四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

来年をよき年にするぞ

2021-12-26 08:29:51 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『誰もがおだやかに明るく生きることを望んでいます。特に年のはじめには「今年も明るくよい年を」と願うと思います。そのときに「よい年であるように」と願うのと、「必ずよい年にしよう」と決意するのとでは、どこか心持ちが違ってくるのではないでしょうか。

 願いごとばかりの生き方は受け身です。思い通りにならなかったり、失敗が続くと不満がくすぶり、あげくは心身の諸症状を招かないともかぎりません。

その原因を他人や環境に押し付けるとしたら、受け身どころか「人まかせの生き方」であるといってもいいかもしれません。

 「必ずよい年にしよう」と誓う生き方は自分が主人公となる生き方です。自分がすべての面で責任をもって、目の前の困難を切り開くことで人生の妙味を味わうことができます。毎日の生活に溌剌とした生きがいが生まれます』 

 庭野日敬法話集『我汝を軽しめず』抜粋

PS パンデミックの続く2022年だからこそ「必ずよい年にしよう」と誓いましょう。皆んなで困難に立ち向かいましょう。

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芭蕉翁の名文

2021-12-21 08:29:50 | 生かされて今日

『さゞ波の音近く、三井の鐘聞こゆるあたり、暫く旅の宿りを求む。

あるじは高橋瓢千といふ。志、風雅を好み、身貧をいとはず。

風雅(俳諧のこと)はわが好むところにして、貧は我友なり。

栖は膝を入るるのみにして、狭きうれへ有りといへども、

馬・車の通ひすぎにあづからざる悦び有。

足らざるを楽しみて淋しきを又友とす

「此宿は水鶏も知らぬ戸ぼそ哉」ばせを』

 琵琶湖近くの貧家に泊めてくれた風雅な友を讃えた名文である。少欲知足を忘れ物欲に猛る現代人に耳が痛い文章です。

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不安定を生きる

2021-12-11 07:45:12 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 私たちは、自分が不幸になるようなことは、なんとしても避けたいと考えます。人は幸福の夢だけを思い描いて生きているともいえます。しかし、現実はそうはいきません。甘い夢があっけなく砕かれることのほうが多いのです。

しかし、だからといって初めから「夢なんかかなうものではない」とあきらめてしまうのでは、生きていく喜びもありません。

 明日はどうなるか分からないからこそ、夢を描くことができるわけです。また、明日のことは分からないという不安から、「しっかり努力して、明日に備えなければ」という励みも生まれます。逆に、明日のことがみんな分かってしまっていたら、生きる意欲のわかない、おもしろ味のない人生になるのではないでしょうか。

 「生きるとは、不安定を生きることだ。不安定でない人生はない」と言いきる人もいます。

お釈迦さまも、まず「人生は苦である」としっかり認識することの大切さを説かれました。苦を見すえ、その原因を明らかにし、それを克服して真の喜びを見つけていく。それが人生だともいえましょう。信仰もそこから始まるのです。

 

                 庭野日敬著『開祖随感』より

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