四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

万葉集の酒を讃める歌

2021-09-30 05:07:51 | 歌の花束

万葉集 大伴旅人(おおとものたびと)の歌

 今から約1300年前、九州太宰府の長で斜陽貴族の大伴家を率いた方です。もともとは天皇家を守る親衛隊筆頭の家柄でしたが、藤原氏が権力を握りジリジリと追い落とされて行きました。奈良の都から事実上九州へ飛ばされたのでしょう。夫人を帯同した転任でしたが、現地で愛妻を亡くされました。

どうしようもない悲しみをいっとき癒やしたのはどぶろくの宴会と山上憶良や沙弥満誓らとの歌会だったようです。仏教の無常観でない現実重視のドライな歌です。万葉集を編さんした大歌人、大伴家持(おおとものやかもち)の父です。


○験(しるし)なき物を思はずは

    一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし    

○中々に人とあらずは

    酒(さか)壷(つぼ)に成りてしかも酒に染みなむ

○価(あたい)なき宝といふとも一坏の濁れる酒に豈(あに)勝らめや

○生まるれば遂にも死ぬるものにあれば

    今生なる間は楽しく有らな
○この世にし楽しくあらば

    来む世には虫にも鳥にも我はなりなむ

○生けるひと遂にも死ぬるものにあれば

    この世にある間は楽しくあらな

○吾妹子(いも)が見し鞆の浦のむろの木は

    常世(とこよ)にあれど見し人そなき

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芭蕉さんが名付け親に

2020-05-31 09:57:09 | 歌の花束

  芭蕉さんと曾良の「おくのほそ道」は、陽暦5月16日に渡し舟で隅田川を遡りスタートしました。別れを惜しむ弟子衆は千住まではと同船していました。

翁一行には一度も足を踏み入れたことのない未知の国への旅たちです。

翁は46歳の老境で胃痛や痔の持病持ち、東海道のように治安が良く一里塚や旅籠など整備されていないみちのくの旅です。同行する河合曾良は41歳、共に武士あがりの僧形の隠者です。

150連泊を超す蓑と草鞋、旅手形の旅は不安だったでしょう。行倒れを覚悟のまさに冒険の修行の旅ですから水盃の別れだったでしょう。

千住で縁者と最後の別れをして日光街道へ歩み出しました。

 日光から那須黒羽にある大関藩の弟子を尋ねんと近道しました。宿の主人の自称・仏五左衛門に勧められたのです。

土砂降りや広大な野に迷い農夫に道案内を乞うと、止まったところまでと野飼いの馬を貸してくれました。馬の翁に兄妹ふたりの童がついてきました。

小娘に名を聞くと「かさね」と。翁はこんなひなびた暮らしに優雅な名前だと感心しました。

「かさねとは八重なでしこの名なるべし」 曾良

翁の代作です。馬が止まった人里で謝礼を鞍に結び別れました。

長旅を終え縁ある人から赤ちゃんの命名を頼まれ、「かさね」と名付けたことが翁の俳文(「重ねを賀す」)にあります。おおまかな意訳は下記の通り。

 『奥州の旅の時、どこの里だっただろうか。小娘の六つばかりがとても可愛かったので名を問うと「かさね」と答えた。

こんな田舎にどうしてこんな優しい名前が残っているのだろうか。

もし私に子があったらこの名をつけようと同行の曾良に冗談を言った。

後日縁あって膳所の人に頼まれ名付け親となり重ねと名をつけました。』

この俳文には珍しく翁の和歌が添えてあります。

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人麻呂の恋歌

2020-04-18 09:32:49 | 歌の花束

 今日4月19日は万葉集歌人のナンバーワン、柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)の忌日、人麻呂忌だそうです。身分が低いために公の記録になく、生死おぼろげの大歌人です。山部赤人(やまべのあかひと)と双璧をなすそうです。死に場所、晩年について梅原 猛先生が『水底の歌』で従来の説(斎藤茂吉)を木っ端みじんに覆しました。

☆ささの葉は み山もさやに さやげども 

    われは妹(いも)おもふ 別れきぬれば

☆寄り寝し妹を 露霜の 置きてし来れば この道の 

    八十隈(やそくま)ごとに万度(よろづたび)

