四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

あかざ俳句会の大会

2019-06-23 15:52:25 | 俳句

 6月1日さつき晴の横浜にて「あかざ俳句会」の大会を開催しました。令和元年早々の大会です。池田恵美子主宰のご挨拶から、「あかざ賞」と「新人賞」の贈呈に進みました。

あかざ賞は秦野市の飯塚京子さんが、新人賞は横浜市の樋口眞由美さんが受賞されました。

「泣きやみし嬰の目まるく蝶を追ふ」 京子

「鈴虫の声の出迎へ鄙の宿」 眞由美

 続いて通信句会の表彰に移りました。互選による高点句は次のとおり。

星一つ小枝にかかる余寒かな   美津子

痛む手を先に通して更衣      ハル子

ねんねこの手足よろこぶシャボン玉 治子

薫風のめくる未来図令和かな   英子

新涼や少年風を残し行く      栄之

望郷の無住寺まもる新樹かな  道子

夏蝶の影一つ置く童子仏     翠

ぶらんこや前頭葉が弾みだす  駿

ともに老ゆ町一閃の初燕     教子

避難解除机五つの新入生    洋子

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鹿児島での同窓会

2019-06-12 08:24:57 | 生かされて今日
 荒梅雨の中をホテルへ。ロビーで懐かしい面々とかごっま弁での再会、見覚えなき方は付き添いの奥様と旦那様でした。総勢14人、夫婦の参加が3組、うち2組は愛の付き添い組です。県外参加は大阪、奈良、名古屋、埼玉、横浜から。
滋賀住まいの初恋の友の出席は叶いませんでした。くじで座席がきまり、まずは黄泉の先生、友人たちへの黙とう。そして一人づつの近況報告です。私は「こんな暮しをしています」と記した紙を配りました。欠席の博多のひとは全員に高価な「令和」の菓子箱を。
「亡き夫の名の一字ある新元号つぶやひてをりくり返し」の歌が添えてありました。令次君を思い出したそうです。「つぶやひてをりくり返し」は私が電話で添削しました。エヘン!
「走り梅雨亡き友さがすクラス写真」
「黒南風の夜風に散ずクラス会」
奈良の友は赤福餅を皆さんへ配りましたよ。美味しいな。
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鹿児島市への帰省(その4)

2019-06-10 08:32:54 | 生かされて今日

 初日だけは晴れましたが、翌日からは梅雨の兆す荒天となりました。

城山の裏にあるお墓や住んでいた天保山町、下荒田の散策、フェリーで行く桜島、友人の家やいとこの会社、明治維新を顕彰する黎明館、文学館、西郷墓地やせごどんが自決した場所、市内の銭湯などは荒梅雨と疲れと時間がなく断念しました。

帰省する前の計画では鹿児島市の詳細地図を虫眼鏡でたどり、訪問を期待しましたが・・・・。南鹿児島駅にある立正佼成会鹿児島教会で親のための法華経の読経も断念、ホテルで毎朝供養いたしました。オヤジさんおふくろさん、すみません。

 雨の中を亡兄の家に兄嫁を訪ねました。足が悪く車椅子で、ちょうど介助のご婦人が来ておられました。仏壇に挨拶し久しぶりに話を交わしました。庭のブーゲンビリアが咲き誇っていました。

「実家にかかる兄の遺作や走り梅雨」

「帰省子に遺影のははの若さかな」

「ふるさとや雨に散りしく花みかん」

 夕方からのクラス会まで余裕がある。そうだ、山形屋のうまい乾き焼きそばだと。これは鹿児島観光の隠れたポイントです。またおみやげのオススメは、「せんじ」、鰹節をつくる際に出るコールタール状のものでお味噌汁の隠し味や湯豆腐のタレに最高。もつとも、現地の売り子さんさえ知らないですが。

 山形屋デパートの食堂はゆったり上品でオススメ。卓に置いてある三杯酢をかける焼きそばは安価で大きくてベスト。疲労回復に効きますよ。もちろん芋焼酎のお湯割りもいただきました。しあわせだぁ。

