四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

苦しみは仏様の慈悲

2018-12-28 08:03:05 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『今年も無事に年の暮れを迎えさせてもらえましたが、景気の停滞や、天災、病気などで、素直に「無事、この一年を過ごせました」と言えない方もおられるかもしれません。

けれども、その苦労の多かった一年を、どう受け取るかが大事だと思うのです。仏さまは私たちのすべてをわが子として、「必ず私が守ってあげます」とお約束くださっています。そのお言葉を、信じきるのです。

この一年、みなさんがどのような苦しみに遭い、どうがんばってきたか、そこから立ち上がるみなさんの懸命な努力を、仏さまはいつも見守ってくださっています。仏さまは、わが子がそれだけの力を具えているのを、信じきっておられるのです。

親が子どもを強く育てるために、その願いとは違うように見えるものを与えることがあるように、仏さまは、いま私たちにいちばん必要なものをお与えくださいます。

安穏無事とは、なにごとも起こらないことではなく、どんなことが起ころうと、それを乗り越える力を具えていることです。

非情の試練とみえることが、その力をつけてくださる仏さまのおはからいだったと分かるときが、必ずきます。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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支えてくれるものに気づく

2018-12-26 08:26:31 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『物は、ただ豊富であればよいというものではありません。

どんなに山海の珍味が並んでいても、それをただガツガツと食べるだけでは、貧しい食事になってしまいます。

たとえ一汁一菜(いちじゅういっさい)の料理でも、作った人の苦労を思い、自然の恵みに感謝して食べることができれば、それはこの上ない豊かな食事になります。

 飛行機が大空を飛んでいるのを見て、私たちはジェットエンジンの推進力とパイロットの操縦で飛んでいるぐらいにしか考えませんが、よく見ると、それはたくさんの働きによって支えられていることが分かります。

地上からの無線誘導をはじめ、さかのぼれば、飛行機を造った人、燃料を掘り出した人、それを精製した人、エンジンの素材に欠かせないチタン鉱を掘り出した人、そして、それらの原料を人間に提供してくれる大地の恵み……。そのどれを欠いても飛行機一機、飛ぶことができないのです。

世界中の、いや地球上のあらゆる働きを集めて飛行機は大空を飛んでいるわけです。目に見えないたくさんの恩恵への感謝を忘れることのない生き方であってこそ、文明の名に値する真に豊かな生活といえましょう。』

庭野日敬著『開祖随感』より

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眼前の人の良き縁になりましょう

2018-12-24 07:10:46 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『仏教の教えのかなめは縁起(えんぎ)です。縁起とは他との関係が縁になって、すべてのものごとが生起することです。

一切のものは縁によってたもたれ、縁によって変化し、そして縁が切れると消滅していくのです。

 善因善果(ぜんいんぜんか)、悪因悪果(あくいんあっか)というように、人の行為には必ずその報いがあるのですが、いまの若い人たちに因縁というと、いかにも古めかしいものに感じるかもしれません。

それで私は、因縁を「出会い」と言い換えて説明させてもらうのです。仏教は出会いを大切にする教えといってもいいと思うのです。

私たちは毎日、じつにさまざまな出会いをしています。いろいろな人と出会い、いろいろな出来事と出会い、いろいろなニュースや情報と出会う。それにどう対処するかで、自分の人生が変わっていくのです。

出会いを、憎しみ、争いの出会いにしていく人もいます。

逆に、どんな嫌なことも善(よ)い縁に変えてしまう人もいます。すべての出会いが、こちらの対し方で善縁にも悪縁にも変わるのです。どうすれば出会いを善い縁に変えていけるか。それを教えるのが仏教だといってもいいのです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

PS すべては「自分次第」ということです。

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正直は他を信じられる

2018-12-21 11:42:09 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『自分がなにごとに対してもあくまでも正直であれば、必ず人を信じられるようになります。

逆に、「智慧出(い)でて大偽(たいぎ)あり」という言葉があるように、あまり利口すぎて才覚が過ぎると、その反面に偽(いつわ)りが生じて、ついうそを言うようになりがちです。そして、自分がうそをついていると他人の言うことも素直に聞けなくなって、人の言葉の裏を勘ぐり、だれも信じられなくなってしまうのです。