    かへり見すれど いや遠に 里は離(さかり)ぬ

    いや高に 山も越えきぬ 夏草の 思ひしなえて

    偲ふらむ 妹が門(かど)見む 靡けこの山

☆石見(いわみ)のや 高角山(たかつのやま)の木の間より

    わが振る袖を 妹見つらむか

☆春されば しだり柳のとををにも 妹は心に

    乗りにけるかも

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上皇后美智子さまの歌

2019-08-23 10:39:25 | 歌の花束

気高き陛下は現代日本有数の歌人です。初めて民間から皇室に嫁がれ、因習の巣窟での摩擦でひとりご心痛いかばかりかと想像されます。一時お声が出ぬ苦しみの日々もありました。

上皇さまが皇太子時代、軽井沢でのテニスコートを通じて美智子さまを射止められた頃の御製。

 語らいを重ねゆきつつ気がつきぬ

        われのこころに開きたる窓

美智子さまを「こころに開きたる窓」と詠われる恋歌。よくぞ最高のやまとなでしこをご説得されました。

お母さん、正田富美子さまを詠まれた歌。

彼岸花咲ける間(あわひ)の道をゆく

          行き極まれば母に会ふらし

母堂をなくされてからの歌。自由に甘えることさえ出来ず懺悔が滲むとても切ない歌です。

次は夫君つまり上皇さまを詠まれた歌。

 遠白き神代の時に入るごとく

                               伊勢参道を君とゆきし日

 ご結婚を大神宮へご報告の日と思われます。

天皇としての重責を負われる陛下を案じておられます。

 ことなべて御身ひとつに負ひ給ひ

        うらら陽のなか何思(おぼ)すらむ

昭和天皇をしのばれた歌。

セキレイの冬のみ園に遊ぶさま

                               告げたしと思ひ覚めてさみしむ

今生天皇のご成婚を喜ぶ歌

 たづさへて登りゆきませ山はいま

        木々青葉してさやけくもあらむ

現皇后が愛子さまをご懐妊を詠う。

 いとしくも母となる身の籠れるを

        初凩のゆうべは思ふ

戦場慰霊の歌。

 いまはとて島果の崖踏みけりし

        をみなの足裏思へば悲し(サイパン島)

 慰霊地は今安らかに水をたたふ

              如何ばかり君ら水を欲(ほ)りけむ(硫黄島) 

アフガニスタン大仏の爆破を悲しむ。

 知らずしてわれも撃ちしや春闌くる

         バーミヤンの野にみ仏在(ま)さず

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朝日歌壇のこの一首

2016-01-11 17:16:06 | 歌の花束

 昭和90年、去年の入選作品の中から歌壇トップの選者4人がそれぞれに一首を抜き出されました。まさに、この一首です。

藤原定家は100人の歌人から一首を選び「小倉百人一首」を定めました。一年間の優秀作品からのこの一首ですから、さぞ選者は悩まれたことでしょう。

 議会制民主主義のルールを無視し、集団的自衛権を勝手に解釈し血と涙の平和憲法をおとしめたアベと公明の愚かなる政治に3首が痛棒を浴びせております。国の主権は政治屋になく、国民であります。

 

高野公彦先生選

◯終戦の一年前から戦死者のずらりと並ぶ寺の過去帳    岡田独南


佐々木幸綱先生選

◯永久とは七十年なるかぐらつきし憲法九条祈るごと読む  沓掛喜久男


永田和宏先生選

◯特攻は命じたものは安全で命じられたる者だけが死ぬ   直木孝次郎


馬場あき子先生選

◯百歳まで生きてと言われし寂しさにシーラカンスになるわと苦笑す  棚橋久子

 

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第60回横浜俳句大会(その三)

2015-10-29 12:06:15 | 歌の花束

 みなとのみえる丘公園の秋の薔薇がいいですよ。バラは横浜市の花、江戸時代末期ペリー提督の

黒船が来てから外国に開いた新しい港まちを見下ろします。その当時は何もなかった寒村でした。

諸外国は交通の便のよき東海道に面した神奈川湊(今の横浜駅近く)を指定したのですが、幕府は

参勤交代の大名行列でのトラブル・衝突を怖れ、ごまかしてど田舎の寒村を開場しました。

老練な外交でした。

 

◯神奈川現代俳句協会賞

  敗戦忌砂落ち尽くす砂時計   相 道生

◯日本伝統俳句協会賞

  母の日や使へぬ物にくぢら尺  池田恵美子

◯横浜文芸懇話会賞

  花は葉に日々新らしく老いてゆく 大西昭舟

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春を待つ

2015-01-15 08:47:27 | 歌の花束

 寒に入り、20日は大寒となります。世相は内外ともに寒さがまして参りました。自然災害や気候の激変が起こり続けています。増税の上に生活日常品の値上げが続き、持てるものともたざるもの、正規労働者と派遣社員・契約社員との格差が大きく開いております。

