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四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

YOKOHAMA入港の飛鳥

2011-07-29 18:15:24 | 生かされて今日
 今日の横浜は鉛色の曇天で、思い出したように小雨が落ちる蒸し暑い天気です。桜木町駅近くとみなとみらい街とに用事を足して、久しぶりにぷかりさん橋に出ると赤レンガ倉庫の向こうに白い巨船が見えます。大桟橋(おおさんばし)に豪華客船が停泊しているのです。これはほっておけないので足を向けました。夏休みのせいかお子さん連れや手をつなぐ怪しい壮年のカップルも行き来しています。震災の為かやはり外人は見かけません。
日本の豪華客船・飛鳥2が巨体を大桟橋に預けています。まるで動くビルの街ですね。どのような船旅をどんな方々がエンジョイしているのでしょう。桟橋につなぐロープは船首に3つ、船尾に3つ。それぞれにネズミ返しが嵌めてあります。
 帰路横浜スジアムに近づくと海鳴りのような応援のどよめきが溢れでて来ました。夏の甲子園への県大会決勝戦、横浜高校対桐光学園戦です。満員札止めで外野席も立ち見が見えていました。自宅に帰りTVに飛びつきました。わが町にある男子校・横浜が延長戦の激闘の末優勝しました。サヨナラ・ヒットが出て、桐光学園の投手は泣き崩れました。トーナメントですから全勝しないと甲子園へ行けないのは厳しいですね。プロ野球のYOKOHAMAベイスターズは何年も負けすぎです。イチローのシアトル・マリナーズも16連敗ですって。勝負は厳しいが、人生は勝ったり負けたりが当たり前、むしろ負けるほうが多いなぁ。
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文月(七月)の句会

2011-07-24 10:17:22 | 生かされて今日
 私の作品は今月の句会でもはかばかしい評価を頂けませんでした。俳句は自然と人情と日本語が奥深くてなかなか手に負えません。芭蕉翁さえ「笈の小文」にこう書き残されており、自分を慰めています。

 『かれ狂句を好むこと久し。ついに生涯のはかりごとゝなす。ある時は倦(うん)で放擲せんことをおもひ、ある時はすゝむで人に勝たむことを誇り、是非胸中にたゝかふて、これが為に身安からず。
 しばらく身を立てむ(武士として出世)ことを願へども、これが為にさへられ、しばらく学んで愚をさとらこと(仏道出家)を思えども、これが為に破られつゐに無能無芸にして只この一筋(俳諧)に繋がる』

高点句・感銘句
・ゆく夏や蛸せんべいの真つ平ら  邦彦
・土用干梅ひと粒の陽の匂ひ    ミヤコ
・髪洗ふ心の中に水平線      好子
・金魚鉢かこみて誰も息平ら    寿美子主宰
・青簾ひと匙づつのスープかな   教子

・入口も出口も青葉鳥になる    量子
・ラムネ玉からころからころ倦怠期 量子
・夏痩せのジーンズの穴笑い出す  量子
・また入院医師の口見て汗を拭く  稔

私の作品
・さびしさが素足につのる日暮れかな
・プラットホームの瞑目灼くる沖縄忌
・新盆やひとり見てゐる水平線
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『おくのほそ道』は今日、羽黒山

2011-07-20 14:36:42 | 生かされて今日
 この湿度、炎天をはねのけて芭蕉翁と曽良さんは現代人には信じられないワラジの脚力で出羽三山の参拝にかかります。その直前、尾花沢から山寺へ40KMも寄り道して名吟を残しました。『閑(しづか)さや岩にしみ入る蝉の声』
 梅雨で増水した危険な最上川を新庄から舟で一気にくだり、修験道の聖地でかつ上野寛永寺傘下の羽黒山にたどり着きました。当時は神仏混淆で、西の熊野、東の羽黒山で山伏の聖地でした。大石田で俳諧指導をした船問屋、一栄の紹介状のお陰でしょうか一山のトップにもてなされ別院に泊まることになりました。
『五月雨をあつめて早し最上川』(原句は あつめて涼し でした)
 芭蕉は当時では老境の46才で胃腸と痔の持病あり頑丈ではないのに、この炎天下、地図もナビがないのに凸凹道をワラジで日に10里、40KMは日々歩かれ、宿も一汁一菜の食事も粗末だったのに信じらない体力です。私はすぐに脱落、置いて行かれますね。きっと体内のつくりが現代人とは違うのでしょう。胃の中のバクテリア、酵素などが違ったのでしょうね。翁いわく旅の願いは2つ、足に合う草履と清潔な宿だそうですよ。
 
