世田谷区の成城ホールにて、「地歌・箏曲・京舞 富山清琴の世界」を観る。
一ヶ月ほど前に世田谷区内でたまたま目にした掲示板でこの演奏会を知り、京舞「八島」を観たさに即決して、今日に至る。
かつて大阪で傳統藝能の勉強をし、暇さへあれば京都や奈良を巡り歩いてゐたくせに、上方の音曲は義太夫くらゐにしか接してゐなかったことを、今頃になって気が付いたりする。
富山清琴と聞くと、私などは盲人演奏家としての印象が強いが、今日出演したのはその子息にして平成十二年に襲名した、二代目。
小ホールといふこともあってか、舞台にマイクを設置しなかったおかげで、弦と撥から紡ぎ出される男性的な音色が直接に耳へ届き、久しぶりに“本物の日本の音”を楽しむ。
一曲目の「八千代獅子」においては手事の調べに、国立劇場で傳統藝能の基礎を學んでゐた当時、この音を必死に頭へ叩き込んでゐたことを思ひ出して、つひ目頭が熱くなる。
前半にはそのほか「三吉」と「春鶯囀(しゅんのうでん)」が演奏されたが、三絃といい箏といい、いかにも男性的なその弦の響きに、「上方のお座敷音樂=はんなり」とはまた異なる印象を覚える。
休憩後の富山清琴と司会者との対談では、父であり師である初代清琴の思ひ出話しの途中で柝に急かされ幕になってしまったのが残念、もふ少し聴きたかった。
今回のお目当てだった京舞「八島」は、井上流五世家元の長女が立方をつとめる。
詞章が仕舞と同じ箇所なので、ほぼ初めて観ることになる京舞はどんなだらうと樂しみにしていたが、直感としては立方の舞ぶりに、「……?」となる。
ああいふものなのかもしれないし、もっと違ふのかもしれない。
が、ほかの立方による、ほかの曲をまともに観たことがないのだから、“だいたいああいふ感じ”くらゐに留めておいたはうが無難かもしれない。
さりながら、上方の傳統藝能を丁度よい値段と丁度よい所要時間で、贅沢に樂しめたことに変はりは無い。
この頃の、文化ホールなどにおける邦楽演奏会といふと、曲目はなぜか『○○交響曲第×番△長調』だの、洋楽屋との洋楽合奏など、けっきょく“和楽器を使ったダダの洋楽演奏会”ばかりで、私などはいつも「この異國かぶれめ……!」と、腹が立ってくる。
日本の純粋な古典曲では技量にボロが出るので、異國の楽曲で誤魔化してゐるのではないかと勘繰りたくなる時さへ、ありける。
さういふなか、日本の傳統音樂を“不純物”無しで堪能できたかうした演奏会に巡り逢へたのは、やはり御縁といふものだらう。