『相撲は立ち合いで勝負が半分ついてしまうといいます。自分の立ち合いができれば、こっちの得意な組み手、攻めと先手がとれて、相手は相撲をとらせてもらえません。
しかし、その立ち合いを本当に会得するのには、泥まみれ、砂まみれの稽古に明け暮れ、何場所も土俵を踏んで、あるとき「これだ」とつかめるのだといいます。それをつかんでしまえば、もう滅多に負けるものじゃない。
信仰も、たくさんの教えを覚えるのもけっこうなのですが、一つの教えを繰り返し繰り返し実行して、「これだ!」と本当に自分のものにしてしまうことが大切です。一つでもつかめると、仏さまの世界にスッと入ってしまって、なにごとにも動じない自信ができてくるのです。
「若し法を聞くことあらん者は一りとして成仏せずということなけん」と、仏さまが私たちのすべてが仏になれることを保証してくださっている、その条件である「法を聞く者」とは、教えの一句でも実行し続ける人という意味です。法華経では八歳の竜女が瞬時に仏になるさまが語られていますが、舎利弗(しゃりほつ)尊者を瞠目させたその成仏のカギはそこにあると思うのです。』
庭野日敬著『開祖随感』より