大宰府赴任に愛妻はどうしてもついてゆく覚悟だったそうです。彼女は大伴一族の出身で旅人とは幼友達だったようです。万葉集編纂の主役となった大伴家持(おおとものやかもち)の母親です。
赴任地・九州へ伴わなければよかったと悔やんだことでしょう。武人の高官がありのままに心情を吐露しているのは異例でした。
「丈夫(ますらお)と思へるわれやみづくさの水城(みづき)の上に涙のごはむ」
「橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ泣く日しぞ多き」
「験(しるし)なきものは思はずは一坏(つき)の濁れる酒を
飲むべくあるらし」
「なかなかに人とあらずは酒壺に成りにてしかも酒に染みなむ」
「この世にし楽しくあらば来む世には虫にも鳥にも我はなりなむ」
「あおによし奈良の都は咲く花のにほうがごとく今盛りなり」 部下の小野老(おののおゆ)の歌
ようやく大納言に昇格、奈良の都へ船で「ひとりぼっちの帰還」となりました。「吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木は常世にあれど見し人ぞなき」
「人もなき空しき家は草枕旅にまさりて苦しかりけり」
「吾妹子が植ゑし梅の木見るごとにこころむせつつ涙し流る」
愛妻のいない佐保の自宅に戻れても悲しみの廃墟同然だつたのでしょう。わかりますよね。合掌