四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

投込寺

2005-10-30 23:29:48 | 生かされて今日
 上野で乗り換えて地下鉄・三ノ輪駅から江戸時代の大繁華街、当時のファション先端の街、幕府公認の新吉原遊郭の跡を歩きました。最盛期で数千人の遊女がいたらしい。吉原大門には、また行きたいと男客がくるわを振り返る「見返り柳」、曲がった登楼の道も遺されているのには驚いた。
三ノ輪の浄閑寺には、1855年の大地震で投込み同然で葬られた遊女達の慰霊塔がありました。早速秋の蚊に両手を刺されました。永井荷風の碑もあります。
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鎌倉の建長寺

2005-10-30 07:42:42 | 生かされて今日
 鎌倉五山筆頭、執権の北条時頼が建立した禅寺。
過日パキスタンから釈迦苦行像が贈られ、法堂(はっとう)に安置されました。愛知万博にお出ましの複製尊像です。骨と皮、血管が浮き出た尊い有名な像で、パキスタンの門外不出の国宝の複製です。風入れの時には間じかに拝することができるそうです。小さな窓から薄暗いお堂に合掌しました。
「おー来たか」とお言葉を賜りました。薄紅葉の北鎌倉です。なお、五山の二番が隣の円覚寺(えんがくじ)で時頼の子、元軍を撃退した北条時宗の創建です。
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秋のばら

2005-10-29 21:57:07 | 俳句
 ♪唇をかはす角度や秋のばら   駿
 ♪きむたくや秋のバラ園わたりゆく  駿
 ♪白頭とまた遭遇す秋の薔薇   駿

 茶色や黄色、ピンク、房なりやそれはもう沢山のバラづくしに目移りするしまつ。大奥の香りにいて立ち去りがたい気分でした。メンデルスゾーンという名のバラは、かの作曲家没後150年記念にドイツで育成され、日本には大分県竹田市とここ大船だけしかないそうです。
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菊の花

2005-10-29 04:54:39 | 俳句
 ♪同好のはじける笑い菊花展  駿
 ♪植物園は異境の接点秋の薔薇  駿
 ♪秋のばらかをるベンチや文庫本  駿

菊花展の初日、大船植物園に半日を過ごしました。写真は厚物咲きの菊です。
菊と秋の薔薇とは盛りが重なるようです。みごとな美、たおやかさに目移りして、大奥にいるような日を堪能しました。
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葛飾北斎

2005-10-28 06:28:52 | 生かされて今日
 元浅草、誓教寺の北斎のお墓です。逗子の中に「画狂老人卍墓」と刻まれています。右側面には悠々たるスゴイ時世の句。「ひと魂でゆく気散じや夏の原」
1849年娘の応為(おうい)に看取られて89才で大往生。いつも娘の名を呼ばずに「オーイ」と云っておられた由。山谷堀公園近くの遍照院が亡くなった長屋の場所で、生涯93回も引越しされたという。ゴッホも学んだ巨人です。12月4日まで東京国立博物館で「北斎展」開催中、たのしみです。
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東京駅丸の内口

2005-10-26 22:41:13 | 生かされて今日
 旧国鉄本社の跡が左の高層ビルに変わっています。変化のスピードに着いてゆくのが大変な時代となった。後生大事・不動の信ではなく、「浮動」のやわらかな心眼が要る。
硬く一点を見つめると閉塞する。車を運転する時のように左右のミラー、バックミラーをバランスよく見る調和が大切だ。はかない動くものに執着、とらわれるのは危険を招く。
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地図の泰斗

2005-10-26 11:31:52 | 生かされて今日
 中学時代、温顔の寺園先生の地理の授業は大好きでした。いまでも詰まっている内容にくらべて地図は安価だと確信します。怨念の歴史を刻む現場ですもの。
「伊能図」は現代の科学が調査した地図とほとんど誤差が無いそうですし、家督をゆずって50歳から天文学に打ち込まれた向学心、一歩一歩奄美大島から北海道まで気が遠くなる現地調査を18年間なされた高く尊い志に合掌しました。写真左すみに彼が天文学を学んだ高橋至時(よしとき)の墓、写真には無いが江戸初期の侠客・幡随院長兵衛の墓が並んでいるのも摩訶不思議。
東上野の源空寺です。源空は法然上人のお名前。
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にんまり

