四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

へそ曲がりの意見

2022-01-26 11:27:47 | 生かされて今日

 今年の大寒はオミクロン株に蹂躙され、老にはより身にこたえます。

翁最晩年の句に「此秋は何で年よる雲に鳥」があります。

旅寝を重ねた老身に死期がにじり倚る寂しさを嘆息されました。下五の「雲に鳥」が絶妙な措辞で、苦しんで苦しんで吐かれた言葉だそうです。

白雲の中に一羽の鳥が吸い込まれてゆく遠望を自分の生涯に重ねられたのでしょう。身にしみます。

 さて、年賀状に「来年からは差し上げませんので」と添書きが多くなりました。賀状を出すか出さないかは各人の好みでもちろん自由です。

 が、私は年賀状は今年を寿ぐお祝いが趣旨ですから、「ついでに」さよならを予告するのはいかがかと違和感があります。

喪中欠礼のように年末の別便をもって挨拶すべきではないでしょうか。へそ曲がりから嫌味をチクリと申し上げました。

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足るを知る

2022-01-19 08:22:49 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

『路傍で生まれ落ち、そして道端で死んでいく気の毒な人たちが、アジアやアフリカにはまだたくさんいます。三度の食事にも事欠く人たちがいっぱいいるのです。

それを遠くの世界のこととして傍観していることは許されません。そして、なによりも大切なのは、それをただ声高に人びとに訴えるのではなく、まず自分の足元から見つめ直してみることです。

 満足な食事もとれない飢餓状態にある人たちが、こんなにも多くいるその同じ地球に住み、毎日十分すぎるほどの食事に恵まれながら、私たちは欲望をさらに際限もなくエスカレートさせて、これで十分だという満足感、充足感を得ておりません。

 物質で栄えても精神的に退廃し、滅亡していった国の例はたくさんあります。いまの日本は、まさに精神の飢餓状態にあるといえましょう。

「無量義経」には「愛著ある者には能捨(のうしゃ)の心を起さしめ、諸の慳貪(けんどん)の者には布施の心を起さしめ」と説かれています。

人は、あればあるほど欲する心が強くなるものですが、逆に自分の持てる物を人さまに施す心に切り換えると、少ない物にも心から感謝できるようになるのです。際限のない欲望を断ち切るのには、この心の転換しかありません。』

         庭野日敬著『開祖随感』より

PS 貪欲に放火するチラシ、広告、宣伝は日々執拗です。資本主義は欲望を拡大することで成り立っています。美味しい食材、過美なケーキや服飾など「足るを知らず、もっともっと」と扇いできます。自制しましょう。日本が滅びぬために少欲知足、足るを知る暮らしに戻りましょうよ。

 

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