昨年の大晦日までには読了する予定だった「東電OL殺人事件」を、やうやく読み終へる。
京王井の頭線「神泉驛」そばの古びたアパートの一室で、東電の管理職を本職とする賣春婦が遺体となって発見された平成九年三月八日當時、私は国立劇場で傅統藝能の基礎を學びながら東急沿線の町で初めての一人暮らしをしてゐた、その一年目にあたる。
そして事件から三年後、容疑者のネパール人男性に無罪判決が言ひ渡され、結局真犯人はわからぬまま幕となった平成十二年四月當時、私は既に師匠の弟子となり、理想と現實との大きな落差に苦闘を強いられる日々の、真っ只中にあった。
つまりこの殺人事件は、私のなかで鮮烈な記憶を留めてゐる時代と、見事に重なってゐるのだ。
事件発生當時、私も東京在の若者ならまずさうである如く、澁谷といふ街で青春を謳歌してゐた。
が、時同じくして隣接する円山町におゐて、報道屋が「発情」的に煽り立てたそんな殺人事件があったことなど、私は全く知らなかった。
今回このノンフィクションの一冊を読んで初めて知り、「あの頃、そんな世間を騒がせた事件があったのか……」と、しばし茫然となった。
被害者の賣春婦が“夜の仕事場”にしてゐた円山町──広く云へば澁谷といふ街は、その當時の私にはいかにも東京の繁華街らしい、きらびやかで樂しい場所としか映らなかった。
だから余計に目を眩まされて、さうした澁谷の“闇”に気が付かなかったのだらう。
著者が事件の周辺をウロウロしてまとめたこの力作な一冊によれば、被害者は“昼の職場”における父親コンプレックスに絡んだ“挫折”が、かの「大堕落」の一因ではないか、と推理してゐる。
街といふ虚構的繁華の裏には、かならずおぞましい闇が存在する。
しかし、その闇すらも虚構であったら……?
それは、
つひに真犯人が挙がらなかった理由とするには、
あまりに恐ろしすぎる。