 結局、うそをついている人は自分さえも信じられなくなるわけで、それが怖いのです。かりに人にだまされても、自分を信じていられる人は、怖いものはありません。

 そう言うと、「こんな生き馬の目を抜くような世の中で、そんなことを言っていたら、みんなにだまされてしまう」と言う人がいるかもしれませんが、私の祖父は、「人をだましたら人さまに迷惑をかけるが、自分がだまされる分には、自分だけのことだからよいではないか。だから、決して人をだましてはならんぞ」と、いつも言って聞かせてくれたものです。

こちらがそういう心になってしまうと、人をだまそうというような人は、そう近づいてくるものではないのです。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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冬の吟行(あかざ俳句会)

2018-12-13 10:08:05 | 俳句

 阿夫利嶺(あふりね)とか雨降山(あめふらしやま)と呼ばれる神奈川県の名山、大山へ吟行しました。

師走で、また長い階段がきついと辞退された方もおりましたが、池田恵美子主宰をはじめ元気な句友が17人参加しました。

 大山は江戸庶民の観光地、信仰の山で奈良東大寺の良弁(ろうべん)上人が開かれた修験道の聖山、神仏混淆のお山です。東大寺正面左側に良弁(ろうべん)上人の坐像がありました。

 伊勢原駅から満員バスに乗り、湯豆腐やお土産の店の並ぶ石段を登ります。さらにケーブルカーです。臨時便が出てくれました。体力派はそのまま林道を自力で登ります。

冬の阿夫利嶺は鮮やかな冬紅葉が迎えてくれました。湾曲する相模湾を足下にする景色が素晴らしい。三浦半島、更に房総の山並まで眺望する絶景です。

江ノ島が芋虫のように小さく見えます。神社下社にて食事してから句会です。元気なことは最高ですね。

◯六根清浄でのぼる大山冬もみぢ  駿

◯冬菊をうかべる店の手水鉢     駿

◯土器や冬日にひかり厄落とす   政子

 

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私はもらい過ぎだ

2018-12-06 07:24:28 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『一休(いっきゅう)禅師は「私は耕さずして、ご飯を頂いている。織らずして、着物を着ている。いったい、私はもらいすぎている。これをどうつぐなえばいいのか。それを思うと、一時(いっとき)もじっとしてはいられない」と語っておられます。

この「いったい、私はもらいすぎている」という考え方が大事だと思うのです。

私たちは逆に「私はまだまだ十分に与えてもらっていない。不足だ」と考えがちですが、その心をちょっと切り換えるだけで、そこに感謝が生まれてくるのです。その感謝が、まわりの人への思いやりになって、お互いに「ありがとう。ご苦労さま」と言い合えるようになっていくわけです。

己のごとくに他を思う心、それが仏教でいう慈悲心です。真の友情です。

人が「働く」のは、「はたを楽にする」ためだという人がいます。そういう心意気で働いていると、なによりも自分が楽しくなります。互いに持ちつ持たれつで生かされているのだという自覚から、慈悲心は生まれてくるのです。これこそ真の人間尊重でありましょう。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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高輪ゲートウェイ駅とはガッカリ

2018-12-05 10:59:11 | 生かされて今日

 2020年に開業するJR環状線の新駅名が「高輪ゲートウェイ」と発表されました。

JR東日本のセンスにため息が出る。ゲートウェイって何なの。150年前の明治維新ならいざしらず西洋かぶれで恥ずかしい。駅の名は、町名や橋の名前のように公共物です。

 2012年に東京スカイツリーが完成した際も東武鉄道は、情緒ある「業平橋駅」をやめて「とうきょうスカイツリー駅」に改悪しました。金儲けだけが会社なの。

 古今和歌集や伊勢物語、美男で貴公子の在原業平(ありわらのなりひら)の名を弊履のごとくに捨てた鉄道会社の非文化的体質を嘆いております。

「世の中にたえて櫻のなかりせば春の心はのどけからまし」 業平

「名にし負はばいざこと問はむ都鳥わが思う人はありやなしやと」 業平

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