今日で第二次世界大戰が終結して、七十六年目となる。その七十六年前の今日を、その時に生きた人々はだう受け止めたのか──?事實の一端を知るため、横浜市立中央図書館内の横浜市史資料室で開催されてゐる、「戦後横浜─それぞれの出発」展に出掛ける。そして、昭和二十年八月十五日に横濱にゐた多くの人々のなかから、若い人たちの率直な思ひを、残された日記より一人づつ聞き取っていく。「何はともあれ、米英蘇 . . . 本文を読む
昨日からしつこく降り續く雨に、午前中に往年の“暴れ川”を見ると、昔を思ひ出したやうな様相を見せてゐた。いまはすっかり水没した河川敷で、ふだん浮世の休日にはこれ見よがしに鐵板焼きゴッコをやってゐる輩には、かういふ時にこそ、あの鐵板根性を發揮していただきたいものである。そんな濁水を、鴨が悠々と渡ってゐる。ここだけを切り取ったら、優雅な光景らしく映るだらう。情報は、つねに切り貼りされて公けとなる。ラジオ . . . 本文を読む
朝のラジオ番組で、またしても窓の外の不穏な盤渉と共に、謠曲を聴く。今回は故人片山幽雪の録音から、「盛久」と「砧」の一部が放送された。片山幽雪──私には前名の片山九郎右衛門のはうがしっくりくるが、京都在住のいはゆる“京觀世”、そして京舞井上流の一族、と云ふ以外に知識はない。舞台は學生の頃に映像で見たことがあるきりで、その後大阪に住んだ時代でも、あれだけ京都を散策して遊んだにも拘ず“京觀世”は全く経路 . . . 本文を読む