四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

本気になる

2016-11-30 05:16:53 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『最近は、ちょっと仕事がつらいというだけで、すぐに勤め先をやめて楽な仕事に移るといった傾向が、とりわけ若い人たちにあるようです。

私が奉公をしていた当時と現在を比較するのは無理があるかもしれませんが、私は仕事がつらいと思ったことは一度もありませんでした。主人に使われているというよりも、自分が店を切り回している気持ちで、主人に「こうすれば、もっと商売がうまくいくんじゃないでしょうか」というように進言し、率先して働きました。主人が「今日は、もうこれぐらいにしておこう」と言っても、「いや、もうちょっとですから片づけておきます」と言って仕上げてしまうのです。お客さんが私を店の主人と勘違いするほどでした。

そうした体験から、私は「なりきってしまうこと」が大切だと思うのです。主人や上司から言われて働くという考えだと、どうしても腰が引けてしまいます。なりきってしまうと、グッと腰が入ります。腰が入ると仕事が楽しくなるのです。上司に言われなければ動かないというのではなく、上司の先をいく。それが「随処(ずいしょ)に主となる」ことなのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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魔が差す

2016-11-22 06:37:40 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『「魔がさす」という言葉があります。人はついフラフラとして欲に目がくらんだり、誘惑に負けたりすることがよくあるのです。それで、ずるずると堕落していってしまうことも少なくありません。

まるで魔神が人間の貪欲(とんよく)につけこもうと、いつも狙(ねら)っているようにも思えるのですが、その魔神も歯が立たない相手がいるといいます。それはどういう相手かというと、欲のない人間、貪欲を捨て切ってしまった人間だそうです。魔神といえども、そういう人は誘惑するきっかけがつかめない。

魔には、誘惑の魔と脅迫の魔があるといわれます。お釈迦さまが悟りを開こうと禅定(ぜんじょう)に入っておられたとき、魔が美しい女人に身を変じて媚を売り、修行の妨げをしたと伝えられています。それでもお釈迦さまが動じられないと、こんどは恐ろしい顔をした男の形で刀や槍をもって脅かすのですが、お釈迦さまは少しも動じるところがなかったと伝えられています。

人にほめられても有頂天(うちょうてん)にならず、けなされてもしょげることがない。

まわりの変化に影響されない心を持てたら鬼に金棒です。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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難遭の教え

2016-11-21 08:15:47 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『仏法のありがたさを知りながら、それを自分の胸の中だけにしまっておくのでは、懐中電灯を自分の懐の中だけで光らせているようなものです。懐中電灯は、自分の足元を照らすだけでなく、暗闇で道を失っている人の足元を照らし、道を踏み外さないようにしてあげてこそ真価が発揮されます。それが菩薩の生き方にほかなりません。

私たちが毎日、朝夕に読誦(どくじゅ)している『経典』の開経偈(かいきょうげ)には、「無上甚深微妙の法は、百千万劫(ごう)にも遭遇(あい)たてまつること難し。我今見聞し受持することを得たり」とあります。そして『経典』の終わりの普回向(ふえこう)で、「願わくは此の功徳を以て 普(あまね)く一切に及ぼし 我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」と唱えます。

百千万劫という年月をかけても遇うことが難しい至高の仏法に遇い得た私たちは、それを「あまねく一切の人びとに及ぼす」ために“選ばれた人”なのです。その役割を仏さまに託されているのです。人びとの足元を照らしてあげるのには、まずわが身を法の光で輝かさなくてはなりません。それが自行です。自ら光を発する者となってこそ、多くの人びとに法の光に浴してもらうことができます。それが化他行(けたぎょう)です。』

 庭野日敬著『開祖随感』より

 

☆道元禅師のお言葉

  『人身得ること難し、仏法逢うこと稀なり。今我ら宿善の助くるによりて すでに受け難き人身を受けたるのみに非ず 会い難き仏法に会い奉れり。

生死の中の善生 最勝の生なるべし。最勝の善身をいたづらにして露命を無常の風に任すること勿れ』

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ま正直が一番だ

2016-11-17 05:57:52 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『どんなときも正直で、うそがないのが信仰者にとっていちばん大事なことではないでしょうか。いつも自分のありのままをさらけ出していれば、こんな楽なことはありません。

よく信仰をすると窮屈だという人がいますが、それは自分をことさら立派に見せなくてはと無理をしているからです。いくら言葉を飾って立派に見せようとしても、メッキはすぐにはがれてしまいます。いつも自分のありのままを出していれば、なんの窮屈も感じません。それで、自分に欠けているところがあれば、人さまがそれを教えてくださって、自分がだんだん本物になっていくわけです。

とは言っても、なんのうそもなく自分の裸(はだか)をさらけ出すのは、そうたやすいことではありません。つい、自分のいいところだけを見せたいと、とりつくろうのが世間一般でしょう。そのお体裁をぬぐいさって、いつも正直に生きるためには、絶対に信じられる対象を持ち、信じきれる仲間を持つことが欠かせません。

