四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

羽成さんの「介護道」

2011-08-30 12:24:52 | 生かされて今日
 なんと19才から49才まで、祖父母、義父母、実母などの介護生活30年で「介護道」を説かれる羽成幸子さんが横浜普門館に来て頂き1時間半エネルギッシュに、深刻な話をユーモアたっぷりにお話をされました。
私は以前こどもの世話にはならんと粋がっていましたが、流石にこの頃はピンピンコロリは夢想であることにやっと気付きました。
お釈迦さまの教えにある四苦八苦の中の生・老・病・死の手順はわかりますが、現代医療の発達と寿命が伸びたために「老・病」から「死」までがトテモ永いのですね。
必ず他人様のお手を煩わすことになることを受け入れざるを得ません。それが定めなのですから。
 一所懸命学ぼうと砂かぶりの席でお聞きしました。介護される立場で聞こうとしたら友達が、「それは甘い、介護する側になるかもよ」と指摘されました。
 介護はする側もされる側も生ぬるい覚悟、甘いやさしさ親切心では耐えられない、相当ハードな覚悟が要ることを知らされました。ウンコの世話、下の世話をどう乗越えるかです。下の世話は相手をお互いに選べませんから、電車の中で向かい合う人を連想して欲しいと。その人の匂い、生活習慣、価値判断や言葉使いを受入れないと出来ないそうです。そして、心の中で「このクソババめ」とかの悪魔の叫びを上げて良いのだそうです。そして、周囲の関係者を「介護という土表」に共に載ってもらい、その人に出来ること(お金を出すとか時に介護するとか)、をし合う工夫をして、自分の人生も織り込みエンジョイする時間を持てと。老境はかなりキツイ坂道になることを諦観しなければと思いました。
 羽成幸子さんは明るくて、永い介護体験から尊い菩薩のオーラを発散させるお方でした。尊い偉い方だなぁと思いました。
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阿波踊りはステキだ

2011-08-28 21:00:17 | 生かされて今日
 ラジオ体操がはじまり夏休みも終わりに近づきました。
 40年前大阪支店勤務の時に、社命で四国に営業拠点を設けるべく高松に赴任しました。同時に結婚し京都桂に住まう予定が、急遽四国一周の新婚旅行がそのまま帰らざる赴任となりました。担当が香川、高知、徳島の3県で、3年間高松市に暮しました。その頃の高松高知方面のJR土讃線は須崎止まりで、土佐中村や土佐清水へは高知県交通のバスに乗り継ぎました。高松徳島間はJR高徳線のガソリンカーか高徳バスで往き来しました。
 「踊る阿呆に見るアホウ」の徳島の阿波踊りは連ごとの楽団つきでとても素敵です。先日テレビで拝見しましたら当時とは色々違いが見つかりました。おんなの衆かぶる編笠は昔は目深で顔を隠すほどでしたが、いまではお顔丸出し。有名連のひょつとこ顔も恐らく亡くなられ世代交代がされています。祭り近くなると街角のあちらこちら、ビルの屋上で練習が続いていましたし、観光客用の特設観覧席はありませんでした。お祭り終了の日にはホテルも観覧席も来年の予約で満員だと聞きました。なにせ徳島市民の数倍が繰り込みますから。昭和45年ぐらいに高松も高知も阿波踊りにずらした日程で新しくお祭りを作りました。それにしても阿波踊りは最高の祭りです。
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日蓮聖人の身延へ

