ラジオで、大鼓方柿原崇志と觀世流シテ方浅見真州の追悼放送を聴く。
演能を觀てゐて、地謠方と囃子方が調和のとれた音樂を奏でたとき、こちらもつひ手や足で拍子をとりたくなる。
さういふ舞臺に出逢へたときの至福は、觀た者でなくてはわからない。
柿原崇志師は、學生時代に觀た舞臺中継でお馴染みの大鼓方であり、
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もちろん能樂堂の公演でもちょくちょく目にしてゐたが、私にとってはやはりTVで知ってゐるとの印象のはうが強い。
今日の放送で耳を惹ひたのは、寶生流の「隅田川」である。
“都鳥”の件りと、探し求める我が子が一年前のちゃうど今日に死んでゐたと知り絶望する件りのみの抜粋だったが、重厚な謠ひから紡ぎ出される濃密な劇空間に、これが玄人(プロ)の創造力かと、早朝から圧倒される。
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そして創造と想像は表裏一体を為すものであることを、新たに我が糧とする。