正直とは、人間の道にピタリとはまっていることであり、神仏に直結していることなのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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陰の力、お陰さま

2016-11-15 07:09:19 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『私の米寿の誕生日を、たくさんのみなさんにお祝いしていただいてしみじみと思うのは、「お陰さま」のありがたさです。

「お陰」とは、目には見えない陰の力、はたらきのことです。

振り返ってみますと、この世に生を授けてくださった両親をはじめ、育ててくださった恩師や先輩の方々、修行を共にしてくださった会員のみなさん、力を貸してくださる世界の宗教界の先生方……。

そうした数えきれないお陰さまを頂戴し、仏さまのお見守りをいただいて、今日この日を迎えられた幸せを、かみしめずにはいられません。

自分の力、多くの人びとの力、そして神仏のご加護の三つが一つにならないと、どんな小さなことも成るものではない、と山田恵諦(天台座主)猊下はいつも教えてくださっておられます。「幸せとは、ありがとうと言えること」と言われた方がいました。

私は毎日の日記の最後に、「今日も楽しく一日を終わらせていただくことができた。ありがたいお手配だった」と書かせてもらうのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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とり越し苦労(杞憂)

2016-11-05 06:48:02 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『先を見越して準備を怠らないのは大事なことですが、その度が過ぎると、不安ばかりがつのってしまいます。

私は、人から楽天家だとよく言われるのですが、楽天家になる秘訣は、自分にできる精いっぱいの努力をしたら、あとは仏さまにおまかせしてしまう。仏さまは必ず最良の答えをくださる、と信じてしまうことだと思うのです。

自分の努力、人さまの助け、そして神仏の加護がなくては事は成らない」と山田恵諦(天台座主)猊下は、いつも教えてくださっていました。あれこれと心配しすぎるのは、全部自分でやらないと気が済まない、自分の力ですべては成るもの、と思い込んでいるからではないでしょうか。

みなさんも、過ぎてしまったことを振り返ってみると分かると思うのですが、あれこれ心配したことの九割方は、取り越し苦労だったはずです。

野球のピッチャーでもそうですが、全部のバッターを三振に打ち取ろうと力まずに、打たせて味方に守ってもらう、という生き方を覚えてしまうと、肩の力が抜けて、自分の持てる力を、ありったけ出しきれるようになってくるのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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とり越し苦労(杞憂)

2016-11-05 06:48:02 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『先を見越して準備を怠らないのは大事なことですが、その度が過ぎると、不安ばかりがつのってしまいます。

私は、人から楽天家だとよく言われるのですが、楽天家になる秘訣は、自分にできる精いっぱいの努力をしたら、あとは仏さまにおまかせしてしまう。仏さまは必ず最良の答えをくださる、と信じてしまうことだと思うのです。

自分の努力、人さまの助け、そして神仏の加護がなくては事は成らない」と山田恵諦(天台座主)猊下は、いつも教えてくださっていました。あれこれと心配しすぎるのは、全部自分でやらないと気が済まない、自分の力ですべては成るもの、と思い込んでいるからではないでしょうか。

みなさんも、過ぎてしまったことを振り返ってみると分かると思うのですが、あれこれ心配したことの九割方は、取り越し苦労だったはずです。

野球のピッチャーでもそうですが、全部のバッターを三振に打ち取ろうと力まずに、打たせて味方に守ってもらう、という生き方を覚えてしまうと、肩の力が抜けて、自分の持てる力を、ありったけ出しきれるようになってくるのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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お父さんのガンバル文化の日

2016-11-03 05:44:29 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『子どものころの私にとって、父は最高のお手本でした。いつも体の弱い母親を気遣い、難しい仕事は自分が全部引き受けて、それぞれの子どもの分に応じた仕事を、手をとって教え、覚えさせていくのです。父にそうして厳しく仕込まれたお陰で、私は、のちに上京して奉公するようになっても、奉公先の仕事がまことに楽なものでした。

理想の父親像についていろいろに言われていますが、最近、父親の影響力が弱くなっている原因は、父親が自信を失ってしまっていることにあるのではないでしょうか。

この社会は、秩序というもの、ルールというものがなくては成り立ちません。そのことを教える父性は、いつの時代にも欠かせない大切なものです。それによって公私の区別、善悪の区別を子どもたちが身につけていくわけです。権威を振り回す父親ではなく、子どもが心から尊敬できる父親であることが、なによりも大切だと思うのです。

一家に心棒があることで、子どもは社会で生きていくルールと責任感を身につけていきます。父親の影が薄れてしまうと、この社会全体が心棒のないものになってしまいます。』

庭野日敬著『開祖随感』より

 

☆今日は日本国憲法が公布された日、文化の日です。心なき政治により平和憲法は傷だらけ、血まみれにされております。 世界に誇る「戦争をしない国」が、アベ政治により戦争が出来る日本になるのは絶対に阻止しましょう。

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