四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

根本を知れ

2017-08-31 10:03:26 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『この人生でなによりも大事なのは、自分自身を知ることです。その本当の自分に気づかせてくれるのが、宗教なのです。

小学校から大学まで、あり余るほどの知識を詰め込んできていながら、そのいちばん肝心かなめのところを教わらず、そこを突き詰めて考えようとしない人が、多くなっているように思えます。それをつかまないと、物や金だけを頼りにして、それに振り回される生き方に流れがちなのです。

 人は自分一人だけの力で生きているのではなく、生かされている自分であることを知ってこそ、どう生きるのが本当の生き方なのかが分かってきます。周囲の社会と切っても切れない関係でつながり、まわりによって生かされている自分の責任を、どう果たしていくか。その大もとが定まらないと社会でのさまざまな関係が整っていかないのです。

 日蓮聖人は『報恩抄』で、父母の恩、師の恩、国の恩に報いる大切さを教えられていますが、自分がこの世にあるその恩を知ることで、自分の生き方が定まってきます。現代の社会のさまざまな問題の根は、一人ひとりが尊い命をいただいているその大恩を教えなくなったところにあるように思うのです。』 

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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人は情で動く

2017-08-25 07:11:54 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『一をいて十を知るという切れ者は、ときとして組織を危うくするといわれます。目から鼻へ抜けるような才知にすぐれた人は得難い人材なのですが、そういう人は、ともすると理論だけに走りがちで、理屈が通ればそれだけでぜったいに間違いないもののように考えて、性急にそれを押し通そうとします。それで、人の心を察するゆとりが持てなくなってしまうのです。

 しかし、人が行動を起こすのは頭で分かったときではなく、感情的に「そうだ」と納得したときなのですね。大衆は、それぞれの感情、心を持っています。その心が納得しないと人は動きません。

 お釈迦さまが人びとに慕われ、あがめられるお徳を具えられたのは、自高我慢(じこうがまん)を除かれたからだと経典に示されています。自高我慢とは、文字どおり自分を高くして、それを自慢することです。お釈迦さまは、自分だけが正しいと高みから人を見下すような心を、徹底的に克服し尽くされたのです。

 自分と周囲の人びととの関係、自分と自然とのかかわりを本当につかむと、謙虚さが生まれてきます。人を拝める人こそが人の長となる人です。』

 庭野日敬著『開祖随感』より

 

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異説を受け容れる

2017-08-22 08:20:30 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『リーダーとは、さまざまな人の考え方、さまざまな力を生かして、一つの秩序と調和をつくりだしていく人といえましょう。それでこそ事が成るわけです。

 その調和をつくりだすのに、いちばん大切なのが「忍辱(にんにく)」です。忍辱というと、じっと耐え忍ぶことのように考える人が多いのですが、それだけではありません。こちらは不動の信念を持っていて、それを貫くために、さまざまな考え方、さまざまな立場を受け入れる積極的な生き方が忍辱です。

 土佐藩主の山内容堂は、はじめ「忍堂」と号していました。それを、忍堂では人間がまだまだ小さいと言われて、容堂に改めたのだそうです。

 自分と反対の意見を主張する人に手こずると、「この人さえいなければ」と考えたくなりますが、「この人こそ、自分を磨いてくれるために、仏さまが遣わしてくださった人」と拝む。忍ぶのではなく、受け入れるのが本当の忍辱なのですね。

 「気は長く、心は広く、腹立てず、自分は小さく、他人は大きく」という古歌があります。どれだけの人を受け入れられるかで、自分の器が決まります。「忍耐とは希望を持つ技術だ」と言われる人もいます。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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マイナスが実はプラスに

2017-08-19 08:07:36 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『人生には、さまざまな困難があります。その困難に押しつぶされる人もいれば、それをバネに飛躍する人もいます。その違いは、「くじけるものか」と気力を奮い立たせるか、「もうだめだ」と投げだしてしまうか、その違いだと思うのです。

 どんなことにも、よい面と悪い面が表裏になっています。それを、よいことと悪いことの二つに分けて、これは自分にとってプラスになる、いやマイナスだ、と決めつけてしまうのは、そのときの目先のことしか見ていないからです。

それを、もう一度裏返してみる。反対側からも見る習慣をつけるのが、仏教の智慧、人生の極意といえましょう。

 松下幸之助さんは、貧乏だったこと、学歴のないこと、病身だったことを成功のバネにされた方でした。そのどれをとっても、ふつうなら大きなマイナス要素です。「自分くらい恵まれない人間はいない」と意気消沈しかねないところですが、松下さんは、それを活力に変えられたのです。

 若さには、つまずきがつきものです。受験の失敗や失恋も、その裏に得難い人生の宝が隠されていることを忘れないでほしいのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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平和憲法を守ろう(敗戦日)

2017-08-15 15:24:59 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

 『八月十五日の終戦記念日が今年もめぐってきました。あの日から早三十四年が経ったわけです。当時の日本男性の平均寿命は驚くほど低くなったという記録が残っているそうです。若く、尊い生命がどれだけ戦火に奪われてしまったことか……。

 現在の私たちの繁栄は、そうした人たちの血と涙の犠牲の上に築かれていることを忘れてはならないのですが、三十四年の時の経過は、そうした記憶を次第に消し去っていくように思えます。いまの私たちは、平和にどっぷりと漬(つ)かりながら、その平和のありがたさを忘れがちなのではないでしょうか。

 終戦後、日本はなんの犠牲も払わずに民主主義を与えられ、それがいまや、わがまま勝手の代名詞のようになっています。民主主義は決して完全なものではありません。しかし、かつて全体主義が日本をあの悲惨な戦争に導いたことを思うと、私たちの手で、この民主主義をよりよいものに育てていく大切さを痛感せずにはいられません。それには、国民自身の成長がなにより大事です。平和憲法さえあれば何もしなくても平和でいられるのではなく、一人ひとりが平和のために自分にできる献身を惜しんではならないのです。』

 庭野日敬著『開祖随感』より

 

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一部しか聞こえないのです

2017-08-02 16:20:24 | 元気を頂く言葉(庭野日敬師

  『自分の目で見て確かめられるものでなければ信じない、という人がいます。しかし、それでは大事なものを見落としてしまいはしないでしょうか。

私たちがふだん聞いている音は、自分の耳に合ったごく一部の音にすぎず、周波数がうんと高かったり低かったりすると、聞こえません。自分の耳に聞こえる音が、すべてではないわけです。それと同じで、この世界は私たちには感受できない広大な広がりをもっています。

仏さまのお姿は私たちの肉眼では見えませんが、教えどおりに行じると、仏さまの存在がはっきりと見えてきて、その大きな懐に抱かれている自分に気づかずにいられません。 信仰をしている私のいちばんの幸せは、仏さまがいつも一緒にいてくださるのを感じられることです。その幸せを、私は最近、さらにしみじみと思わずにいられないのです。

ですから、生きているうちは仏さまのみ心のままに生きてなすべきことをなし、ご用が済めば仏さまのもとへ帰らせていただくのだ、と私は心に決めています。これほど安心な生き方はないと思うのです。』

 

庭野日敬著『開祖随感』より

 

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