2011-08-22 14:13:40 | 生かされて今日
 鎌倉幕府は元冦の国難に際して、佐渡島に流罪に処した日蓮を許して鎌倉に戻しました。晩年の日蓮聖人は身延の領主、波木井氏の招きを受けて現在の山梨県の冨士川を渡り法華経三昧の草庵に入られました。その跡が身延山久遠寺となり日蓮宗の本山です。草庵跡や御廟は特に聖人の権力に媚びないお姿を表しています。周りには多くの日蓮寺が散在して宗教の町を形成しています。
 川施餓鬼という富士川で生命を奪われた霊や東日本大震災の犠牲者の霊、自分の先祖の霊をお慰めする法要がありました。波木井氏は居城を聖人に寄進、円実寺となり、第729回目の川施餓鬼です。もちろん第1回の御導師は日蓮聖人でした。午前と午後に分かれて約1200人の立正佼成会会員がお参りしました。庭野日鑛会長ご夫妻をはじめ渡辺理事長、歴代の理事長がすし詰めの本堂に参集されました。
 読経中、故人となった両親や親戚、友人や会社の仲間、戦没のみ魂、3.11の震災犠牲者を偲びました。肉眼で見える世界に重なっている霊妙な世界が覗けた気分でした。蝉しぐれも吹き飛ばす唱題で、最後に迫力あるお九字を頂きました。
 霧がかかる身延の山は都会の山とは違い、山深く厳しい顔をしています。雨の久遠寺でも読経して、聖人のお姿を開帳して頂きました。参列して聖人の厳しい求道の気迫に、腰が引けるわがナマクラ振りを叱責される感じでした。南無妙法蓮華経
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お寺のガイド

2011-08-18 14:15:31 | 生かされて今日
 鎌倉に近い横浜市金沢区は江戸時代、風光明媚な観光地で大山詣や江ノ島、鎌倉をめぐり金沢八景の景色を愛でる名所でした。そのメインストリートは瀬戸神社周辺から瀬戸橋をわたり称名寺へ向かう参道あたりでした。
 私の所属しているNPO金沢横濱シティガイド協会では、称名寺の浄土式庭園の無料ガイドを毎月土日に実施しております。午前中担当となりましたので自転車を飛ばして炎暑のお寺へ参りました。先ず金堂ご本尊の弥勒菩薩に合掌してから、昭和18年に山門近くに墜落して殉職された艦上爆撃機の二人の塔婆にもお参りしました。炎暑でお盆の檀家の参拝が目立ちます。
 2組のご案内をしました。最初は近くに住むお爺さんと高校生・中学生ふたりの孫娘のガイド依頼がありました。お爺ちゃんは灯台下暗しで勉強になりましたと感謝されました。もうひとつの案内は、今日高知市から空路来たという壮年の一人旅です。三浦にある浄楽寺の運慶の仏像と明日は上野国立博物館の弘法大師密教展がお目当てだそうです。マニアックな歴史フアンのようでした。
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8月15日慰霊と平和祈願と

2011-08-16 11:30:08 | 生かされて今日
 幼子たち70人が戦没者慰霊のお花を持って釈尊像に捧げます。途中で泣き出すお子さんもいましたが、お母さん達のサポートで無事に奉献の儀式が出来ました。66年前血で血を洗う戦場で、海で、空で、爆撃された町々で、原子爆弾のためにおおよそ300万人のいのちが奪われました。さらに中国、朝鮮、フィリピンやビルマなどアジアの民が日本軍の暴力のために無数殺されました。
 赤紙一枚で徴兵され絶望の戦場で両親や妻や子を思い、望郷の思いをされた兵士たちのみ魂に届いて欲しい、3月11日の東日本大震災犠牲者のみ魂にも聞いて欲しい、又世界に平和が来ることを祈願して法華経を読誦しました。私にもフィリピンの市街戦で亡くなった方がおられます。終戦の時にわが父母の年齢は30代前半で、焼野が原でいかな思いでいたのかと合掌するばかりです。
 読経の後で北欧に留学中の女性ヴァイオリンニストの奉納演奏がありました。横浜教会仲間の自慢のお孫さんと友人のピアニストとの演奏です。サラサーテのツィゴイネルワイゼンはじめ素晴らしい演奏でした。
日本の曲「ふるさと」の演奏がはじまると、外地で無念の死を余儀なくされた兵隊さんたちを思い涙が滲んできました。戦争だけは断じてさせてはならぬと思いを新たにしました。
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お盆ですよ

