四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

おかげさまの一年

2017-12-30 07:23:37 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『今年も無事に一年を過ごさせていただいて思うのは、「この身に、どれほどのご守護を頂戴してきたことか」という感慨です。

 「タンポポが一輪咲きました根のお陰です葉のお陰です」という、どなたかの詩の一節があります。とかく私たちは、タンポポの花にだけ気をとられて、その花が、根のお陰、葉のお陰で咲いていることに気づかずにいることが多いのですね。

 それと同じで、お互いさま、ご主人のお陰、奥さんのお陰、親のお陰、子どものお陰、まわりのみなさんのお陰を、ごくあたりまえのことのように思い、見過ごしてはいないでしょうか。この世の中でいちばん大事なものは、よほど心の眼を見開いていないと見えてこないのです。

 百七歳の天寿をまっとうされた清水寺貫主の大西良慶師は、「ありがとう言うて生きることが極楽やの」という言葉を残しておられます。

一年の終わりに、もう一度、まわりのお陰さまをかみしめたいものです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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支えられている自分に気づく

2017-12-24 08:27:42 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『物は、ただ豊富であればよいというものではありません。どんなに山海の珍味が並んでいても、それをただガツガツと食べるだけでは、貧しい食事になってしまいます。たとえ一汁一菜(いちじゅういっさい)の料理でも、作った人の苦労を思い、自然の恵みに感謝して食べることができれば、それはこの上ない豊かな食事になります。

 飛行機が大空を飛んでいるのを見て、私たちはジェットエンジンの推進力とパイロットの操縦で飛んでいるぐらいにしか考えませんが、よく見ると、それはたくさんの働きによって支えられていることが分かります。地上からの無線誘導をはじめ、さかのぼれば、飛行機を造った人、燃料を掘り出した人、それを精製した人、エンジンの素材に欠かせないチタン鉱を掘り出した人、そして、それらの原料を人間に提供してくれる大地の恵み……。そのどれを欠いても飛行機一機、飛ぶことができないのです。世界中の、いや地球上のあらゆる働きを集めて飛行機は大空を飛んでいるわけです。目に見えないたくさんの恩恵への感謝を忘れることのない生き方であってこそ、文明の名に値する真に豊かな生活といえましょう。』 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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自分次第です

2017-12-22 05:12:41 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『仏教の教えのかなめは縁起(えんぎ)です。縁起とは他との関係が縁になって、すべてのものごとが生起することです。一切のものは縁によってたもたれ、縁によって変化し、そして縁が切れると消滅していくのです。

善因善果(ぜんいんぜんか)、悪因悪果(あくいんあっか)というように、人の行為には必ずその報いがあるのですが、いまの若い人たちに因縁というと、いかにも古めかしいものに感じるかもしれません。それで私は、因縁を「出会い」と言い換えて説明させてもらうのです。仏教は出会いを大切にする教えといってもいいと思うのです。

 私たちは毎日、じつにさまざまな出会いをしています。いろいろな人と出会い、いろいろな出来事と出会い、いろいろなニュースや情報と出会う。それにどう対処するかで、自分の人生が変わっていくのです。

 出会いを、憎しみ、争いの出会いにしていく人もいます。逆に、どんな嫌なことも善(よ)い縁に変えてしまう人もいます。すべての出会いが、こちらの対し方で善縁にも悪縁にも変わるのです。

 どうすれば出会いを善い縁に変えていけるか。それを教えるのが仏教だといってもいいのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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でっかい夢を

2017-12-20 07:05:14 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『「大欲は無欲に似たり」という言葉があります。お金がほしい、車がほしい、マイホームがほしいといった欲は、じつは小さな欲で、それに対して、人びとのために役立ちたい、人さまをお救いしたいという欲が大欲です。それは自分のための欲とは違って、言ってみれば無欲と同じことになります。

仏教では「欲を捨てる」大切さを説きますが、その教えのありがたさが分かってくると、社会のため、世界のため、人類のためというように、だんだん大きな欲が出てくるのです。

