四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

身に沁みました

2020-11-28 21:56:08 | 俳句

 愛されずばわれあらざらん鰯雲』  筑西市 加田 怜さん

11月の朝日新聞俳壇に掲載されました入選俳句です。一読し勿論ですが亡き両親の私への愛をまた、わが妻の注いでくれている愛情をありがたく感じました。

 更に仏教徒の私は釈尊(宇宙の大生命)の私へ降り注いでいでいる愛を直感しました。『妙法蓮華経』を拝読いたしますと生きとし生けるものを大安心の境地に引き上げんとされる釈尊の慈愛があふれています。人を差別せず、見放すことなくいかな凡夫、愚人、悪人をも救わんとされるみ心に感動させられます。

愛を受ける側から、愛を施す側へなりたいものです。コロナに苦しむ人類が一刻も早く逃れるよう共に祈りましょう。

 またわずか17音で人を感動させる俳句定型詩のパワーに快哉をあげました。加田さんありがとうございました。

 

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ひとりよがりでは

2020-11-12 07:15:07 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『法座にすわって人さまの話を聞くことで、それまで自分が正しいと思ってきたことを「なるほど、そういう考え方もあるのか」と反省させられ、教えられることが、しばしばあるはずです。

 「いままでの自分は、独(ひと)りよがりの狭い考え方をしていたのだな」と反省させられ、それまでの自己流の小さなものさしを、ご法という大きなものさしで見直せるようになるわけです。

 また、人さまの苦労を知って、それまでの自分の甘い考えや生活態度を省みずにいられなくなります。そうして自分を磨いていく場が法座なのです。

 人間というものは、とかく自分のそれまでの限られた経験だけで、なにもかも分かったつもりになり、自分は少しも間違ったことはしていない、と考えているものです。独断と偏見に陥って、それに自分では気づけないことが多いわけです。

 織物でも、よい布を織るのにはタテ糸とヨコ糸をうまく織り合わせなくてはなりません。これまでの自分の経験をタテの糸とすれば、人さまの意見や知識をヨコの糸としてうまく織り合わせて、自分の知恵にしていただきたいのです。』

                庭野日敬著『開祖随感』より

 

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