのような喫煙のたびにデッキや停車駅のホームへ避難する有様でした。お隣はビジネスマンで出張の帰りの様子で、密閉されている身近なこのタバコのにおいにはめまいがして気分が悪くなります。間接喫煙はまるでガス室での拷問です。愛煙家はせめてデッキで吸うとかつつしみを持てませんか。
じつは京都駅のプラットホームでも東山の夕景を楽しもうとしましたが、風向きによる喫煙コーナーからの不愉快なにおいにハンカチを当てて息する状態でした。これでは日本文化の伝統・京都があの紫煙に汚染されて台無しではないでしょうか。
「ふとん着て寝たる姿や東山」も煙害でワヤでした。今ではビルディングの全館禁煙は常識、新幹線の全面禁煙をお願いします。愛煙家の将来の為にも医療保険制度財政の改善の為に国は税収というお金や既得権より国民(愛煙家を含む)の健康を守る姿勢を持つべきだ。わが神奈川県の禁煙条例は日本ではじめて、松沢知事の英断である。

 
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