 お釈迦さまのお弟子の阿那律尊者(あなりつそんじゃ)は、お釈迦さまの説法のさなかに眠ってしまったのを恥じて、自ら眠ることを禁じ、そのために視力を失ってしまいました。その阿那律が精舎で自分の衣のつくろいをするのに針に糸を通すことができず、「だれか、私のために糸を通して功徳を積む人はいないだろうか」と呼びかけると、「私に功徳を積ませてほしい」と申し出た人がありました。それがお釈迦さまだったのです。

 そして、そのときお釈迦さまは「私ほど福を求める者は、ほかにいないだろう」とおっしゃられているのです。お釈迦さまは終生、より大きな幸福を求める修行に徹しられたのです。』

 庭野日敬著『開祖随感』より

 

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蟻の目と鳥の目と

2017-12-18 05:05:22 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『「開発」という言葉で樹木が伐(き)り倒され、自然がどんどん破壊されています。工場廃液は海に流されて海を汚(よご)し、海水中のプランクトンの量が激減しているそうです。

人間が生きていくのには酸素が必要ですが、その酸素をつくり出すには樹木と植物プランクトンの働きが必要です。

 およそ全地球の酸素の30パーセントを樹木がつくり出し、70パーセントを海中の植物プランクトンがつくり出しているといいます。環境問題の専門家は、このまま自然破壊が進むと、近い将来、人類は戦争による危機よりもさらに重大な危機にさらされると警告しています。

 外国では樹木を伐った場合、その数だけ樹木を植えることを法律で定めているところもあるそうです。

 評論家の竹村健一さんは、事の実体を見極めるのには、地を這うように現実に即した視点で見る「蟻の目」と同時に、空を飛ぶ鳥のように大所高所から状況を見定める「鳥の目」の二つの見方を持つことが必要で、それでこそ道を誤らずに進むことができる、と言われています。そうした観点に立って自然との調和をはからなければ、人類は自らの首を絞める結果になってしまいましょう。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

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信じられるもの

2017-12-05 08:00:06 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『つい数年前まで、米の増産に対して奨励金が出されていたのに、いまは米を作らないようにすることに、奨励金が出されるようになってしまいました。

 このように社会全体がクルクルと変化して、いったい何を信じたらよいのか分からない状態になっています。そうした影響もあって、社会全体が、未来に向けて地道な努力を重ねるよりも、すぐに結果が現われる目先の楽しみを求めるようになってしまったように思われます。

 人びとがパチンコや競馬といった刹那的(せつなてき)な享楽に走り、若者たちが「いまさえ楽しければいい」といった生き方に流されてしまうのも、当然といえるかもしれません。

 しかし、すべてが目まぐるしく変化して、信じられるものが少ない社会だからこそ、永遠に変わることのないものが存在すること、互いに信じ合い、助け合える人間の社会が存在することを知ってもらう呼びかけが大切なのではないでしょうか。確信をもって呼びかけ続ければ、必ず応えてくれる人がいるはずです。

だれもが、心の底では信じられるものを必死に探し求めているのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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品格を取り戻そう

2017-12-01 06:11:58 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『昨今は、とえどんなことをしても、それが法律に触れさえしなければいいのだと、ずいぶんあくどいことをしたり、人をだましてなんとも思わない人が多くなってきたように思えます。

しかも、「法律に触れる罪を犯せば悪人だが、自分はそんなことはしていない」と、少しも恥じるところがない人もいるのです。善悪のけじめが、いかに低い次元に落ちてしまったか、嘆かされます。

 一方では、人が月にまで行けるほどの高度な技術を開発しながら、現代の社会は人間の心の開発をなおざりにしすぎたのではないでしょうか。

 月に到達するには軌道に乗らなくてはならないように、人の心もまた軌道に乗らなくては、理想の境地に到達できません。お釈迦さまは、その人間がのっとるべき心の軌道を教えてくださったのです。

 無軌道な生き方を自由であるかのように錯覚している現代社会にあって、私たちは法律を超えた高い次元での人のあるべき道を示していかなくてはならないのです。よほどの決意で取り組まなくてはなりません。』

 庭野日敬著『開祖随感』より

 

PS 政治家に情けない人間が多いのは、投票する私たちのせいですね。

 

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