四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

実行が不可欠だ

2017-04-29 04:58:54 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『相撲は立ち合いで勝負が半分ついてしまうといいます。自分の立ち合いができれば、こっちの得意な組み手、攻めと先手がとれて、相手は相撲をとらせてもらえません。

しかし、その立ち合いを本当に会得するのには、泥まみれ、砂まみれの稽古に明け暮れ、何場所も土俵を踏んで、あるとき「これだ」とつかめるのだといいます。それをつかんでしまえば、もう滅多に負けるものじゃない。

信仰も、たくさんの教えを覚えるのもけっこうなのですが、一つの教えを繰り返し繰り返し実行して、「これだ!」と本当に自分のものにしてしまうことが大切です。一つでもつかめると、仏さまの世界にスッと入ってしまって、なにごとにも動じない自信ができてくるのです。

「若し法を聞くことあらん者は一りとして成仏せずということなけん」と、仏さまが私たちのすべてが仏になれることを保証してくださっている、その条件である「法を聞く者」とは、教えの一句でも実行し続ける人という意味です。法華経では八歳の竜女が瞬時に仏になるさまが語られていますが、舎利弗(しゃりほつ)尊者を瞠目させたその成仏のカギはそこにあると思うのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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ピンチをチャンスと受け止めよ

2017-04-21 07:12:45 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『幸福の女神を「ぜひともわが家においでいただきたい」と招いたら、妹の不幸の女神も一緒についてきてしまった、という話があります。幸福もその裏側に落とし穴があるわけです。同じように、不幸も裏返すとそこに幸福の芽が隠されています。

自分では一生懸命に努力しているつもりなのに、人に誤解されたり嫌われてしまうことがあります。精いっぱいがんばっているのに、逆の結果ばかり出ることもあります。それが続くと、だれもが腐ってしまうのですが、私は、みなさんが頭を抱え込むような、真っ青になるようなことが起こると、「いよいよおもしろくなってきたぞ」と、自分に言い聞かせるのです。自分に不利なことも功徳と受け取る。逆縁も善縁と考えて、努力して解決をめざす。それが仏道修行だと思うのです。

私は若いころ、「あんたは毎日が平穏無事で刺激がないと、のんびりしてしまう。なにか事が起こると発奮する人だ」と言われたことがありました。難題が私には発奮材料なのです。精いっぱい努力をしていれば、必ず見ていてくださる人がいます。かりにだれが見ていなくても、仏さまはすべてご照覧です。それを信じられなくては本物の信仰者といえないと思うのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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大願を立てよう

2017-04-15 05:23:14 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『物や自由はふんだんにあるけれども、社会も世界も先行きどうなるのか分からないという時代ほど、青年の生き方が難しい時代はないでしょう。

 先ごろ『青少年白書』が出されましたが、街頭でのインタビューを聞いてみると、高校生は、ただ大学へ行くことだけで何を勉強するのかは考えていない。大学生は、卒業して将来安心な企業に就職することだけで、どんな仕事で自分の役割を果たすのかは考えていない。そういう人が大半だったといいます。

仏教では、総願と別願の大切さを教えています。総願とは、なんのために人は生きるのかという大目的です。別願とは、その人、その時の願いともいえましょう。

 松下幸之助さんは、傘下の企業を合わせると数十万人という社員を抱える会社を築かれた方ですが、「人間として生まれたら、人間としての成功が大事。自分はまだまだだ」と言っておられたそうです。

 自分の人生の目標をしっかりつかむと、人は行動が変わってきます。それによって性格も変わってきて、偉大なエネルギーが噴出してくるのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。

2017-04-12 05:35:15 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『「これだけはやりぬこう」と誓ったのに、またできなかったとガッカリしている人がおられるかもしれません。しかし、思い立っても実行がいかに難しいかを思い知っただけでも、一つの前進だと思うのです。

 「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人をや」と親鸞上人はおっしゃられます。

ちょっと逆のように聞こえます。どんな悪人も広大なお慈悲でお救いくださる仏さまなのだから、まして善人をお救いくださらないはずがない、というほうが分かる気がします。

 しかし、「私は、これっぽっちも間違ったことはしていない」と思い上がると、仏さまのお救いも、教えも求めなくなってしまうのです。自分の弱さ足りなさを本当に思い知った人は、真剣に教えを求めずにいられません。その自覚を持った人こそ、仏さまのいちばん近くにいる人なのです。

自分が弱くて間違いやすい人間であることを思い知ったら、新たな決定(けつじょう)をし直せばいいのです。今年だめだったら、来年は必ずと決心すればいいのです。

それができれば願いは必ずかないます。懺悔とは、新たな決意で一歩を踏みだすことです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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お釈迦さまの誕生日