パリではイスラム原理主義者のテロ事件で、移民を受け入れててきた欧州諸国に反イスラムの恨み憎しみ(非寛容な国粋主義)が国を分断する動きが見られます。イスラム国でのおぞましい人殺しの写真がインターネツトで拡散しています。

気候も寒ければ、世界での人間間の調和がズタズタに引き裂かれるような気配です。早く春が来て欲しいですね。

 新潟出雲崎の産んだ良寛さんのご命日は1月6日、良寛忌でした。おおらかな村の聖人の歌を読んでせめて心に春を招き入れましょう。

  

 『冬ごもり 春さりくれば 飯いひ乞ふと 草のいほりを 立ち出でて 

 

里にい行ゆけば たまほこの 道のちまたに 子どもらが 今を春べと 手まりつく 

 

一二三四五六七ひふみよいむな 

汝ながつけば 我あはうたひ あがつけば なはうたひ

 

つきて歌ひて 霞立つ 長き春日はるひを 暮らしつるかも

 

   かへしうた

 

霞立つ長き春日を子供らと手まりつきつつ今日もくらしつ

 

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長崎での惨劇(原子爆弾)

2014-08-08 20:46:55 | 歌の花束

      長崎忌・・松尾あつゆきさん           

 松尾氏は長崎高商(長崎大学の前身)の学生時代から、自由律俳句の荻原井泉水に師事し、『層雲』の主要同人として活動、高校教諭から食糧営団に移り、その勤務中に原爆被爆、七ヶ月の嬰児を含む妻子四人を殺されました。その句は占領軍により発表することができませんでした。この原爆詠が一般的に読まれたのは、昭和三十年に刊行された『句集 長崎』が初めてだそうです。

私たちは花鳥諷詠ばかりの政治無関心な徒であってはならないと思います。世界中の愚かなる政治が正義をおしたてて戦争を引き起こしたかは歴史を見れば明らかである。


『昭和二十年八月九日 我家に帰り着きたるは深更なり。

      月の下ひっそり倒れかさなっている下か

十日 路傍に妻とニ児を発見す。重傷の妻より子の最後をきく(四歳と一歳)。

      わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ
      すべなし地に置けば子にむらがる蝿

      臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい

長男ついに壕中に死す(中学一年)。

      炎天、子のいまわの水をさがしにゆく

      母のそばまではうでてわろうてこときれて

      この世の一夜を母のそばに月がさしてる顔

外には二つ、壕の中にも月さしてくるなきがら

十一日 みずから木を組みて子を焼く。
      とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい
      ほのお、兄をなかによりそうて火になる
   早暁骨を拾う。
      あさぎり、兄弟よりそうた形の骨で 

      あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨かな

十三日 妻死す(三十六歳)。

      ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへこときれる
十五日 妻を焼く、終戦の詔下る。
      なにもかもなくした手に四枚の爆死証明
      夏草身をおこしては妻をやく火を継ぐ
      降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ        


 明日8月9日は長崎忌、ただ、合掌するばかりです。私のおやじも長崎高商に学びました。戦争で多数の友人を失ったそうです。

 

 

 

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長崎での惨劇(原子爆弾)

2014-08-08 20:45:27 | 歌の花束

      長崎忌・・松尾あつゆきさん           

 松尾氏は長崎高商(長崎大学の前身)の学生時代から、自由律俳句の荻原井泉水に師事し、『層雲』の主要同人として活動、高校教諭から食糧営団に移り、その勤務中に原爆被爆、七ヶ月の嬰児を含む妻子四人を殺されました。その句は占領軍により発表することができませんでした。この原爆詠が一般的に読まれたのは、昭和三十年に刊行された『句集 長崎』が初めてだそうです。

