『信仰とは、神仏がいつも自分を見守っていてくださるのを信じきってしまうことです。仏さまがいつも見守っておられたら、どんな小さな嘘も、ごまかしもききません。ちょっと考えると窮屈のようですが、それが信仰のいちばんの功徳なのです。
真っ正直に生きていれば、「あの人は、これっぽっちもごまかしのない人だ」と、だれからも信用され、大事な仕事をまかせられるようになります。
そして、さらにありがたいのは、毎日起こってくるすべてのことを「仏さまのお手配」と素直に受け取れるようになることです。
自分の浅はかな考えであれこれ才覚するよりも、すべてをお見通しの仏さまにおまかせして、自分の最善を尽くすほうが、どれほど安心か分かりません。まかせきれること、それが大安心です。
私たちのほうから「ああしてもらいたい、こうしていただきたい」とお願いするだけでは、仏さまに請求書をつきつけているようなもので、本当の信仰とはいえないのですね。
仏さまは、いまの自分にいちばん必要なものをお手配くださるのだと、ありがたく頂戴するのが信仰です。』
庭野日敬著『開祖随感』より