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お盆の奉納コンサート

2011-07-15 21:48:57 | 生かされて今日
 7月15日お盆の法要が立正佼成会横浜普門館でありました。私の故郷鹿児島や大阪など西日本では8月がお盆の時節で、それが身にしみている私には7月のお盆は少し感じが湧かないのですけれど。
 お盆は自分の生命の根源である先祖に感謝を捧げる我が国伝統の麗しいしきたりです。一番近い先祖は両親、生命を授けて頂き乳飲み子の自分を育てていただいた恩があります。我が身を構成する60兆個の細胞のDNAに膨大な数のご先祖が生きているのです。肉眼では見えませんが、両親始めご先祖がわが体内に確実に存在しています。大木がそびえているのは、地中にある見えない根、根っこがあるから立つことが出来るわけです。見えざる根が祖先です。
 今年亡くなられたご遺族が灯籠を差し上げました。3.11の大震災犠牲者(死者15520人、行方不明7173人 7/1現在)も新盆となりました。皆で法華経を読誦し、庭野会長の回向文を奏上し感謝を捧げました。
 その後御仏前で、佼成ウインド・オーケストラが奉納演奏をしていただきました。指揮者の父君は曹洞宗のお坊さんだそうで、しっかりタクトを振って来いと励まされたそうです。まさに身近な宗教協力です。
我が多数のご先祖さまもコンサートを楽しんでくれたと思います。
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東北3県から逃れた方々

2011-07-09 17:07:53 | 生かされて今日
 総務省統計局の発表によると、震災被災の福島、宮城、岩手の3県から出られた方(3月から5月までの転入と転出との差)は31,752人でした。転出超過が3万人を超えたのは39年振りだそうです。
 父祖伝来の愛着ある土地、思い出の染み込んだ町や村、仕事商売をしていた町、学校や幼稚園のありし町、お祭りの神社仏閣のあった村町、人情厚い親戚、知人との絆から離れざるを得ない方々の心情を察すると辛いです。
しかも、津波に襲われて跡形も無い自宅、親の家、財産を流され裸同然の離県はなんと酷いことでしょうか。都心に比べて広びろとした庭に瀟洒な家、幸せな暮しが、3.11突然根こそぎにされた悲しみと怒りが感じられます。
 原子力発電所の放射能まで浴びせられた福島県が最も離県が多く17,524人、宮城県が10,188人、岩手県は4,040人でした。
 私の義兄夫婦も福島県から北海道へ転居を強いられました。自宅に残さざるを得なかった愛犬は幸いに生きて発見され、無事北海道で癒されています。愚息は釜石市での4日間の被災地奉仕から横浜に帰りました。市内の幹線道路を離れる裏道は未だ津波の傷跡が生々しく、傷んだご遺体が発見されたそうです。7月と8月は霊界の先祖をおまつりするお盆、東日本大震災の犠牲者、2万3千人の新盆(にいぼん)、となります。南無妙法蓮華経
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大臣がオフレコにしろだと

2011-07-06 14:49:46 | 生かされて今日
 福岡選出のナントカ龍という震災復興担当大臣が最低のお粗末な醜態を演じてクビになりましたが、大臣はもとより国会議員をやめるべきだ。天皇陛下のご心痛、震災被災者の情を足蹴にし、その代表の県知事に喧嘩を売り国の舵取りをする代議士に不適格も極まれりです。
お爺さんは高名な解放運動の指導者、弱者を救うために戦ったお爺さんの名誉のためにも代議士を辞して欲しい。心なき政治屋は不要。私は同じ九州人として誠に恥ずかしい。
 雑言の中で特に聞き捨てならぬことは、オフレコにしないと報道機関を潰すような悪罵を放っていることです。つまり俺の命令に背いてこの非礼な知事恫喝を報道したらあんたの会社、記者をクビにしてやるぞと脅しているのです。まるで65年前の戦争中の密告、憲兵の居た時の言い草と同じです。報道の自由、思想信教の自由を得るために、日本では太平洋戦争の犠牲者が必要でした。多数の血潮で得た自由なのです。
マスコミ各社はもっとこの発言を重要視して、社を上げて怒りを投げ返すべきだ。羊のごとき評論家のような記者、報道機関は不要である。この国難の非常時にこそ身を挺して政治屋を叩きのめすべきだ。弱きに強く、権力者とお金に弱いマスコミも国民の敵だ。
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震災後の生き方をさがす

2011-07-03 11:50:50 | 生かされて今日
 在原業平は色好みのハンサムな貴族で、和歌も堪能で古典『伊勢物語』のモデルだそうです。天皇には不遇にしてなれなかったハイソな情熱的知識人でした。55才で亡くなりましたが『古今和歌集』に次の歌があります。

「つゐにゆく道とはかねてきゝしかど
            きのふ今日とは思はざりしを」

 すぐ後ろに死が迫っていることに気づいた人間らしさが悲しいですね。大震災や大津波、がん告知や交通事故など、人間には「想定外」の災厄が突然に降ってくるのが3.11でわかりました。
お釈迦さまは「無常」が真理、定めなのだと説かれ、それを乗り超える生き方を説かれていますが、少なくも私は病や死は自分の運命とは考えず、世事や気晴らしにうかうかと暮らして来ました。
さりながら国難ともいうべき3.11の前と後では次元の違う暮しが求められていると思案しています。

「脇目もふらず華をつみ集むる かかる人をばもろもろの愛欲に
            いまだ飽かざるうちに 死はその力に伏せしむ」

「その罪の熟するまで おろかの人はこれを蜜の如しと思い
            その罪まさに熟するの日 彼ははじめて苦しみをなむ」

『法句経』に釈尊のお言葉があります。
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