私たちは花鳥諷詠ばかりの政治無関心な徒であってはならないと思います。世界中の愚かなる政治が正義をおしたてて戦争を引き起こしたかは歴史を見れば明らかである。


『昭和二十年八月九日 我家に帰り着きたるは深更なり。

      月の下ひっそり倒れかさなっている下か

十日 路傍に妻とニ児を発見す。重傷の妻より子の最後をきく(四歳と一歳)。

      わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ
      すべなし地に置けば子にむらがる蝿

      臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい

長男ついに壕中に死す(中学一年)。

      炎天、子のいまわの水をさがしにゆく

      母のそばまではうでてわろうてこときれて

      この世の一夜を母のそばに月がさしてる顔

外には二つ、壕の中にも月さしてくるなきがら

十一日 みずから木を組みて子を焼く。
      とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい
      ほのお、兄をなかによりそうて火になる
   早暁骨を拾う。
      あさぎり、兄弟よりそうた形の骨で 

あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨かな

十三日 妻死す(三十六歳)。

      ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへこときれる
十五日 妻を焼く、終戦の詔下る。
      なにもかもなくした手に四枚の爆死証明
      夏草身をおこしては妻をやく火を継ぐ
      降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ        


 明日8月9日は長崎忌、ただ、合掌するばかりです。私のおやじも長崎高商に学びました。戦争で多数の友人を失ったそうです。

 

 

 

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酒をほめたたえる歌

2014-01-08 18:50:18 | 歌の花束

 元旦の朝6時、平和祈願の初読経が行われた立正佼成会横浜教会でははなやかに鏡開きがありました。そしてこも樽のお酒が参列者にふるまわれました。木の香りのする樽酒は肺腑にしみわたりました。

大歌人・大伴家持(おおとものやかもち)のお父さん・大伴旅人(たびと)が『万葉集』に酒をほめる詩をうたつております。今から約1300年前の奈良時代ですからお酒はどぶろく、清酒ではありません。

大伴家は天皇を守る親衛隊の名門貴族でしたが、藤原一族に押さえられて衰退していきます。最晩年の旅人は63才(当時の平均寿命は30台でしょうか)で九州福岡の太宰府へ長官として赴任します。年をとってからの都落ち、左遷でしょうね。そして伴った愛妻が間もなくして亡くなる悲しみに打ちのめされました。にがい酒に憂世を忘れ飲まずにはいられなかったでしょう。

教会の清きお酒が波打つこも樽をのぞき込むと、私も旅人と同じように酒樽の中に浸ってみたい気分がしました。

大伴旅人に救いだったのは山上憶良や坊さんの満誓(まんぜい)など太宰府の歌人仲間が居たということです。友だちは大事ですね。


◯験(しるし)なきものを思わずは一坏(つき)の濁れる酒を飲むべくあるらし

◯なかなかに人とあらずは酒壺になりにてしかも酒に染みなむ

◯黙(もだ)をりて賢(さか)しらするは酒飲みて酔(え)ひ泣きするになほ及(し)かずけり

 

◯この世にし楽しくあらば来む世には虫にも鳥にも我はなりなむ

◯妹(いも)が見し楝(おうち)の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに

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河野裕子短歌賞・・・家族を歌うから

2013-12-31 07:58:36 | 歌の花束

 惜しまれて亡くなった歌人・河野裕子の名を冠した短歌顕彰で今年は第2回となります。その受賞作品から私の好きな歌をご紹介します。

あの大震災の日から大津波や放射能汚染で家族が崩壊、崩れかけている方々、この理不尽な仕打ちに我慢されている方々を思うと・・・。家族は最小の社会、こまやかな人間味を取り戻す場です。その家族間の思いやりを歌つています。


★遠からずどちらかひとりの残る家ふようが咲いてむくげが咲いて   岡山県 河田朝子

☆息子には連れ添ふ女(ひと)のゐることを藍の日傘をかざして聞けり  京都府 大石悦子

★病得て家離れゐるわが妻に庭の木蓮咲きしを告ぐる         福岡県 堀江英毅

☆就職の決まりし孫は初刷りの名刺百枚仏壇に供ふ          千葉県 旭 千代

★施設にて父は幾たび泣いただらう貧しい昔の家族を恋ひて      京都府 坂根美和子

☆娘(こ)の連れて来しこの男何者ぞ交す会話に五感めぐらす     香川県 上久保忠彦

★しわしわでふにゃふにゃしててちっちゃいが君も今日から「田中」なんだね  京都府 田中                                                  佐和子

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歌会始(うたかいはじめ-2)

2013-01-30 16:51:35 | 歌の花束

 今年の兼題は「立」、一首の中に織り込んで競い合う知的なゲームです。短歌(和歌)も俳句も川柳も日本の伝統文芸で、将来の日本人に受け継ぐことが期待されております。少しでもご関心のある方は是非御入門をお勧めします。