2005-10-24 05:34:34 | 生かされて今日
 小学生野球大会の決勝戦。両投手はスピードボールで渡り合います。センターはおさげ髪の少女。控え選手はいろんな声援をくりだします。「中野のホームラン見たいー、見たいぃ」。一人が先導、他が掛け言葉風に声をそろえます。バッターに応じた声援パターンがある様子。後ろからはお母さんの黄色い声も飛びます。
控えのちびっこ選手は、プロ選手並に後ろのポケットに手を入れています。
平和が一番だ。
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威風堂々

2005-10-23 05:14:38 | 俳句
 公慶上人が300年前に再建された東大寺は、当初建立の規模より間口が縮小されているそうです。浄財が足りなかったのでしょう。それにしても先人の度量の大きさよ。
秋しぐれの大寺はまことに壮大。

 ♪奈良の秋大仏賛歌の楽おこる  駿
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斑鳩(いかるが)の空

2005-10-22 06:15:31 | 生かされて今日
 1300年の時間の不思議な空間、法隆寺の金堂と五重の塔に立ちつくすのみ。わが国最初の世界遺産、左隅の回廊も国宝です。宮大工や建築家が見れば技量のすごさがよくわかるんでしょうね。素人が見ても心打たれる迫力がある。自分が小さくなる。
負けじと夢は大きく持つべきである。笑われるほどの。
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夢殿

2005-10-21 06:11:56 | 俳句
 法隆寺の国宝・夢殿。聖徳太子のお住まいの跡に建つと言う。三重県からの小学生が見学していました。年齢を経るにしたがって受け止めるものが変わってきます。元気で聖徳太子の遺風にふれるこの日に感謝するのみ。

 ♪斑鳩をめぐり家族や秋の澄む   駿

 ♪口角に飛鳥の微笑秋明かり   駿
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女人高野

2005-10-20 07:26:27 | 生かされて今日
 室生寺の国宝・五重塔。奈良末期か平安時代初期の建造でコンパクトな高さ16メートル、えんじ色です。
それにしても奈良から心細くなるほど遠い。七曲がりの秘境の中の宝石、メノウである。
「にょにん」と云うもたくましい信心、肉体が必要だ。奥の院はここから急な石段、空へ真っ直ぐな杉の巨木を縫って一五分。奈良の古刹を巡るとどうも古人たちは今の日本人とは異なる人ではないかと思う。
 国宝・金堂への石段はよろい坂、なるほど鉄片をつづる鎧に似る石組みだ。秋のこもれびが動きます。
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薩摩義士

2005-10-19 05:29:37 | 生かされて今日
 国営・木曾三川公園の展望タワーから南の下流(伊勢湾)への眺めです。右は揖斐川、左は長良川。木曽川は左にあり写しきれませんでした。それぞれの流れの速度と水位が違うのです。水害の原因です。
 徳川幕府はこのあばれ竜の治水工事を、薩摩藩に命じました。ライバルの力を落とす為です。今から250年前、約千名の薩摩藩士が刀を捨てて難工事に挺身完成させました。百人近い犠牲者、膨大な借財の責めを負い家老・平田靭負(ゆきえ)は当地で切腹しました。その霊を祀るのが写真の足元にあるのが治水神社です。息子とお参りしました。
伸びる松原は日向松で犠牲者の墓碑のようでした。鹿児島と岐阜は姉妹県となっています。
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法隆寺

2005-10-18 06:42:44 | 生かされて今日
  柿食へば鐘が鳴るなり法隆寺  正岡子規
聖徳太子が607年に造営され、世界最古の木造建築・金堂と五重の塔。ただ呆然と立ち尽くして古人の偉風を仰ぎ見るのみ。
十七条憲法の制定によりわが国の文化がスタートしたと云われる。日本の原点と云えよう。五重の塔の九輪にある鎌、水煙が秋の雲に映える。
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奈良東大寺

2005-10-17 07:37:52 | 生かされて今日
 久しぶりに奈良を巡りました。身近に国宝だらけという異次元の空間で、日本文化のこころざしの高さに圧倒されます。なんて小さなことに悩んでいる自分なのかが分かります。江戸時代荒れていた東大寺を命がけで再建された公慶上人の三百遠忌が始まりました。読経のあと、献茶、ピアノ伴奏のコーラスの奉納もありました。うすもみじの世界遺産東大寺、すばらしいの一語。
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