2017-04-08 06:25:10 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『因縁というと抹香(まっこう)くさく聞こえるかもしれませんが、これこそ仏教の中心的な教えです。また因縁というと暗いイメージを抱く人がいるのですが、これも誤解です。

AさんにはAさんの因縁があり、BさんにはBさんの因縁があります。別の言葉で言えば、AさんはAさんでなければならない因縁、つまりその人なりの特色や役目があるということです。

 たとえば、Aさんが私に、私がAさんになろうと思っても、それはできません。AさんはAさんになるような、さまざまな環境、出会いによってAさんになっているからで、それがAさんの因縁です。そして、人それぞれに自分でなくては果たせない役目があるのです。

 お釈迦さまは誕生されると、「天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)」と宣言されたと伝えられています。私は天にも地にも、ただ一人しかいない存在、自分にしかできない役目をもってこの世に生を受けた存在である、という宣言とも考えられます。

 私たちも一人ひとりが、それぞれ尊い役割、使命を持ってこの世に生まれてきているのです。それを自覚しなくてはなりません。』

 庭野日敬著『開祖随感』より

 4月8日は灌仏会(かんぶつえ)、花まつり、釈尊の誕生された日です。最寄りのお寺の「花御堂」に参じて、甘茶を誕生仏にそそぎお祝いしてください。

 

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人格をみがく道を行こう

2017-04-06 06:24:28 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『法華経は、仏になるための教えといってもいいでしょう。では、どうしたら仏になれるのか。いつも申し上げるように「若し法を聞くことあらん者は一りとして成仏せずということなけん」と仏さまは断言しておられるのですが、そう聞いて、「ただ聞くだけで、仏になれるのですか」と尋ねる人がいました。

 「聞く」とは、心の底から「そのとおりだ」と納得することなのです。それには、耳で聞くだけ、知識を蓄えるだけではだめなのですね。一つでもいいから真剣に聞いて、聞いたらそのとおりに実行する。すると、自分の一念で三千世界が変わる真理のはたらきがありありと実感できるのです。

 人さまをお救いしたいという慈悲心で活動したことのない人は、仏教の本当の教えの尊さがなかなか分かりません。教えのとおりに一つでも実行してみると、だれもが本当の喜びを味わえます。

立正佼成会の歴史が、それをはっきりと証明しています。その菩薩行を一つ一つ積み重ねていけばいいのです。真剣に人さまのために打ち込むと、自分をしばっていた固定観念や身構えがほどけて、仏性が輝き出てきます。人さまを仏の道へお導きすること、それが自身仏になる道です。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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どちらの道を行きますか

2017-04-03 05:59:14 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『新たなスタートに胸がはずむ四月の月を迎えましたが、それをよそに、受験の失敗や不本意な配置転換で、真っ暗闇の思いでいる人もいると思うのです。

自分はこんなに努力していると思っているのに、それが認めてもらえず、努力が裏切られる結果になってしまったら、自信が吹っ飛んで、やけを起こしたくなることもあると思うのです。しかし、そのときがいちばん大事なときなのですね。

私たちはぎりぎりのところまで追い込まれないと、なかなか真剣になれません。そこのところで原因を外に転嫁して恨みに凝り固まってしまうか、それを契機に自分をもう一度見つめ直すかで、これからの道がまるで違ってしまいます。

自分を反省する心になると、人の言葉を素直に聞く謙虚さが生まれます。人の言葉に耳を傾けて、教えられるとおりにものごとを見、考えようとつとめると、我見がきれいに抜けていくのです。これが懺悔なのです。

結果はおまかせしてしまって、自分の最善を尽くそうと心が決まると、自分では考えてもみなかったような結果がいただけるのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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栄転も左遷もチャンスだ

2017-04-01 04:30:28 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

『新年度は、どこでも配置転換や異動があります。抜擢されて意気込む人もいますが、その陰には、「会社は、私の働きを評価してくれない」と、すっかり落ち込んでしまっている人もおられると思うのです。

 私たちは「嫌なこと」と「うれしいこと」を二つに分けてしまいがちで、自分の意にそわないことはあくまでも拒絶して、気に入るほうだけを歓迎するのですが、じつは禍福はひと続きのもの、表裏一体のものなのですね。

雨がふれば、次は晴れる日がきます。晴れが続けば、次には雨のふる日がきます。いつも春や夏のような陽気が続くつもりで有頂天になっていると、冬の寒さに震えなくてはならなくなってしまいます。しかし、冬の日に力を蓄えておけば、その力を思いっきり発揮できる春が必ず訪れるのです。

 栄転がチャンスなら、左遷もチャンスです。それをどちらに変化させていくか、自分の受け止め方次第です。「いま自分に与えられたこの場が修行の場」と腹が決まると、たちまちそれが結果になって現われてきます。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

 

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