『定年で現役を離れ、体もあちこちいうことをきかなくなってくると、自分の人生には、もうなんの希望も残っていないといった寂しさをかこちがちになります。しかし、人はどんなに年をとっても、最後まで成長し続けるものなのです。
昔からインドでは、長子が家を継ぐと家長は家を出て林中に住み、瞑想をしたり遊行の旅に出る習慣がありました。これまでの一家を支えるつとめを終えて、自分がこの世に生を享けたことの本当の意味を見つける“本業”に打ち込むわけです。
定年も同じです。これまで若さと健康に寄りかかり、仕事に追い回されて、つい忘れがちだった「本当の自分」を見つける最後の仕上げに取り組む「出発の時」と言えましょう。
道元禅師は、「生死の中に仏あれば生死なし」とおっしゃられています。仏とは悟れる者、永遠の生命を自覚した人、ともいえましょう。
それを自覚したときに生老病死を超えた自分の真の命が発見できるのです。 すべてをあるがままに受け入れ、善意に解釈して、感謝と報恩に生きる一日一日をめざしたいものです。』
庭野日敬著『開祖随感』より