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ラジオ放送の、金春流「頼政」を聴く。
平安末期の騒亂を巧みに泳いで中央政界に源氏筆頭としての地位を築き、さらには“鵺退治”で功名を成し、従三位にも叙され、最高權力者である平清盛のウケも良かったにも拘はらず、治承四年(1180年)五月に以仁王と共にその清盛に反旗を翻へして敗走し、宇治平等院にて扇を敷いた上で自害した、老将の悲哀劇。
宇治の景色を風雅に謠った前半、後半では“宇治川合戰”に敗れて自害する様が勇ましくも繊細に謠はれ、結局のところ死とは孤独であることを悟らせる大曲だ。
このとき源三位頼政は齢七十を越へており、當時の平均壽命の倍ちかくを生きた果ての、敗死である。
當世の人災疫病禍においても、齢三ケタ、またはそれに近い長壽を保ちながら、感染して亡くなった高齢者がずいぶんゐたが、ここまで長生きした果てのそれは、なんとも殘念に思へてならない。
私は長生きをしたいと願ってゐるクチだが、それでシアワセかはまた話しが別らしいことを、今回の奈良金春の素謠を聴きながら、フト考へさせられる。