とりあえず新聞の文芸欄には、歌壇、俳壇が必ずございますので、日頃から目を通して頂きたいと思います。


 ☆羽摶きて白鳥の群れとびてり呼び合う声を空へひろげて    佐藤マサ子


☆自画像はいまだに未完て掛けたイーゼル越しの窓が春めく   青木信一


 ☆何度目の雪下ろしかと訊ねられ息をととのへ降る雪につ    宮沢房良


☆いつせいに蚕は赤き頭て糸吐く刻をひたすらに待つ       鬼形輝雄


 ☆人々が同じ時間にち止まり空を見上げた金環日食       瀬利由貴乃


☆ネクタイをゆるめず走る君の背をち止まらずに追ひかけるから  川俣茉紀

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2013年歌会始(うたかいはじめ-1)

2013-01-29 10:52:02 | 歌の花束

 和歌は古事記にあるように上代から記録があり、貴族的で優美、天皇の命による勅撰集があるほどの格調があります。

一方俳句は平民の俗語を使いふざけた滑稽を旨としています。天皇家では和歌が尊重されており、残念ながら私が好む俳句は陛下達はされないのです。

16日に皇居では歌会始がございました。兼題は「立つ」。約18000首の応募が海外からもあり、優秀作品が天皇皇后両陛下の前に朗々と披講されました。入選者で一番若い作者はなんと12才、東京の中1少年、太田一毅くんでした。

私の感銘した作品を選ばせて頂きました。


☆実は僕家でカエルを飼ってゐる夕来るも鳴かないカエル  太田一毅(実はが面白いですね)

 

  ☆万座毛に昔をしのび巡り行けば 

           彼方(あがた)恩納岳さやにちたり    天皇陛下(沖縄ご訪問のお歌)

  ☆天地にきざし来たれるものありて

           君が春野にたす日近し           皇后陛下(天皇陛下の手術後のご安堵)


☆蕗のたう竹籠もちて摘みゆけばわが手の平に香りちきぬ     常陸宮妃華子さま

☆俄かにも雲ち渡る山なみををちに光れりつよき稲妻        三笠宮妃百合子さま

ちどまり募金箱へと背伸びする小さな君の大きな気持       高円宮承子さま

 

 

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テネシーワルツの昭和は遠い

2013-01-22 12:50:45 | 歌の花束

 アメリカの歌手、パテイ・ペイジさんが元日に亡くなられたそうです。何と言おうと名曲「テネシーワルツ」ですね。女友達に恋人を盗まれた悲しい失恋の歌で、英語オンチでもゆったりしたメロディなので歌いやすいです。コンサート会場の画面に涙を拭いている老婦人がおられ、青春の悲しみを思い出されたのでしょうか。上品な美しい歌手、パテイに恵まれて全世界でレコードが一千万枚も売れた名曲です。

「My friend stole my sweetheart from me」が切ないですね。

いまから63年前、太平洋大戦終結後間もない1950年、昭和25年世に出た曲です。その頃わが家はお爺さん、両親も健在で兄弟姉妹4人がいて七人家族でした。それに雑種犬、ジョンもいました。今生きているのは姉、妹と私三人だけです。

「テネシーワルツ」を聴きますとその頃の家庭の思い出がセピア色に浮かんで参ります。あの頃の昭和は遠くなりました。

 テネシーワルツ聴く寒紅をさしながら  駿

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恋は魔物だ

2012-11-26 16:15:24 | 歌の花束

 万葉集の巻の4に恋と言う魔物に捕捉されて、心身がマヒし身動きできない歌があります。広河女王(ひろかわのおほきみ)という貴族のお姫様です。

  『恋は今あらじとわれは思えるを

                 いづくの恋いぞ掴みかかれる』

もう恋することは無いと思っていたのにどこの恋かしら、つかみ掛かってくるよ。恋が私を掴んで離さないなんて、擬人法を使っていて表現が独自で大胆、生々しく素晴らしい。

好きになると四六時中恋人のことばかり浮かんできて、あーだこーだと心配な妄想が失恋の不安をかき立てるのです。一点に意識固着してマヒした心になり、他のことが考えられなくなるのでしょう。皆さんも青春時代の記憶が残っていませんか。

現代のカップルは邪魔する親をかわしてケータイで直接意思を確かめたり推量し得るでしょうが、古人たちは顔も見せることはないからアクセスが大変でしたでしょうね。

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