 

 

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他をほめられる人に

2019-06-08 07:51:40 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『だれしも、自分がほめられることほどうれしいことはないのに、人をほめるのは、あまり好きではないようなのですね。

「どうしたら開祖のように人の欠点を見ず、よいところだけを見られるようになるのですか」と、よく尋ねられるのですが、人の欠点ばかりが見えてしまうというのは、相手と張り合う気持ちが強すぎるからではないかと思うのです。

弱みを見せまい、負けてなるものかと、自分を守ることで精いっぱいなのではないでしょうか。

私は、そういう無理ながんばり方をしないのです。自分よりすぐれた人には、すぐにシャッポを脱いで教えを請う。みんなが仏さまの子ども同士なのですから、張り合ってみてもなんの意味もないのですね。

そういう考え方で、自分をがんじがらめにしている自己防衛の心から解き放たれると、おのずと心のゆとりが生まれ、相手の美点が見えるようになってくるのです。それが慈悲の眼です。

たとえばお姑さんとお嫁さんが、この心のゆとりを持つことができたら、毎日がガラリと変わってしまいます。人を心からほめられるようになる秘訣は、そこにあると思うのです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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鹿児島市への帰省(その3)

2019-06-07 13:40:26 | 生かされて今日

 かごしま医療センターの向かいに「薩摩義士の碑」がひっそり建っております。今から270年前江戸幕府が有力な薩摩藩を弱体化させる目的で、岐阜県のあばれ河の木曽三川の堤防工事を命じました。

 木曽川、長良川、揖斐川の治水は88名の犠牲を強い、かつ膨大な経費を薩摩藩に引っかぶせたのです。まさに徳川幕府の無慈悲な命令でした。藩への自責の念から総責任者、家老の平田靱負(ひらたゆきえ)は帰国後割腹して果てました。幕府への遠慮から犠牲者の追悼は密やかにされ、後日ようやくこの碑が建てられました。

故郷を遠くして落命した方々の無念さを思い合掌しました。

 墓銘は皆「君づけ」で彫られ、名字なき下働きは「与八君」、「仁八君」、「六平君」などと。祭壇正面には木曽川、長良川、揖斐川で採取された石がお供えとして置いてありました。岐阜県の治水工事の現場には木曽三川公園があり、県民が感謝してくれております。この縁から鹿児島と岐阜の両県は姉妹県となっております。

幼かった次男坊は鬱蒼としたこの慰霊塔を怖がって近づきませんでしたよ。

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かごしま帰省の初日(その2)

2019-06-03 10:48:27 | 生かされて今日

 鹿児島市への帰省は何年ぶりだろうか。昔は両親とおじいさん、兄と姉と妹の七人でワイワイ暮していましたが、今遺されているのは福岡の姉と鹿児島の妹と横浜の僕、3人となりました。

まず、照国神社近くの妹宅へ予告なく訪ねました。横浜の土産物はろくな品がなくいつも悩むのですが、横浜中華街の月餅にしました。夫婦とも在宅でわが孫の話やよもやま話。

天文館通にあった老舗の本屋さんが消えていたのは寂しい。金海堂に春苑堂だったかな。吉田書店もあったなぁ。「帰省子のかよひし書店消えてをり」

 今回の帰省は同窓会もあるが59年前に早世した父、24年前に旅立った母の心に近づきたいと念じて参りました。チンチン電車で鹿児島市役所前下車、歩いておやじが亡くなった病棟に立とうとかごしま医療センターへ向かいました。

久しぶりに西郷さんの陸軍元帥像を拝し旧鶴丸城の濠ぞいをテクテク。「北辰ななめにさすところー」の第七高等学校造士館あとへ。「水草生ふさとのお濠や出世せず」

 西南戦争の弾丸痕がのこる石壁の「私学校」あとに大病院があります。かなり増築されて思いの深い廊下には行けませんでした。「帰省子の考の病棟にたたずみぬ」

 

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