2011-08-14 06:12:35 | 生かされて今日
 秋立つとは云えめまいがする残暑が続きます。それに夜は「風死す」熱帯夜で、私はあらぬ時間に目覚めてしまいます。病弱なご老人や外で働く方々、東北の避難所の方々、東電福島原子力発電所で復旧に当たる方々を思います。
一方では甲子園の大熱戦、帰省の大渋滞、岐阜提灯やお墓参りなど。15日の終戦慰霊の日も参ります。
我家もご仏壇にお花、秋の果物をお供えし、家紋入りの提灯をかかげました。わが夫婦両家の膨大な数のご先祖に来ていただいており、この狭き家にギッシリ霊が充満されておられましょう。更にこの私の肉体を構成する60兆の細胞のDNAにも、確実に祖先の霊魂と経験とが記憶されています。この潜在する力(マイナスもあるでしょうが)を素直に発揮することが先祖への感謝、供養と云うことでしょう。
他人に比べると劣るちっぽけな才ですが、路傍のタンポポの様に精一杯開いてみたいものです。次男坊がアベックで来宅、婚約の報告に来ました。仏壇にぬかずく二人を眺め新しく増えた家族に夫婦でニンマリしております。ご先祖のお陰さまです。
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長崎の鐘を鳴らそう

2011-08-09 09:10:42 | 生かされて今日
 今日八月九日は長崎忌、広島の悲惨な八月六日に続いて原子爆弾が今朝午前11時2分に炸裂しました。なぜ日本ばかりが二つも悲惨極まる原爆を浴びることになったんでしょうか。
繰り言になりますが何故に沖縄地上戦の悲劇の前に終戦を決断できなかったのでしょうか。福島原発事故でも政治判断の遅れが指摘されています。
 下記の写真をコピーアンドペーストして検索しご覧ください。南無妙法蓮華経

http://www.lootone.com/poem/poem05.html

 背に負うはおとゝの屍(かばね)長崎忌  駿
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今日はヒロシマ原爆忌

2011-08-06 07:36:11 | 生かされて今日
 66年前の今朝8時15分、世界ではじめての原子爆弾が米国のB29「エノラゲイ」から投下され約14万人が殺されました。人間の罪悪、邪悪、悪魔が赤ん坊から無差別に惨殺したのです。科学を殺人に使った人類の愚かさを思います。
 現在この忌まわしい「エノラゲイ」号は米国ダラス空港に隣接したウドバー・ハジー航空博物館に遺されています。このブログのワシントン紀行に当博物館を訪問した記事を下記に記しましたのでコピーアンドペーストでお出でかけ下さい。
 http://blog.goo.ne.jp/ama_kaki_3/e/77b391a5245cbf3ab8ca6c33531cc480

 戦争は「絶対にしてはならないし、正義を振りかざす政治家、実業家に騙されぬよう」にしましょう。憲法第9条は生きている私たち一人ひとりの力で護らなければ子や孫に申し訳ないことになります。

 あさがほのつゆくちびるに原爆忌  駿


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弘法大師展の上野へ

2011-08-03 13:18:02 | 生かされて今日
 午前中鶴見で「おくのほそ道」の印影本を鶴巻ちしろ先生に習いました。毛筆の古文書そのものですからチンプンカンプンでとても読めません。 ♪古文書がゆらゆらとなる昼寝かな  駿
午後、JRで上野へ出てアメ横でお昼をかきこんで国立博物館の「空海と密教美術展」へ。上野公園ははなやぐ夏休みで観光客や幼子達の多い秋の兆し。爺婆の孫連れが平和な時を楽しんでいます。佐賀西高校の修学旅行が来ました。高校でも修学旅行があるのですね。親がかりの過保護な日本ですよね。
 館内の混雑を懸念しましたが、幸いに入場制限がないので弘法大師に会いに平成館へ。車椅子の方もおられ少し配慮が必要ではないでしょうか。私もゆっくり見られませんが人垣、肩越しに、国宝づくしの精緻で壮大な文化に触れることが出来ました。国宝の空海や最澄の書、錫杖(しゃくじょう・善通寺)、虚空蔵菩薩(神護寺)、留学の中国から空海が抛ると高野山に落ちたという法具などが感動を与えてくれました。比叡山の最澄との関係も興味が尽きません。弘法大師はわずか62才で亡くなられたそうです。私は年齢だけは空海に勝ちました。これを馬齢と云います。
 古人の文化思想の水準の高さにため息が出て、お国が誇り高くなります。9月25日まで開催されています。
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