今日で第二次世界大戰が終結して、七十六年目となる。
その七十六年前の今日を、その時に生きた人々はだう受け止めたのか──?
事實の一端を知るため、横浜市立中央図書館内の横浜市史資料室で開催されてゐる、「戦後横浜─それぞれの出発」展に出掛ける。
そして、昭和二十年八月十五日に横濱にゐた多くの人々のなかから、若い人たちの率直な思ひを、残された日記より一人づつ聞き取っていく。
「何はともあれ、米英蘇支四ヶ国の共同宣言に承認し、開闢以来の屈辱事実に到着、敵の軍門に無条件降伏したのである」──
「勝利を信じ今迄すべての苦労をがまんしてきたのではないか。余りにも情けない」──
「皇紀二千六百五年目、初めて日本は敗戦せり。我々はかならずこの仇をうつ。皇大神宮にちかう」──
「見よ今に見よ、生き抜きて必ずこの仇をうたん、十年、二十年」──
中高年層は終戰に安堵した者が少なくなかったが、幼時から軍國主義を叩き込まれた若年層は日本の敗戰が信じられず、戸惑ひ、そして氣持ちのたぎってゐる様子が、實に生々しく綴られてゐる。
しかし、「英霊に申し訳が立たない」とまで日記に綴ったある青年は、しばらくすると米國映画を通して海外文化の虜となり、進駐軍からチョコレートやチューインガムを貰ったりするやうになる。
若さならではの柔軟さ、と解説にはあったが、私には今夏の茶番大運動會で、勝手にやって来た夷人の運動競技屋に交流を求めたり、先日には銀座をほっつき歩く胴元に記念撮影を求める理念も節操もない現今のニッポン人と、なんら変はるところがないと映る。
そもそも戰後のニッポンで若者たちにジャズが流行したのも、實は「鬼畜米英」と教へ込まれた彼らを手懐けるための、GHQの洗脳作戰云々。
八月十五日の敗戰宣言によってニッポンは夷國に對し、唯々諾々(ヘコヘコ)以外に選択肢を奪はれ、「仇をうつ」こともいつしか忘れ、経済的には復興を遂げても精神的には敗戰國のままであることが、それから七十六年が経った今夏の茶番大運動會で、いっぺんに暴き出された。
それは七十六年前との共通點と云ふより、
七十六年前のままが續ひてゐる、
と云ったはうが當ってゐるのではないだらうか……?