九月に三重縣で予定されてゐた國体の中止を、縣知事が國へ申し入れ云々。この時世下では、ごく當然の判断である。 なにも、縣知事が報道屋の前で無念に聲を震はせることでもない。むしろ、堂々と表明すべきことだ。結論はもとより一つしかないのだから。茶番大運動會や甲子園における大愚をまたしてもやらかす必要など、どこにもない。大勢のヒトの流れが感染者と云ふ病原菌を増殖させることは、お盆の帰省を言ひ訳に大移動した面 . . . 本文を読む
朝のラジオで、金春流「戀重荷」の再放送を聴く。御所で上臈に戀をした庭守の老人が、目の前に置かれた荷を持ち上げてみせたならば彼女の姿を見せてやらうと廷臣に持ちかけられるが、巌を綾で包んだものゆゑ叶はず憤死する、老ひらくの戀の哀話。金春流の「戀重荷」は七十九世宗家が復曲したもので、その子息で八十世宗家の舞台は國立能樂堂で一度観てゐる。後半は惡鬼となって現世に舞ひ戻り、上臈に散々怨みを述べると一転して彼 . . . 本文を読む