四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

妻を失った嘆き(その2)

2022-12-30 08:37:28 | 生かされて今日

 大宰府赴任に愛妻はどうしてもついてゆく覚悟だったそうです。彼女は大伴一族の出身で旅人とは幼友達だったようです。万葉集編纂の主役となった大伴家持(おおとものやかもち)の母親です。

赴任地・九州へ伴わなければよかったと悔やんだことでしょう。武人の高官がありのままに心情を吐露しているのは異例でした。

 「丈夫(ますらお)と思へるわれやみづくさの水城(みづき)の上に涙のごはむ」

 「橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ泣く日しぞ多き

 「験(しるし)なきものは思はずは一坏(つき)の濁れる酒を

飲むべくあるらし」

 「なかなかに人とあらずは酒壺に成りにてしかも酒に染みなむ」

 「この世にし楽しくあらば来む世には虫にも鳥にも我はなりなむ」

「あおによし奈良の都は咲く花のにほうがごとく今盛りなり」 部下の小野老(おののおゆ)の歌

 ようやく大納言に昇格、奈良の都へ船で「ひとりぼっちの帰還」となりました。「吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき」

「人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり」

「吾妹子が植ゑし梅の木見るごとにこころむせつつ涙し流る」

 愛妻のいない佐保の自宅に戻れても悲しみの廃墟同然だつたのでしょう。わかりますよね。合掌

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妻を失なった嘆き(その1)

2022-12-23 08:58:45 | 生かされて今日

 NHKラジオ「歌と歴史でたどる万葉集」(鉄野東大教授)を聞き、今から1300年前の夫婦死別の悲しみ、衝撃に打たれております。

天皇家の親衛隊を誇る名族大伴家の長・中納言・大伴旅人(おおとものたびと)は64歳の晩年、当時西の果て大宰府へ妻を帯同して赴任しました。ほとんどの長が奈良の都から移動せず、部下を赴任させていたのに旅人は妻を伴い瀬戸内海を船で赴任。これはどうも大伴排除の藤原一族の陰謀によるようです。不在に乗じて最高権力者であった長屋王をクーデターで謀殺しています。

 大宰府でほどなく妻は病死しました。奈良中央政界からの左遷と妻の喪失、弟の死、自分の病気などの不幸が旅人をおのが苦しみを和歌に託す詩人にしたようです。

 部下に越前の守で和漢の最高の知識人、山上憶良(やまのうえおくら)との出会いが救いでした。

「世の中は空しきものと知る時しいよよますます悲しかりけり」 大宰の帥(そち)大伴卿

「妹が見し楝(おうち)の花は散りぬべし我が泣く涙いまだ干(ひ)なくに」 憶良が旅人のために作った歌

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もらい過ぎていないか

2022-12-05 06:08:58 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『一休(いっきゅう)禅師は「私は耕さずして、ご飯を頂いている。

織らずして、着物を着ている。いったい、私はもらいすぎている。

これをどうつぐなえばいいのか。それを思うと、一時(いっとき)もじっとしてはいられない」と語っておられます。

この「いったい、私はもらいすぎている」という考え方が大事だと思うのです。

 私たちは逆に「私はまだまだ十分に与えてもらっていない。不足だ」と考えがちですが、その心をちょっと切り換えるだけで、そこに感謝が生まれてくるのです。

その感謝が、まわりの人への思いやりになって、お互いに「ありがとう。ご苦労さま」と言い合えるようになっていくわけです。

己のごとくに他を思う心、それが仏教でいう慈悲心です。真の友情です。

人が「働く」のは、「はたを楽にする」ためだという人がいます。そういう心意気で働いていると、なによりも自分が楽しくなります。互いに持ちつ持たれつで生かされているのだという自覚から、慈悲心は生まれてくるのです。これこそ真の人間尊重でありましょう。

        庭野日敬著『開祖随感』より

 

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